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~天才錬金術師は、隠居ライフでお気楽な家族食堂を営みます~  作者: けもこ


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12話 居場所の完成

第一部終了

——朝一番の潮は、戸口でやわらぐ。

黒板に札を掛ける。

きょうの実験——「港の保存学・初級(塩/酸/熱)」


入口の鈴の下に、もうひとつ紙札を貼った。


〈講習日 本日午後 参加無料・材料費小銭〉


カイが小机の上に綺麗に洗って煮沸した壺を三十本並べ、蓋をコトコトと回して具合を確かめている。蓋の縁に砂糖と塩を擦り込んだので、今日の“実験”は指先から甘じょっぱく始まる。

「姉ちゃん、これ、名札は? “だれの壺”かわかんなくなるよ?」

「用意してあるわ。港の人は縄で、商いの人は布の端切れで名札を縛るの。見ただけで自分の壺がわかるようにね」


午前の客を見送り終えると、港の荷揚げ衆や網の職人、市場の女たちがぽつぽつ集まって来た。

ミーナが戸口で声を張る。

「保存講座、はじまるよー! “銀砂いらず”のやつ!」


リーザがレネの手を引いて、小さく笑いながら席に着く。

奥の席には、乾物屋のボルグも腕を組んで座っている。


今日は、干物はやらないがそのうち塩漬からの干物もやりたいと思う。

ヨナが入口の柱にもたれ、無言で場を見渡す。

視線の端で、戸口の外にギルドの腕章をつけた若い使いがこちらを窺うのが見えた。

やれやれ、ロシュがいなくなってもギルドの見張りはあるわけね。


店の席が埋まったところで、最前列の机に鍋、塩壺、酢瓶、柑皮、海藻粉、甘麹の壺を一列に並べ、黒板に三つの円を描く。

『塩(うごきを留める)/酸(悪さを遠ざける)/熱(形を整える)』


「難しいことはしません。港に昔からある“知恵”を、誰でも同じやり方で再現できるようにします。守りの盾は三つ——塩・酸・熱。これを決まった順番と比で扱えば、銀砂に頼らずとも、十分に冬を越せますよ」


カイが“匂い帳”に書く。

しお=留める/す=前に/あつ=形


「まず、一つ目。塩の比率です」

私は桶に海水を汲み、水と混ぜて味を見る。そして、色の違う器にそれぞれ分けて「どうぞ舐めてみて」と皆のテーブルに配る。

「赤の浅塩は“働く塩”2%。魚や葉物の数日用に、黄色の中塩は“見張る塩”5%。週単位で、青の重塩は“眠らせる塩”10%。長い期間の保存・航海用。そんな風に覚えてください。今日は二つ作ります。“浅塩のいわし”と“中塩の根野菜”」


市場帰りのいわしを手早く開き、2%の塩水に沈める。柑皮粉を指先でひと撫で。隣の桶では、拍子切りにした蕪と人参に5%の塩。重石代わりの石をそっと置く。


「では、二つ目。酸の“針”止め。浅塩のいわしは、柑と酢で“前に抜ける”味の止めを作ります。比は水:酢=5:1。甘さは砂糖0.5%だけ。酸を先に立てず、塩の“線”の上に置く感じです」


