表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。

悪役令嬢シリーズ

【短編版】悪役令嬢ですが、今日は私が王国を救います――ただし婚約破棄の条件付きで

作者:
掲載日:2025/11/08

 舞踏会場に響いたのは、割れるグラスの音ではなく、私の心臓の鼓動だった。

 王太子アルフレッド殿下の声は、いつもより低く、冷たかった。 まるで宣告のように。

「エレナ・フォン・リヒテンベルク。 この場において、我が婚約の破棄を宣言する」

 会場が静まり返る。 貴族たちの視線が一斉に私へ集中した。 好奇、嘲笑、憐憫――様々な感情が入り混じった視線が、私の身体を貫いていく。

 私は背筋を伸ばしたまま、殿下を見つめ返した。

「理由をお聞かせ願えますか、殿下」

 声は震えなかった。 リヒテンベルク伯爵家の令嬢として、七年間この立場を守ってきた誇りが、私を支えていた。

「君は傲慢で、他者を見下し、貴族社会に相応しくない振る舞いを繰り返してきた。 特に、侯爵令嬢マリアンヌ嬢への執拗な嫌がらせは、王太子妃としての資質に欠けると判断せざるを得ない」

 殿下の隣で、金髪の少女――マリアンヌ・ド・サヴォワが涙を浮かべて俯いている。 彼女は三ヶ月前、辺境の侯爵家から社交界にデビューした新星だった。 清楚で優しく、誰からも愛される性格。 そして、どうやら殿下の心を奪うことにも成功したらしい。

「嫌がらせ、ですか」

 私は静かに笑った。 それは自嘲でも、諦めでもない。 ただの事実確認だ。

「私がマリアンヌ嬢に指摘したのは、宮廷作法の誤り、服装規定の不備、そして王家への敬語の使い方です。 それが嫌がらせと映ったのであれば、私の教育方針が間違っていたのでしょう」

「エレナ! 君はまだ自分の非を認めないのか!」

 殿下の声が荒くなる。 周囲の貴族たちがざわめいた。

 私は深く息を吸い込んだ。 もう、何を言っても無駄だと悟っていた。 殿下の心はすでに決まっている。 この舞踏会は、婚約破棄の舞台として用意されたものだったのだ。

「承知いたしました。 殿下の決定に、異議はございません」

 私は完璧なカーテシーで一礼すると、背を向けた。

 貴族たちの囁きが、背中に突き刺さる。

「やはりリヒテンベルクの令嬢は冷血だわ」

「あれでは婚約破棄も当然よね」

「悪役令嬢の末路ね」

 悪役令嬢。

 いつからか、私はそう呼ばれるようになっていた。 規則を重んじ、作法に厳しく、感情を表に出さない私を、社交界は「悪役」と名付けた。

 でも、それでよかった。

 傷つかないように、裏切られないように、私は鎧を纏ってきたのだから。

 舞踏会場を出ると、夜風が頬を撫でた。 秋の終わりの冷たい風が、ドレスの裾を揺らす。 遠くの街灯が、石畳を淡く照らしている。

 私はゆっくりと階段を降りた。 一段、また一段。 足音だけが静寂に響く。

 七年間。

 私は王太子妃になるために、全てを捧げてきた。 幼い頃から宮廷作法を学び、古代語を習得し、魔術の訓練を受け、外交の勉強をし、夜遅くまで歴史書を読み漁った。

 父も母も、私の努力を誇りに思ってくれていた。 リヒテンベルク家の栄光のため、王国の未来のため、そして何より、殿下のために。

 だが、全ては無駄だった。

 殿下が求めていたのは、完璧な王太子妃ではなく、か弱く優しい少女だったのだ。

 馬車に乗り込もうとしたとき、後ろから声がかかった。

「エレナ様」

 振り返ると、宮廷魔術師のエドガー老師が立っていた。 白髭を蓄えた老人は、王国最高峰の魔術師であり、私の魔法の師でもある。

「老師……」

「少し、お話しできますか。 とても重要なことです。 いえ、王国の命運に関わることです」

 老師の表情は、いつになく深刻だった。 その目には、切迫した光が宿っている。

 私は頷き、老師に従って宮殿の奥へと向かった。

 案内されたのは、宮廷魔術師たちが使う研究室だった。 壁一面に古文書が並び、中央の大きな机には、開かれた羊皮紙が広がっている。

 老師は扉に鍵をかけると、深刻な面持ちで私を見た。

「エレナ様、まずは先ほどの件、心よりお悔やみ申し上げます。 しかし今、それ以上に深刻な事態が起きているのです」

「深刻な事態?」

「王国を守る『永久防壁ルーフェンシールド』はご存知でしょう」

「もちろんです。 建国王アルトゥールが魔獣の侵攻を防ぐために張った、王国全土を覆う結界ですね」

 それは伝説として語り継がれている。 三百年前、魔獣が跋扈していた時代、初代国王が魔術師たちと共に構築した巨大な防御結界。 以来、王国は魔獣の脅威から守られてきた。

