第二十六話 次兄の教え
ファルケンブルク家での生活にも少しずつ慣れてきた。
ヒルデに身支度を任せることへの抵抗も薄くなっている。屋敷の廊下も今では迷わず歩けるようになった。
その日の午後。
玄関の方から急に賑やかな声が聞こえてきた。
「ただいま戻りました!」
快活な声が屋敷に響く。
綾目が玄関広間へ向かうと、旅装のまま使用人たちに囲まれている男性がいた。
レオンより若々しい印象の顔立ち。灰色の髪に竜人族特有の角。
エルゼリスと同じ色の瞳が綾目の姿を捉える。
「お前が比良坂綾目か!」
男性は大股で近づいてきた。
「話は聞いてるぞ。レオン兄さんとエルゼが揃ってお前の話をするもんでな。会うのを楽しみにしてたんだ」
「……光栄です」
「そんなに固くならなくていい。ここじゃ俺もただの兄貴だ」
「兄上は最初から距離が近すぎるのです」
エルゼリスが少し呆れたように言った。
「そうか? これくらいでちょうどいいだろ」
クロードが朗らかに笑う。
綾目はその様子を新鮮な気持ちで見ていた。
学校では見せない、家族の前でだけ見せるエルゼリスの砕けた顔。
ほんのわずかではあるが普段よりも表情が柔らかい。
「比良坂さん。こちらは次兄のクロードです」
「改めて、クロード・ファルケンブルクだ。よろしくな」
「比良坂綾目です。よろしくお願いします」
「堅いなあ」
「兄上が軽すぎるのです」
エルゼリスの即答にクロードはまた笑った。
◇
夕食までの間、庭のテラスで話をすることになった。
前線での暮らしや騎士学校での授業についてしばらく他愛のない会話が続く。
クロードは椅子へ深く腰掛け、綾目の話を興味深そうに聞いていた。
やがて何かを思い出したように綾目へ目を向ける。
「そういえばエルゼから聞いたぞ」
「何をでしょうか?」
「グラムのシミュレーション訓練だ。操縦そのものはかなり上手かったのに、相手のフォースフィールドを抜けなかったそうじゃないか」
「はい」
綾目は授業で行ったグラムシミュレーションを思い返した。
「機体を動かすこと自体には手応えがありました」
「ですが……決定打がありませんでした」
「そこがお前の今の課題だな」
クロードは腕を組みわずかに表情を引き締めた。
「少し厳しい話をしてもいいか?」
「お願いします」
「まず、はっきり言っておく」
クロードは遠回しな言い方をしなかった。
「お前の魔力クラスはD−。グラムを十全に運用するには低すぎる」
「機体を動かすこと自体はできる。ダイレクトリンクは魔力クラスの影響を受けないからな」
「では、操縦そのものには問題がないと……」
「操縦そのものにはな」
クロードは指を二本立てた。
「だが魔力を使う機能には制限が出る」
「まず防御だ」
一本目の指を示す。
「お前の魔力ではフォースフィールドを展開できない」
「攻撃を正面から受け止める戦い方は無理だ。被弾を前提にした強引な突撃にも向かない」
綾目は静かに聞いている。
「次に攻撃」
クロードがもう一本の指を示した。
「魔力を弾体へ付与する属性付与弾が使えない」
「通常弾だけでは敵のフォースフィールドを正面から破りにくい」
「お前が模擬戦で決定打を欠いたのもそれが理由の一つだ」
(自分を守る力も)
(敵を正面から破る力も足りない)
以前の模擬戦で感じた壁を前線の指揮官が言葉にしている。
「では、操縦技術で補うしかないのですね」
「半分は正解だ」
「半分?」
「性能差そのものは腕では消えない」
クロードは椅子の背へ身体を預けた。
「出力の低い機体を操縦技術だけで高出力機に変えることはできないからな」
「ですが、その不利を戦場へ出にくくすることはできる」
綾目が言うとクロードが口元を上げた。
「話が早いな」
「無駄な機動を減らす。相手の攻撃線から外れる。地形を使う。敵を味方の射線へ誘導する」
クロードは指を折りながら挙げていく。
「弱点へ攻撃を集中させる。敵のフォースフィールドが薄くなる瞬間を狙う」
「あるいは、自分で破ろうとしない」
「自分で破らない?」
「決定打を持つ味方に撃たせる。お前はその状況を作ればいい」
綾目はクロードの言葉を頭の中で組み立てる。
「私が敵を倒さなくても味方が撃てる位置へ動かせばいい」
「そういうことだ」
「機体性能が同じで他の条件も同じなら操縦技術の高い方が有利になる」
「一対一で、本当に他の条件まで同じならな」
クロードが少し笑う。
「だが、実戦でそんな状況はほとんどない」
「数、地形、情報、先に見つけた側、支援の有無。それだけで勝敗は変わる」
綾目は小さく頷いた。
「腕に自信を持つのは悪くない」
クロードの声からわずかに軽さが消える。
「だが、一部例外はあるが英雄譚のような単騎無双は現実の戦場では存在しない」
「性能で劣るランドメイトが相手でも三機に囲まれればグラムは落ちる」
「正面の一機へ集中した瞬間、残りの二機に死角を取られるからだ」
「一機ずつ倒せばいい、とはいかないのですね」
「相手も順番を待ってはくれないからな」
クロードは少し間を置いた。
「前に下級魔物種三匹を甘く見て突っ込んだグラムがいた」
「最初の一匹はすぐに落とした。だがその時にはもう残りの二匹に退路を切られていた」
「結果は?」
「機体は中破。操縦者は三か月入院だ」
クロードの声音は淡々としていた。
