7話:覆面調査
朝の港はからっと晴れ。黒板の札はこうだ。
きょうの実験——「三温帯パスタ」
カイが砂時計を三つ並べる。30秒・45秒・60秒。
「カイ、動線チェックも忘れないで」
「入口→注文→見える鍋→小窓→受け渡し。よし」
店内を見渡しながら指さし確認をしている。上出来。
昼前、旅人ふうの二人が入ってきた。質素な身なりの割に、やけに手がきれい。
男の方は店に入る前に、外の店構えを確認して、小さいノートに何か書いていた。
いつの間にか外に来ていたヨナが、扉の外でこっそり親指を下に。妖しいぞ、の合図。
(ヨナ......こんなにしょっちゅう店に来ていたら、仕事をクビにならないか心配)
私は客に向かってカウンター席を指した。
「よかったら、ここ。厨房の手元がよく見えますよ」
二人は顔を見合わせ、無表情のまま座った。
三つの鍋、三つの温度
私は火口を三つ。
右:高温(旨)
真ん中:中温(酸)
左:低温(甘)
カイが“匂い帳”に短く走り書き。
ひだり=やわ/まんなか=すっ/みぎ=ぐっ
「パスタは七割ゆで。仕上げで三方向に分けますね」
カウンター越しの二人に解説を入れる。
まず左、甘。玉ねぎをゆっくり。色はつけない。
真ん中、酸。朝採れのトマトを細かく刻みミントと合わせる。
右、旨。海藻バターにアンチョビ、じゅっと音。
「時間差は香りの階段。上から食べるとだんだん深くなりますから」
砂時計が落ちる。
私は湯から上げたパスタを三つに分け、それぞれの鍋で短距離走みたいに仕上げる。
右は60秒で厚み、真ん中は45秒でキレ、左は30秒でやさしさ。
仕上げは一皿に三層で盛る。上=酸、中=甘、下=旨。
目の前のカウンターに皿を出すと、旅人ふうの二人は無言でフォークを回す。
上をひと口。女の人の眉がわずかにほどける。
中をひと口。男のフォークが止まり、何やら手元のノートに一言を書き付ける。
下をひと口。二人とも、息を小さく吐いた。
「——質問だが」咳ばらいをしたあと、男が低い声で話しかける。
「油は? 粉は? “銀砂”は使っていないのか?」
「油は香味油だけ。香りだけ貰っているわ。粉は寒天系。気になるなら瓶テストしますけど」
私はグラスと小瓶(水:酢=10:1)を出す。カウンターでぱっとテスト。
粉はすぐ澄んで、底に砂は残らない。
男が、ノートに「白濁→消 残渣なし」と記している。
二人は食べ切り、淡々と勘定。帰りぎわ、男が箸袋に挟んだ紙を置いた。
評価
衛生◎/導線◎/科学性◎
改善:黒板の価格、もう少し大きく
——王都監査局・外食部
男が言う。
「今さらですが......監査局の覆面調査です」
女が黙ってカバンを探る。
「監査済みとして表の看板にこちらの札をおかけください」
そして、監査局の紋章の入った木札を置いて出て行った。
午後。
客が途切れたすきに、私は裏の倉庫へと向かった。
鍵を回す。以前には無かった遊びがある。
「やっぱり......鍵がおかしいわ」
店に戻って昨夜話したことが、気のせいでは無かったとカイに告げる。
「誰か、夜に入ってるってことだよね」
「はっきりとは、分からないわ。けど、何かおかしいことは確かよ。しばらくは粉類の扱いの前には瓶試験をきちんとしましょう」
「俺、夜中に倉庫の番をしようか」
鼻息の粗いカイを見下ろして、ふぅとため息をつく。
「ダメよ。絶対に妖しい人を見つけても追いかけたりしないで。危ないから」
ぷぅと頬を膨らませて拗ねた様子を見せる。
絶対に勝手なことをしないように指切りをさせた。
黒板の端に線を足す。
今日は“三温帯”。
夜になる前に、鍵を見直そう。
夕方、扉の鈴がなって、エトワールが入って来た。
監査官の服は来ていない。
「昼の評価票、見たか?」
「ありがとう。あなたが彼らを寄越してくれたんでしょう?」
最近できたばかりのこの店は、監査の順番でいえばかなり後になるはずなのだ。
「王都監察官の信任があるという札が少しは守ってくれるだろう。」
監査札があれば、ギルドの査察は必要ない。おかげで、店を荒らされることが無くなってホッとする。
「何が動いているの?」
カイに聞こえない程度に彼に聞く。
「何が? それは知らんな」
彼はそれだけ言って去った。
カイが黒板にいたずら書きしている。
みえる=あんしん
リリアは男にウケがいい。
私は「こらこら」と、笑って消し、もう一度書いた。
みえる=あんしん=また来たい
カイがその下にまた余計なことを書いている。
——イイ女がいます
「こらこら」と言ってまた消しておいた。
カイはふざけたように笑い、外を走りながら声をかける友達に誘われ出て行った。
「ごめん、後で片づけするから——」
港の風は涼しく、鍋はカラ。
走って行くカイの背中を笑って見ながら、表の看板を「本日閉店」と裏返す。
◇◇◇実験メモ◇◇◇
三温帯パスタ(甘→酸→旨/一皿で“時間差”)
目的:一皿で味の“階段”をつくる。上から食べると、酸→甘→旨で深まる。
合言葉:温度を分ける/時間をずらす/最後は一皿
【0】 ベース
乾燥パスタ:10
茹で湯の塩:0.8〜1.0%(水100に塩0.8〜1)
茹で時間:表示の**70%**で上げる(仕上げで完走)
【A】 甘ゾーン(低温/“蜜玉”)
玉ねぎ薄切り:10
油:1
水:5
塩:0.2
作り方:弱火で色をつけず10〜15分。とろっとしたらOK。
仕上げ:茹で上げパスタ1/3を入れて30秒ゆらす。
【B】酸ゾーン(中温/“柑トマ”)
トマト(粗くつぶす):6
海藻だし:4
柑皮粉:0.1
塩:0.3
作り方:中火でさっとまとめる(煮詰めすぎない)。
仕上げ:パスタ1/3を入れて45秒。最後に柑をひとかけ。
【C】 旨ゾーン(高温/“海バター”)
バター:2
海藻粉:0.2
アンチョビ:0.3
海藻だし:3
作り方:強めの火でじゅっと乳化。
仕上げ:パスタ1/3を入れて60秒。胡椒少々(任意)。
盛りつけ(時間差のコツ)
皿の底に旨(C)、中に甘(A)、上に酸(B)。
鍵の塩(細粒塩:柑皮=10:1)をひとつまみ上に。
食べ方の札を添える:上→中→下(酸→甘→旨)。
合図:上はすっ、中はやわ、下はぐっ。フォーク一回転ごとに表情が変わる。
【ミニ動線メモ(覆面対策)】
客目線で“見える鍋”。
瓶テストはカウンターで即。
黒板の価格は大きく(監査の指摘)
鍵は点検リストに追加(朝・閉店時に必ず)
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