「その結界が……崩壊しかけています」

 老師の言葉に、私は息を呑んだ。

「なんですって?」

「今夜、王宮の結界観測所で異常な魔力の乱れが検知されました。 調査の結果、『永久防壁』の核となる魔力供給源が枯渇しつつあることが判明したのです。 このままでは、三日後には完全に消失してしまう」

 三日。

 結界が消失すれば、魔獣が王国全土に侵入する。 数週間で王都は陥落し、民衆は逃げ惑い、血が流れ、全てが灰燼に帰すだろう。

「宮廷魔術師たちは総出で修復方法を探しました。 そして、この古文書に辿り着いたのです」

 老師は机の上の羊皮紙を指差した。

 それは建国当時の言葉で綴られた古文書だった。 私は幼い頃から古代語を学んでいたため、解読は可能だ。

 私は文書に目を通し始めた。

『永久防壁の修復には、三つの条件を満たす者が必要である』

『第一に、王家の血を引く者との婚約を結びし者』

『第二に、その婚約を不当に破棄されし者』

『第三に、己の誇りを失わぬ者』

『この三条件を満たす令嬢のみが、辺境の『古き祭壇』にて結界の核を再構築できる』

 文字を読むほどに、私の手が震えた。

 これは――

「エレナ様。 あなたしかいないのです」

 老師の目は、真剣そのものだった。

「王家の血を引く者――王太子殿下との婚約。 不当に破棄された者――今夜の出来事。 そして、己の誇りを失わぬ者――あなたは、舞踏会場で一度も涙を見せなかった。 背筋を伸ばし、最後まで令嬢としての誇りを保っていた」

 私は羊皮紙を見つめた。

 建国王は、これを予見していたのだろうか。 王家が腐敗し、誠実な者が不当に扱われる時代が来ることを。

「『古き祭壇』は辺境の霧深き森の奥、王都から馬で二日の距離にあります。 つまり、明日の朝には出発しなければ間に合いません」

 老師は私の手を取った。

「お願いします、エレナ様。 王国を救ってください。 あなたにしか、できないのです」

 私は窓の外を見た。

 夜空には星が瞬いている。 この美しい王国が、三日後には魔獣に蹂躙される。

 それを防げるのは、私だけ。

 婚約を破棄され、悪役令嬢と罵られた私だけ。

 皮肉なものだ。

 だが、私の心は既に決まっていた。

「一つ、条件があります」

 私は老師を見た。

「この件が成功したら、殿下に伝えてください。 婚約破棄の条件は受け入れますが、私は二度と王家に関わらない、と。 そして、この件は秘密にしてください。 私は英雄になりたいわけではありません」

