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~天才錬金術師は、隠居ライフでお気楽な家族食堂を営みます~  作者: けもこ


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5話:見えない毒

朝。黒板に新しい札。

きょうの実験——“しずめてます”


カイが横に小さく描き足す。


うかぶ/しずむ/みえなくなる → みえる


開店準備の最中、通りがざわついた。

「子どもがお腹こわしたって!」

市場帰りの人が店先から声をかける。路地の屋台で食べた貝の煮ものが原因らしい。

「ここの油が使われてたって話になってるよ」

どういうことだろう。そんなはずは無い。


すぐに屋台へ向かうと、ソバ入りの香味スープを出している屋台の店主ヒロスが青い顔をしている。

「すまねえ、うちの油をリリアんとこの香味油だって言った客がいて……」

「私の油?」

「ほら、こないだ手に入れた小瓶、ギルドの払い下げで安くもらった。あれを使ってたんだ」


先日、商人ギルドから銀砂と香味油が安く町に払い下げられた。

相場より随分と安いが、匂いを嗅いだカイが眉間に皺を寄せたので、リリアは受け取らなかった。


幸いお腹を壊した子どもは、ちゃんと手当を受けて大事には至らなかったようだ。

しかし、一度放たれた言葉は、まるで波のよう静かに広がり大きくなっていく。


今回の食中毒の原因は、すっかりうちの店の香味油が原因だとされてしまっていた。

それもどうやらあちこちにいるギルドの関係者が吹聴しているようだ。

(新参者は、一度痛い目を見せておけってことかしらね)


平謝りをする店主に、ヒソヒソと周囲で話をしながら遠巻きにしている住民たち。


そこへ、落ち着いた足音が近づく。黒い上着、胸に小さな徽章。

徽章の紋は見慣れた王家のもの。見上げるとそこには、見知った顔があった。


(なぜ、この人がこんな辺鄙な港町にいるの?)

向こうはこちらを気にもしないので、私のことを忘れているのか、気づいていないのか。

まぁ、こちらはエプロン姿に(すす)けたシャツだ、よもや王宮で会った人物と同じとは思いもしないだろう。

あえて、挨拶をする必要もないので、知らんふりをすることにした。


でも、彼のおかげで、ロシュのところのギルドの査察人が輪の中へ入って来れずに遠巻きにしている。

「王宮の上級監察官、エトワールだ。適正取引監査の為に地方を回っていた。偶然とはいえ、食中毒は監査対象だ。念のため確認する。原因は油なのか? これは、貴女の食材か」


切れ長の目がこちらを向いてまっすぐ刺さる。カイが私の袖をきゅっとつかんだ。


「私は、体を壊す物は作らない。誓うわ。なんなら、店で公開テストをやりましょう。見える形で証明したいの」


そう彼に告げると、彼がゆっくりと頷いた。

先導して店に戻る。

テーブルに鍋とガラス瓶を並べた。

不安げなカイを宥めるように話す。

「今日の方法は二つよ。“沈めて澄ます”と“瓶の沈降テスト”。難しいことはしないわ」


一つ目。 鍋で“澄ます”


骨湯を弱火にかけ、卵白を溶いたものを入れる。

「卵白は(あみ)の役目。ちいさな濁りや余分な粉をつかまえて、下へ落とすの」

柑橘を一滴。たんぱくがぎゅっと固まって、濁りを巻き込む。

火を止め、そっと置く。上は透明、下は曇った層。

カイが“匂い帳”に記す。


におい静か/味の線だけ/油はうすく


「さぁ、これで、何も余分なものが入っていない培地の完成。これに香油を垂らせば、香油だけを知ることができるわ」

その言葉に、エトワールが腕を組む。

「確かに、香りと味は嘘をつかない。では、問題の油を確認しよう」

私は自慢の香味油を一滴、澄んだスープに落とす。

「香りが上に浮くわ。舌がしびれたら失格ね。——さあ、どうぞ」


静かな空気。エトワールが匙を口に運び、ひと口飲む。

「舌にしびれは、ない。淡く繊細な風味だ」

いつの間にかヨナがやって来ていて、人垣の後ろでエトワールの所作を見つめている。

エトワールの反応に、周囲の人たちの肩の力が抜けていく。

「気になる人は、一緒に確認して。ただし、大人だけで」

と声をかけると、ヨナが一歩前へ出て、ひと口飲む。そして、周囲に頷いてみせる。

市場の人も少しずつ味見し、次第に周囲の緊張が解けていく。


二つ目。瓶の“沈降テスト”


