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~天才錬金術師は、隠居ライフでお気楽な家族食堂を営みます~  作者: けもこ


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9/15

7話:覆面調査

朝の港はからっと晴れ。黒板の札はこうだ。


きょうの実験——「三温帯(さんおんたい)パスタ」


カイが砂時計を三つ並べる。30秒・45秒・60秒。

「カイ、動線チェックも忘れないで」

「入口→注文→見える鍋→小窓→受け渡し。よし」

店内を見渡しながら指さし確認をしている。上出来。


昼前、旅人ふうの二人が入ってきた。質素な身なりの割に、やけに手がきれい。

男の方は店に入る前に、外の店構えを確認して、小さいノートに何か書いていた。


いつの間にか外に来ていたヨナが、扉の外でこっそり親指を下に。妖しいぞ、の合図。

(ヨナ......こんなにしょっちゅう店に来ていたら、仕事をクビにならないか心配)


私は客に向かってカウンター席を指した。

「よかったら、ここ。厨房の手元がよく見えますよ」

二人は顔を見合わせ、無表情のまま座った。


三つの鍋、三つの温度


私は火口を三つ。


右:高温(旨)


真ん中:中温(酸)


左:低温(甘)


カイが“匂い帳”に短く走り書き。


ひだり=やわ/まんなか=すっ/みぎ=ぐっ


「パスタは七割ゆで。仕上げで三方向に分けますね」

カウンター越しの二人に解説を入れる。


まず左、甘。玉ねぎをゆっくり。色はつけない。

真ん中、酸。朝採れのトマトを細かく刻みミントと合わせる。

右、旨。海藻バターにアンチョビ、じゅっと音。


「時間差は香りの階段。上から食べるとだんだん深くなりますから」


砂時計が落ちる。

私は湯から上げたパスタを三つに分け、それぞれの鍋で短距離走みたいに仕上げる。

右は60秒で厚み、真ん中は45秒でキレ、左は30秒でやさしさ。

仕上げは一皿に三層で盛る。上=酸、中=甘、下=旨。


目の前のカウンターに皿を出すと、旅人ふうの二人は無言でフォークを回す。

上をひと口。女の人の眉がわずかにほどける。

中をひと口。男のフォークが止まり、何やら手元のノートに一言を書き付ける。

下をひと口。二人とも、息を小さく吐いた。


「——質問だが」咳ばらいをしたあと、男が低い声で話しかける。

「油は? 粉は? “銀砂ぎんさ”は使っていないのか?」


「油は香味油だけ。香りだけ貰っているわ。粉は寒天系。気になるなら瓶テストしますけど」

私はグラスと小瓶(水:酢=10:1)を出す。カウンターでぱっとテスト。

粉はすぐ澄んで、底に砂は残らない。

男が、ノートに「白濁→消 残渣なし」と記している。


二人は食べ切り、淡々と勘定。帰りぎわ、男が箸袋に挟んだ紙を置いた。


評価

衛生◎/導線◎/科学性◎

改善:黒板の価格、もう少し大きく

——王都監査局・外食部


男が言う。

「今さらですが......監査局の覆面調査です」

女が黙ってカバンを探る。

「監査済みとして表の看板にこちらの札をおかけください」

そして、監査局の紋章の入った木札を置いて出て行った。


午後。

客が途切れたすきに、私は裏の倉庫へと向かった。

鍵を回す。以前には無かった遊びがある。

「やっぱり......鍵がおかしいわ」


店に戻って昨夜話したことが、気のせいでは無かったとカイに告げる。

「誰か、夜に入ってるってことだよね」

「はっきりとは、分からないわ。けど、何かおかしいことは確かよ。しばらくは粉類の扱いの前には瓶試験をきちんとしましょう」

「俺、夜中に倉庫の番をしようか」

鼻息の粗いカイを見下ろして、ふぅとため息をつく。

「ダメよ。絶対に妖しい人を見つけても追いかけたりしないで。危ないから」

ぷぅと頬を膨らませて拗ねた様子を見せる。

絶対に勝手なことをしないように指切りをさせた。


黒板の端に線を足す。


今日は“三温帯”。

夜になる前に、鍵を見直そう。


夕方、扉の鈴がなって、エトワールが入って来た。

監査官の服は来ていない。

「昼の評価票、見たか?」

「ありがとう。あなたが彼らを寄越してくれたんでしょう?」

最近できたばかりのこの店は、監査の順番でいえばかなり後になるはずなのだ。

「王都監察官の信任があるという札が少しは守ってくれるだろう。」

監査札があれば、ギルドの査察は必要ない。おかげで、店を荒らされることが無くなってホッとする。

「何が動いているの?」

カイに聞こえない程度に彼に聞く。

「何が? それは知らんな」

彼はそれだけ言って去った。


カイが黒板にいたずら書きしている。


みえる=あんしん

リリアは男にウケがいい。


私は「こらこら」と、笑って消し、もう一度書いた。


みえる=あんしん=また来たい


カイがその下にまた余計なことを書いている。

——イイ女がいます


「こらこら」と言ってまた消しておいた。

カイはふざけたように笑い、外を走りながら声をかける友達に誘われ出て行った。

「ごめん、後で片づけするから——」


港の風は涼しく、鍋はカラ。

走って行くカイの背中を笑って見ながら、表の看板を「本日閉店」と裏返す。


◇◇◇実験メモ◇◇◇


三温帯パスタ(甘→酸→旨/一皿で“時間差”)


目的:一皿で味の“階段”をつくる。上から食べると、酸→甘→旨で深まる。

合言葉:温度を分ける/時間をずらす/最後は一皿


【0】 ベース

乾燥パスタ:10

茹で湯の塩:0.8〜1.0%(水100に塩0.8〜1)

茹で時間:表示の**70%**で上げる(仕上げで完走)


【A】 甘ゾーン(低温/“蜜玉”)

玉ねぎ薄切り:10

油:1

水:5

塩:0.2

作り方:弱火で色をつけず10〜15分。とろっとしたらOK。

仕上げ:茹で上げパスタ1/3を入れて30秒ゆらす。


【B】酸ゾーン(中温/“柑トマ”)

トマト(粗くつぶす):6

海藻だし:4

柑皮粉:0.1

塩:0.3

作り方:中火でさっとまとめる(煮詰めすぎない)。

仕上げ:パスタ1/3を入れて45秒。最後に柑をひとかけ。


【C】 旨ゾーン(高温/“海バター”)

バター:2

海藻粉:0.2

アンチョビ:0.3

海藻だし:3

作り方:強めの火でじゅっと乳化。

仕上げ:パスタ1/3を入れて60秒。胡椒少々(任意)。


盛りつけ(時間差のコツ)

皿の底に旨(C)、中に甘(A)、上に酸(B)。

鍵の塩(細粒塩:柑皮=10:1)をひとつまみ上に。

食べ方の札を添える:上→中→下(酸→甘→旨)。

合図:上はすっ、中はやわ、下はぐっ。フォーク一回転ごとに表情が変わる。


【ミニ動線メモ(覆面対策)】


客目線で“見える鍋”。

瓶テストはカウンターで即。

黒板の価格は大きく(監査の指摘)

鍵は点検リストに追加(朝・閉店時に必ず)

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