「……承知しました」

 私は立ち上がった。

「準備をします。 夜明けとともに出発しましょう」

 老師は深く頭を下げた。

「ありがとうございます、エレナ様。 あなたこそが、真の王国の守護者です」

 私は苦笑した。

「悪役令嬢が、王国の守護者ですか。 笑えない冗談ですね」

 だが、心のどこかで思っていた。

 これが、私の道なのかもしれない、と。

 * * *

 翌朝、私は従者も連れずに単身で王都を発った。

 老師は同行を申し出たが、断った。 高齢の老師を危険な旅に巻き込むわけにはいかない。 それに、これは私個人の旅でもある。

 自分自身と向き合うための、旅。

 愛馬のルナに跨り、王都の門を抜ける。 門番は私に一礼したが、その目には困惑の色があった。 おそらく、昨夜の婚約破棄の噂はすでに広まっているのだろう。

 構わない。

 私は前だけを見て、馬を走らせた。

 王都を離れるにつれ、風景は荒涼としていく。 整備された街道から、徐々に獣道へと変わっていく。 道の両脇には枯れた草木が広がり、遠くには険しい山々が連なっている。

 秋の風が冷たい。 マントを羽織っていても、身体の芯まで冷えていくようだ。

 昼過ぎ、小さな村で休憩を取った。 宿屋の主人は、私の服装を見て驚いた顔をしたが、何も聞かずに部屋を用意してくれた。

 部屋で一人になると、私は窓から外を眺めた。

 この村も、結界が消失すれば魔獣に襲われるだろう。 平和な日常が、一瞬で地獄に変わる。

 それを防ぐために、私は旅立った。

 夕食の席で、宿屋の主人が話しかけてきた。

「お嬢さん、どちらへ?」

「辺境の森へ」

「……霧深き森ですかい?」

 主人の顔が曇った。

「あそこは危険です。 魔獣が出ると噂されている。 それに、近頃は結界の調子がおかしいとかで、魔獣の目撃情報が増えているんです」

「知っています」

 私は静かに答えた。

「だから行くのです」

 主人は何か言いかけたが、私の表情を見て黙り込んだ。 代わりに、温かいスープを追加で持ってきてくれた。

「お気をつけて。 無事に戻ってきてくださいよ」

 主人の優しさが、胸に染みた。

 翌朝、夜明け前に宿を発った。

 森への道は険しく、馬も次第に進みづらくなる。 昼過ぎには馬を村に預け、徒歩で森へ入ることにした。

「ルナ、ここで待っていて」

 愛馬の頭を撫でる。 ルナは不安そうに私を見つめたが、やがて諦めたように鼻を鳴らした。

「必ず戻ってくるから」

 私は背嚢を背負い、森へと向かった。

 霧深き森。

 その名の通り、森は濃い霧に覆われていた。 視界は数メートル先までしか利かない。 木々の間から漏れる光は弱く、昼間だというのに薄暗い。

 足元は不安定で、時折根に足を取られそうになる。 私は慎重に、一歩ずつ進んでいく。

 森の中は静かだった。 鳥の声も、虫の音も聞こえない。 ただ、自分の足音と呼吸音だけが響いている。

 この静寂が、逆に不気味だった。

 私は腰の短剣を確認し、魔力を練り始めた。

 リヒテンベルク家は代々、防御魔術を得意としてきた。 私も幼い頃から訓練を受け、ある程度の戦闘魔術は使える。

 霧の中を進むこと数時間。

 突然、前方で何かが動いた。

 私は立ち止まり、魔力を集中させる。

 霧の向こうから現れたのは、灰色の毛皮を持つ巨大な狼だった。

 魔獣。

 体長は普通の狼の三倍はある。 赤く光る瞳が、私を値踏みするように見つめている。 口からは涎が垂れ、鋭い牙が覗いている。

「やはり、結界が弱まっているのね」

 私は短剣を抜いた。

 魔獣が低く唸り声を上げる。 全身の筋肉が緊張し、今にも飛びかかってきそうだ。

 次の瞬間、魔獣は跳躍した。

 私は地面に魔力を流し込み、『防壁シールド』を展開する。

 透明な障壁が魔獣の牙を受け止めた。 衝撃で後ろに数歩下がるが、なんとか耐える。 腕が痺れ、足が震える。

「『雷撃サンダーボルト』!」