だからこそ現実味があった。
「一匹目を倒した時点では勝っていたつもりだったんだろう」
「だが、部隊として見れば完全に負けていた」
綾目は頭の中でその状況を思い描く。
敵を一機撃破する。その代わりに味方の戦線を崩す。それでは勝利とは呼べない。
「だから大事なのは味方との連携だ」
クロードが言った。
「味方に死角を預ける」
「自分が敵を動かし別の誰かに仕留めてもらう」
「自分が決定打を持てないなら決定打を持つ味方が撃てる状況を作る」
「自分で倒すことだけが戦うことではない」
綾目が言う。
「そういうことだ」
クロードが頷いた。
「戦場で必要なのは撃破数を競う英雄じゃない」
「部隊を勝たせる騎士だ」
クロードはテーブルへ肘をつかずまっすぐ綾目を見る。
「騎士学校でも二学期から小隊単位の訓練が始まるはずだ」
「個人の技量は必要だ。だが、戦場ではそれだけじゃ足りない」
綾目はその言葉を頭の中で反芻した。
(役割を分けて戦うことなど考えたこともなかった)
(これまでは自分一人で完結する戦い方ばかり考えていた)
(でも、これからは――違うのかもしれない)
会話が一段落したところで、クロードが思い出したように続けた。
「そういえば例のステルス機への対策も少しずつ形になっているらしい」
「ステルス機への?」
「俺も詳しいことまでは聞いていない」
「回収された機体のセンサー記録や外装データから探知方式を洗い直しているそうだ」
「対抗用のセンサーモジュールも試作段階に入ったらしい」
「まだ数は揃っていないがな」
綾目はテロ事件でのランドメイトを思い出した。自分が撃破した機体が今もどこかで解析されている。あの戦いがすでに次の戦いへつながり始めていた。
クロードはそれ以上詳しくは語らなかった。
◇
夜。
ガイウス、リーナ、レオン、クロード、エルゼリス、フィア。
そして綾目が同じ食卓についていた。
料理が進む中、クロードが前線での失敗談を話し始める。
「それでな。格好よく指示を出した直後、俺の機体だけぬかるみに足を取られてな」
「兄上だけが転倒したのですか?」
フィアが目を輝かせる。
「そうだ。部下たちは全員きれいに避けたのに隊長だけが見事に転んだ」
フィアが声を上げて笑った。
「その話、少し盛っているだろう」
レオンが穏やかに指摘する。
「本当は指示を出す前から足元が怪しかったはずだ」
「兄上は都合の悪い部分を省略しています」
エルゼリスも続けた。
クロードが大げさに肩をすくめる。
「二人揃って手厳しいな」
リーナが料理の皿を綾目の方へ寄せた。
「綾目さん、こちらもどうぞ」
「ありがとうございます」
「綾目様、デザートは別腹です」
フィアが得意げに言う。
綾目は少し考えた。
「医学的な根拠は分かりませんがまだ食べられそうです」
「真面目に検討するところじゃないぞ、それ」
クロードが吹き出す。
食卓に笑いが広がった。
綾目はその光景を静かに見渡した。
(家族の食卓に自分が混じっていいのだろうか)
だが誰も綾目がそこにいることを不自然に思っていない。
席が用意されている。
料理を勧められる。
話を振られる。
笑いの中へ自然に入れられている。
(……こういうの、いいな)
◇
数日後。
まずレオンが婚約者のもとへ顔を出すため、屋敷を発つことになった。
「楽しかったよ」
玄関先でレオンが言った。
「……またいつでも遊びに来てくれ」
「はい。ありがとうございました」
「次はもう少し厳しくてもよさそうだね」
「望むところです」
綾目が答えるとレオンは穏やかに笑った。
「楽しみにしている」
レオンを乗せた車両が屋敷の門を出ていく。
その翌日。
今度はクロードが慌ただしく出発の準備をしていた。
「いやあ、うちのに怒られてな」
「休みが取れたなら実家より先に顔を見せろって」
「当然だと思います」
エルゼリスが即答した。
「妹まで冷たいな」
クロードが苦笑する。
「お気をつけて」
綾目が言った。
「おう。またな、綾目」
クロードは一度笑い、それから少しだけ真面目な顔になった。
「二学期の連携訓練で困ったらエルゼを頼れ」
「こいつは教えるのが少し堅いが信用はできる」
「余計な一言です、兄上」
エルゼリスは照れを隠すように少し強い口調で言った。
「褒めてるんだぞ」
「最後の一言がなければ素直に受け取れました」
「相変わらず堅いな」
クロードは笑いながら屋敷を出ていった。
兄たちが去った屋敷は数日前までとは別の場所のように静かだった。
(……少し寂しい)
綾目はそんな感情を抱いた自分に気づく。
以前なら誰かがいなくなってもただ静かになったとしか思わなかった。
今は違う。
賑やかな時間が終わったことを惜しいと感じていた。
◇
フィアはそんな綾目とエルゼリスの様子を、少し離れた場所から見ていた。
二人は以前より自然に話している。
訓練でも息が合う。
綾目も屋敷にすっかり馴染んでいる。
それでも二人は今も互いを「比良坂さん」「エルゼリスさん」と呼んでいた。
(お姉様と綾目様はもう十分仲良しです)
(でも二人とも真面目すぎます)
(誰にも邪魔されずにもっと素直に話せる場所があれば……)
フィアは少し考え、ヒルデのもとへ近づいた。
「ヒルデ。少し相談があります」
「どのようなことでしょうか?」
フィアは意味ありげに微笑んだ。