鍋で甘酢を一煮立ちさせ、火を止めて冷ます。

「三つ目。熱は“形を決める”——沸かさず、60〜70℃でやさしく。油の膜が薄く張れば、空気から守る蓋になります」

私は小鍋に菜種油を温め、海藻粉をひとさじ。香りを移した。


「では、“いわしの浅塩・柑酢・油の蓋”をやってみますね」

いわしを塩を拭って柑酢にくぐらせ、壺に並べ、最後に“海藻香の油”を落とす。空間が埋まるまで入れて蓋を閉める。

コト、コト、と瓶の口が歌う。客たちはいつの間にか実演のテーブルの周囲で身を乗り出すようにして見ている。リーザが小声でレネに囁く。

「見てごらん、泡が動かないでしょ。匂いが逃げないのよ」


カイが匂い帳に追記。

いわし/塩すじ→柑ふわ→油の蓋


私は次に、大きな桶を出す。

「根野菜は“乳の息”を——乳酸菌の呼吸で長保ちさせます。塩は2%。空気から守るための“重し”は薄い石で。泡が小さくコロコロ立つ……それが“生きてる合図”です」


女たちの中から年配の声があがる。「まぁ、昔、祖母がやってたやり方だわ」

「はい。あたり前のやり方です。今日はそれを“見える形”にするだけ。温度は“手の甲でぬるい”くらいで。一週間のうちに一度だけ上下を返します——家訓の“運ぶ”ですね」

「家訓?」とボルグ。

私は、思わず自分の発した言葉に笑ってしまう。

「はい、我が家の台所の家訓です。“分けて・収めて・運ぶ”。港の水揚げと同じでしょう?」

笑いが起きる。


その時、店の戸口で咳払い。ギルドの若い使いが入ってくる。

「ここで“塩仕事”の講義をおやりだとか。塩仕事には特殊税の——」


「教育ですな」


低い声でそれを遮ったのは、彼の背後から現れたエトワールだった。

胸の監査官の徽章が灯りを返す。

「家庭での保存法の公開講習は、司祭から許可を受け、管理事務所の保護下にある。町の衛生管理を担うのは我々の義務だ。では——続けてくれ、リリア・ノース」


使いが舌打ちすると、ヨナが視線でそれを制し、軽く壁から体を起こす。

ヨナの様子に怯み、店内の厳しい視線にいたたまれなくなった彼は、踵を返して出て行った。


私は、エトワールに礼をし、ヨナに感謝の笑みを返した。


壺を掲げる。

「では最後。“甘麹塩床”。塩と麹で“置いて守る”。配合は甘麹:塩=10:1。魚は半日、豚は一昼夜。余分な水が抜け、香りは中に収まります。取り出した後は“鍋の低い熱”で仕上げるといいです——“熱の盾”ですね」


ミーナが「それ、売りたい」と冗談めかして叫ぶ。私は「だーめ」と笑って返した。

そのやりとりに周囲から、さらに笑いが起こる。


ひと通り仕込みを終えると、私は壁際の新しい棚の布を捲った。浅葱色の塗り板に小さな真鍮の金具が等間隔に光る3段の棚。ヨナが昨夜作ってくれた。


『港の保存棚(講習生の壺置き場)』


「ここに、今日の壺を“預けて”ください。上は“子どもに匂いがやさしい列”、一番下は“香り強めの列”。名前紐を結んで、交換・お裾分け自由で。——この棚は、皆さんの“場所”です」

一瞬の静寂のあと、嬉しそうなざわめきと少し照れたような笑い。


講習会で仕込んだ保存食をお好みで壺に入れる。そして、皆がそれぞれの壺を抱え、縄や布で口を結び、棚に置いていく。

荷揚げ衆の大きな手が不器用に結び目を整え、子どものレネが母の瓶に小さな星の印を描いた。


「公開のひと口、どうぞ」

皆が棚に壺を置き終えたタイミングで、私は「浅塩いわしの柑酢」の端を細く切り、爪楊枝を刺して配る。鼻先で香りがほどけ、塩の線の上に柑の香りが立つ。年配の誰かが言う。

「……軽いのに、ちゃんと“()つ”味だわ」


ヨナが一切れを口に運び、短く言う。

「船でも、いける味だな」

「これでもいいけど、船用は、10%の重塩でもう少し調整するといいと思う。柑は無しで、鍵の塩を足すとお酒にも合うわよ。海藻の香油を使っても——まぁ、そこはまた次回の講習に」