 右手から放たれた電撃が、魔獣の側面を打つ。 魔獣は悲鳴を上げて飛び退いた。 毛皮が焦げ、血が滲んでいる。

 しかし、すぐに体勢を立て直し、再び襲いかかってくる。

 私は冷静に、老師から学んだ戦闘魔術を展開していく。 防御と攻撃を繰り返し、徐々に魔獣を追い詰めていく。

 魔獣の動きが鈍くなってきた。 今だ。

 私は魔力を短剣に込め、全力で踏み込んだ。

「せいっ!」

 魔力を纏った刃が、魔獣の急所を貫いた。

 魔獣は断末魔の叫びを上げ、霧の中に倒れ込んだ。 巨体が地面に沈み、やがて動かなくなる。

 私は荒い息を整えながら、周囲を警戒する。

 他の魔獣はいないようだ。

 だが、魔力の消耗は激しい。 全身から力が抜け、膝が笑っている。 このペースでは、祭壇に辿り着く前に力尽きてしまう。

 それでも、進むしかない。

 私は背嚢から水筒を取り出し、一口飲んだ。 冷たい水が喉を潤す。

 深呼吸をして、魔力を回復させる。

 そして、再び歩き始めた。

 森はどこまでも続いている。 霧は一向に晴れる気配がなく、時間の感覚すら曖昧になっていく。

 どれだけ歩いただろうか。

 足が棒のようになり、視界が霞んできた。 それでも、私は歩き続けた。

 途中、二度ほど魔獣に遭遇したが、なんとか撃退した。 だが、魔力はほとんど底をついている。

 もう、戦えない。

 それでも、私は前に進んだ。

 そして、ようやく――

 霧が晴れ始めた。

 目の前に現れたのは、円形の石造りの祭壇だった。

 中央には古代の文字が刻まれた石碑が立ち、その周囲には複雑な魔法陣が描かれている。 魔法陣からは微かに光が漏れ、神聖な雰囲気を纏っている。

 これが『古き祭壇』――結界の核を再構築する場所。

 私は祭壇の中央へとよろめきながら進んだ。

 足が縺れ、何度も転びそうになる。 だが、石碑まで辿り着いた。

 石碑に手を触れると、微かに温かい。 魔力が残っているのを感じる。

 古文書に記されていた呪文を思い出す。

 私は深呼吸をし、残された魔力を全身に巡らせた。

「我、不当なる破棄を受けし者」

 声が祭壇に響く。 魔法陣が反応し、光が強まっていく。

「我、誇りを失わぬ者」

 石碑から温かい光が溢れ出す。 それは私の身体を包み込み、失われた魔力を補っていく。

「我が魔力を以て、王国を守る盾とならん」

 その瞬間、私の意識は別の場所へと飛ばされた。

 そこは、真っ白な空間だった。

 目の前に、甲冑を纏った男が立っている。 金色の髪、青い瞳、王冠を戴いた姿。 その存在感は圧倒的で、まるで太陽のようだった。

「建国王……アルトゥール?」

「よくぞ来てくれた、令嬢よ」

 男――建国王の幻影は、穏やかに微笑んだ。

「君は条件を満たした。 不当に扱われながらも、誇りを失わなかった。 それこそが、真に王国を守る資格だ」

「でも、なぜこんな条件を……」

「未来を見通したわけではない」

 建国王は石碑を見た。

「ただ、人の世の常として、権力は腐敗し、誠実な者が虐げられる時が必ず来ると知っていた。 王家に媚びる者、権力に取り入る者、そういった者たちは、いざという時に王国を守ることはできない。 なぜなら、彼らは自分の利益しか考えていないからだ」

 建国王は私を見つめた。

「だが、不当に扱われながらも誇りを失わない者は違う。 そういう者は、自分の信念のために戦える。 王国のために、民のために、自らを犠牲にできる」

「私は……犠牲になんて」

「そうだ、君は犠牲ではない」

 建国王は優しく笑った。

「君は自分の意志で、ここに来た。 誰かに強制されたわけでも、報酬を求めてきたわけでもない。 ただ、王国を守りたいという純粋な想いで、ここに辿り着いた」

 建国王は私の頭に手を置いた。

「エレナ・フォン・リヒテンベルク。 君は自分を『悪役令嬢』だと思っているかもしれない。 だが、真実を見る目を持ち、正しいことを貫く勇気を持つ者こそが、真の英雄なのだ」