透明な瓶に水:酢=10:1を入れ、ふたつの瓶に分ける。

「沈む速さとあとに残る白濁を見て。いい粉はすぐ消える。悪い粉はざらっと残る」


ひとつ目の瓶——私の店で使っている寒天粉。ふわっと沈んで、すぐに消える。

ふたつ目の瓶——屋台の保存粉。白い煙みたいな濁りが、いつまでも底にうずく。


エトワールが呟く。

「この濁り。“偽銀砂”か?....噂の銀砂の粗悪品に似ている。舌がしびれるという報告が上がっている」

「銀砂……」ミーナが顔をしかめる。「最近、やけに安くなってる奴だよ」


私は瓶を光にかざし、通りの人にも見えるようにした。

「検証はここで止めるわね。原因の特定は監察の仕事だもの。でも、私の油じゃないことは、この透明が明白にしてくれたわ」

人垣の向こうに妖しい男が二人、こっちの様子を伺った後、立ち去るのが見えた。

あれは、ギルドの人間だ。


町の重かった空気が軽くなる。屋台の店主がしょんぼり頭を下げる。

「すまねえ……」

「大丈夫。今度はウチの店の香油を使ってよね。たくさん使ってくれるなら少しは値引きするから」

そう言って肩を叩いていおいた。


騒ぎが落ち着いたところで、鍋を店先へ出す。

「騒ぎの後のモヤモヤを透明にできるスープを出すわね」

鍋の横には、セリの刻み、塩ゴマ、フライドガーリック、フライドナッツの入った容器を並べる。

「公開のひと口・澄まし。無料。お好きな薬味を乗せてどうぞ」

すぐに列ができる。

スープは静かで温かい。香りは前へ、軽く抜ける。アクセントはお好みで。


まるまる一杯を飲み干したエトワールが、なんとも言えない表情を浮かべて近くに立つ。

「——リリア・ノース、君の店はしばらく監察の監視下だ」

「どうして? 疑いは晴れたでしょう?」

思いもよらない言葉に、思わず言い返す。

何のための公開試験だったのか。


「君の保護を兼ねている。これは、王命だ」

耳元で密かにそれだけ言って、彼は去った。


エトワールの後姿を、意味ありげに見つめていたヨナが、肩をすくめて笑いながら振り向く。

「港の夜祭、屋台を出すんだろ? 区画は取ってある?」

「ええ。海藻だんごを売るわ」

ヨナのおかげで、エトワールの去り際の一言にぼんやりしていた意識が戻って来た。


ミーナが手を叩く。

「じゃ、明日から準備だね!手伝うよ。それと......銀砂の値、また動いた。後で、帳場での話、聞いてね」


厨房に戻りながら、黒板の端に線を一本。


今日は“透明の約束”。

夜祭までに用意しよう。


エトワールの一言を思い出しながら、店先の列を眺める。

不穏な何かが動いているのだろうか。王命......自分の処遇を父が明かしたのか?それとも......


港から上がってくる風が通り抜け、澄ましの湯気を静かに運んだ。


◇◇◇実験メモ◇◇◇


沈降(ちんこう)澄ましスープ & 瓶の沈降テスト


目的:にごりや余分な粉を下へ落として、味と香りの“本体”だけを見せる。

合言葉:沈める → 澄ます → 一滴だけ香り


【1】 沈降澄ましスープ

骨湯(または出汁):100

卵白:1(卵1個分 ≈ 30g/500〜800mlの目安)

粉塩:0.3〜0.5%(薄めから)

柑橘果汁:1〜2滴(たんぱくをまとめる補助)

手順:

出汁を弱火。塩で薄く“線”を作る。

卵白を水少量でほぐし、スープに回し入れ、触らず2〜3分。

柑橘を一滴。濁りが卵白にからみ、下へ。

火を止めて2分置く → 上澄みだけ静かにすくう。

仕上げに香味油 1滴(120mlに対し0.05〜0.1%)で“前抜け”。

失敗回避:沸騰させない。混ぜない。“ほっとく勇気”。


【2】 瓶の沈降テスト(目で見る簡易チェック)

容器:透明瓶 or グラス

液:水:酢=10:1

粉:疑わしい保存粉 or とろみ粉を耳かき一杯

見方

良:粉がすぐ散り、白濁が消える。底にザラが残らない。

怪:白いもやが長く残る/底に砂のような沈殿。

注意:口に入れない。見るだけ。判断は大人が。


【3】 提供プロトコル

一杯:120ml前後。

薬味はお好みで。

掲示:本日の実験「沈めて澄ます」——透明は嘘をつかない。

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