笑いが広がる。私は黒板の下に小さな札を掛けた。


<きょうの実験 成功>


皆が帰って行き、棚に縄や布の色が並んだ、小さな風景ができあがっていた。


ボルグが自分の店の干し大根を“中塩乳酸”に交換し、リーザが「あの子向けに匂い弱めの列」を整える。トマスは焼いた薄パンを持ってきて、柑酢の汁を拭って満足げだった。


「リリア」

エトワールが近づき、小声で囁く。

「貴女は自分で“居場所”を作れる人だ。そして、それは貴女を守る盾にもなる。人の輪がその証だ」

週が明けたら、王都へ戻る――そう言ってエトワールは戻って行った。


「随分と彼と仲がいいんだな」

ヨナが不機嫌そうに私の顔を覗き込んだ。目が合うと、ふいとそらす。

「以前からの知り合いなのか?」

「いいえ、監査官の知り合いなんていないわ」

ふふふ、と笑いかけると、困ったように眉を寄せた。


ヨナは、最近、少し表情が増えたように思う。そして、こういうところが可愛いと感じている自分がいる。


カイが黒板の端に線を引き、小さな文字を書き足していた。


塩=留める 酸=遠ざける 熱=決める

棚=みんなの家


私は笑い、黒板にさらに細い線を一本。

今日は“盾の稽古”


「姉ちゃん。みんなの壺の場所を守るのは、俺たちの仕事なんだよな。だから、俺たちここに居なきゃな」

カイがそう言ってはじけるような笑顔を見せた。

——そう、ここは、わたしたちの居場所。


「ええ、そうね」

そう微笑み返す。


港の風が、壺の棚を撫でて、名札の紐を揺らしていった。


◇◇◇実験メモ◇◇◇


港の保存学・初級(“三つの盾”と共同棚の作法)


目的:銀砂に頼らず、港の季節と仕事に合う保存を再現。

合言葉:塩で留める/酸で遠ざける/熱で形を決める


【0】塩の三比(総量に対する%)

浅塩(2%)…数日~1週間(魚の下処理・葉物)

中塩(5%)…1~3週間(根菜・肉の置き床)

重塩(10%)…長期(航海用・豚塊)

作り方メモ:

水1Lに対し:2%=塩20g/5%=50g/10%=100g

“線の味見”:指先で舌の横に当て、刺さない味=正。


【1】浅塩いわしの柑酢・油蓋(家庭版)

手順:

1.いわしを2%塩水で15分→水気を拭う

2.柑酢:水:酢=5:1+砂糖0.5%(火を入れて冷ます)

3.壺へ並べ、柑酢をひたひた−1指分

4.油の蓋:菜種油を60℃→海藻粉0.2%で香り移し、表面が隠れるまで“点で落とす”

5.一晩冷所、3日目が食べ頃

目安:冷所で5〜7日。取り分けは清潔な箸。表面の油は毎回戻す。


【2】中塩の根野菜“乳の息”(乳酸漬け)

配合:塩2%/水は材料が沈む量

手順:

・蕪・人参を拍子木、にんにく薄切り少々

・重石は“野菜の上に薄石1枚”。空気を遠ざける

・温度:手の甲で“ぬるい”(17〜22℃)

・1日目:泡が少し/3〜5日目:小さい泡がコロコロ=食べ頃

保管:涼所で1〜2週間。酸が立ちすぎたら薄塩水で洗って“素の線”に戻す


【3】甘麹塩床(置いて守る)

配合:甘麹:塩=10:1(例:甘麹500g+塩50g)+海藻粉5g(背骨)

使い方:

魚切り身:半日/豚薄切り:一昼夜

仕上げ:60〜70℃の低温で火入れ(沸かさない)。香りは前へ


【4】油の蓋(空気の盾)

香り油の作り方:

菜種油:10+海藻粉:0.2(60℃で3分→濾す)

静かに落とす:表面が薄く隠れるまで。毎回清潔な匙で。


【5】共同棚の作法

・名前紐:港=縄/商い=布端

・列:上側=匂い弱め/下=香り強め

・交換札:瓶の首に小札(欲しい物・食べ頃)

・衛生:取り分け用の共通箸は瓶ごとに。味見は1人一度。

・“透明の約束”:講習会の参加者以外は触らない


【6】ギルド対策(掲示)

本棚は“家庭内保存の教育・交換棚”。販売・課税対象外。

監査札No.——(王都監察局外食部)掲示

次まで少し更新が開きます。


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