 その言葉に、私の目から涙が溢れた。

 今まで、誰もそんなことを言ってくれなかった。

 私はただ、正しいと信じることをしてきただけだった。 それが、他者からは傲慢に映り、冷酷に見えていた。

 だが、建国王は私を認めてくれた。

「さあ、君の魔力を結界の核に注ぎ込むのだ。 君の意志が、今後三百年の王国を守る礎となる」

 私は涙を拭い、目を閉じた。

 全身の魔力を、一点に集中させる。

 それは、これまで経験したことのない量の魔力だった。 身体の奥底から、これまで眠っていた力が湧き上がってくる。

 それは、リヒテンベルク家に代々受け継がれてきた、防御魔術の真髄。

 そして、私自身が七年間、誇りを守るために身につけてきた、心の鎧。

「我が名はエレナ・フォン・リヒテンベルク」

 魔力が渦を巻く。 石碑から放たれる光が、さらに強まっていく。

「悪役令嬢と呼ばれようとも、私は私の誇りを貫く」

 光が眩しさを増していく。 もう、目を開けていられない。

「この魔力を以て、王国を守る盾とならん!」

 その瞬間、巨大な魔力の奔流が石碑から放たれた。

 それは天へと昇り、見えない天蓋となって王国全土を覆っていく。

 結界が、再構築される。

 私の身体が光に包まれる。 温かくて、優しくて、まるで母の腕の中にいるような感覚。

 建国王の声が、遠くから聞こえた。

「ありがとう、エレナ。 君は王国の真の守護者だ」

 私の意識は現実へと戻った。

 祭壇の中央で、私は膝をついていた。 全身から力が抜け、立っていられない。

 だが、胸には温かいものが広がっていた。

 やり遂げた。

 王国を、救った。

 私は空を見上げた。

 霧は完全に晴れ、青空が広がっている。 木々の間から、柔らかな日差しが降り注いでいる。

 美しい。

 この景色を、守ることができた。

 私はそのまま、祭壇の上で眠りに落ちた。

 * * *

 目覚めたのは、翌日の朝だった。

 身体は驚くほど軽く、魔力も完全に回復していた。 それどころか、以前よりも魔力が増しているような感覚がある。

 祭壇を後にし、森を抜ける。

 帰路は往路よりも楽だった。 結界が完全に再構築されたため、魔獣の姿は一つも見なかった。 霧も晴れ、道も明瞭に見える。

 村に戻り、ルナを受け取る。 宿屋の主人は、私の無事な姿を見て安堵の表情を浮かべた。

「お嬢さん! 無事だったんですね! 結界が復活したんですってね。 王都から使者が来て、知らせてくれました」

「そうですか」

「英雄が現れたって話です。 誰だか分からないけど、王国を救ってくれたって。 その英雄に、王様から最高の栄誉が授けられるそうですよ」

 私は微笑んだ。

「きっと、素敵な人でしょうね」

 王都への帰路、私は様々なことを考えた。

 これから、どう生きるべきか。

 王家との関わりは絶つと決めた。 もう、あの場所に私の居場所はない。

 ならば、新しい道を探そう。

 リヒテンベルク家の領地に戻り、領民のために働くのもいい。 あるいは、魔術師として王国各地を旅し、困っている人々を助けるのもいい。

 選択肢は、無限にある。

 王都に到着したのは、四日目の夕方だった。

 宮殿の門前で、老師が待っていた。

「エレナ様……!」

 老師は涙を浮かべて駆け寄ってきた。

「お待ちしておりました。 結界は完璧に修復されました。 王国中が、英雄に感謝しています」

「老師、殿下には伝えましたか?」

「はい。 婚約破棄の件は正式に受理されました。 そして、あなたが王家と関わらないという条件も、殿下は了承されました」

「そうですか」

 私は空を見上げた。

 夕焼けが、王都を赤く染めている。

「では、私は帰ります」

「エレナ様」

 老師は私の手を握った。

「あなたは英雄です。 歴史に名を残すべき人物です。 しかし、あなたはそれを望まない。 それもまた、あなたらしい」

「私は悪役令嬢ですから」

 私は笑った。

「表舞台ではなく、影から王国を支える。 それが私の役割です」

「……あなたは、本当に強い」

「いいえ、老師。 私はただ、自分の誇りを守っただけです」

 私は老師に一礼すると、馬に跨った。

「では、また」

「エレナ様、どうかお元気で」

 馬を走らせ、王都を後にする。

 夕日を背に、私は新しい道へと進んでいく。

 悪役令嬢と呼ばれようとも、私は私の人生を生きる。

 誇りを胸に、自由に。

 * * *

 それから一ヶ月後。

 リヒテンベルク領の執務室で、私は領地の書類に目を通していた。

 父は私の帰還を温かく迎えてくれた。 婚約破棄のことも、王国を救ったことも、全て知った上で。

「お前は立派だった」

 父はそう言って、私を抱きしめてくれた。

「リヒテンベルクの誇りだ」

 今、私は領地経営に携わっている。 民政、税制、防衛――全てが新鮮で、やりがいがある。

 そして何より、ここには私を「悪役令嬢」と呼ぶ者はいない。

 領民たちは私を「エレナ様」と呼び、笑顔で接してくれる。 子供たちは私を見ると駆け寄ってきて、「今日は何を教えてくれるの?」と目を輝かせる。

 私は週に二度、村の子供たちに読み書きを教えている。 最初は戸惑いもあったが、今では私にとって大切な時間になっている。

 執務室の窓から、領地の風景が見える。

 畑で働く農民たち、市場で賑わう商人たち、広場で遊ぶ子供たち。

 これが、私が守った王国の一部。

 これが、私の居場所。

 ノックの音がして、侍女が入ってきた。

「エレナ様、王宮から手紙が届いております」

「王宮から?」

 手紙を受け取ると、それはエドガー老師からのものだった。

 封を開けると、短い文面が記されていた。

『王国は平和です。 結界は完璧に機能しています。 あなたの功績は、密かに王国史に記録されました。 未来の誰かが、あなたの勇気を知るでしょう。 どうか、幸せに』

 私は手紙を胸に当てた。

 窓の外で、夕日が沈んでいく。

 明日も、新しい一日が始まる。

 悪役令嬢と呼ばれた私の、新しい物語が。

 だが今、その称号は呪いではなく、誇りとなった。

 なぜなら、悪役令嬢こそが王国を救ったのだから。

 私は微笑みながら、次の書類に目を通し始めた。

 机の上には、村の子供たちが作ってくれた花の冠が置いてある。 不格好だけれど、愛情がこもった贈り物だ。

 私はそれを手に取り、頭に乗せてみた。

 鏡に映る自分を見る。

 かつての完璧な王太子妃候補ではなく、少し疲れた顔をした、でも確かに微笑んでいる令嬢がそこにいた。

 これが、私。

 エレナ・フォン・リヒテンベルク。

 悪役令嬢と呼ばれようとも、自分の道を選んだ女性。

 ふと、窓の外に視線を向けると、夜空に星が輝き始めていた。

 あの夜、舞踏会場で見上げた星と同じ。

 だが、今見る星は、あの時よりもずっと美しく見えた。

 なぜなら、私は自由だから。

 誰かのための人生ではなく、自分のための人生を生きているから。

 遠くで、教会の鐘が鳴った。

 一つ、二つ、三つ――

 夜を告げる鐘の音が、静かに響いている。

 私は書類を片付け、ランプを消した。

 明日は早朝から、領地の視察がある。 農民たちと話し、問題を聞き、解決策を考える。

 それが、私の仕事。

 それが、私の誇り。

 部屋を出る前に、もう一度窓の外を見た。

 王都の方角に、微かに光が見える。

 あそこでは今も、宮廷の舞踏会が開かれているのだろう。 貴族たちが着飾り、社交辞令を交わし、権力争いに明け暮れている。

 かつての私も、あの世界にいた。

 だが、もう戻ることはない。

 私は扉を閉め、自室へと向かった。

 廊下を歩きながら、ふと思う。

 もし、婚約破棄されなかったら。

 もし、あのまま王太子妃になっていたら。

 私は幸せだっただろうか。

 答えは、ノーだ。

 殿下が求めていたのは、私ではなかった。 私がどれだけ努力しても、彼の心を満たすことはできなかっただろう。

 ならば、婚約破棄は祝福だったのかもしれない。

 私を、本当の私へと導いてくれた。

 自室に入り、ベッドに横たわる。

 疲れているはずなのに、心は穏やかだった。

 目を閉じると、建国王の言葉が蘇る。

「君は真の英雄だ」

 英雄。

 私は英雄になりたかったわけではない。

 ただ、正しいと思うことをしただけ。

 それが結果的に、王国を救うことになった。

 悪役令嬢が、王国を救う。

 物語としては、皮肉に満ちている。

 でも、それでいい。

 私は私の道を歩む。

 誰に何と言われようとも。

 そう思いながら、私は眠りに落ちた。

 夢の中で、私は再び祭壇にいた。

 建国王が微笑みながら、私に言う。

「よくやった、エレナ。 君の選んだ道は、正しかった」

 私は笑顔で答えた。

「ええ、分かっています」

 そして――

 新しい朝が、やってきた。

 鳥のさえずりで目を覚ます。

 窓から差し込む朝日が、部屋を明るく照らしている。

 私は伸びをして、窓を開けた。

 新鮮な空気が、肺を満たす。

 今日も、いい一日になりそうだ。

 悪役令嬢エレナ・フォン・リヒテンベルクの、新しい一日が始まる。

 そして、この物語は――

 ここで、幕を閉じる。

 だが、エレナの物語は、まだ続いていく。

 誇りを胸に、自由に、彼女は生きていく。

 それが、悪役令嬢が選んだ、真の幸福。


《完》

読んで頂きありがとうございます(T^T)

楽しんでいただけましたら評価・感想お願いしますm(_ _)m

長編版を出しました!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
これぞ見事なパッピーエンドだと思う。 面白かったです。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