第七話 保健室の先生
【一章】 飲み会
保健室に着くと、そこには先生が一人いた。私たちに気づいた先生はこちらを見て目を見開いた。
「どうしたのあなたたち。えっ!?足火傷してるじゃない!ベッドあるから二人とも両足出して座って」
先生は慣れた手つきで二人の足の状態を見て氷枕を持って来た。そして、それを足に当て固定した後、ようやく息をついた。
「はあ。私にこんなことさせないでよぉ〜。びっくりした。私の専門精神科なんだよ?」
「えっ!?」
「そもそも、文化祭中は体育館近くのテントが救急場所になったの忘れちゃった?」
「あっ……」
「その様子だと完全に忘れてたみたいね。」
先生はやれやれと言った様子で私たちを見た。足を冷やすためベッドに寝かされた二人は除いて。
綾川くんは時計を見ながら少しソワソワし始めた。あぁ、そういえばあと五分くらいで次のシフトの担当なのか。二人の無事を確認して安心したらそっちが気になり始めたのだろう。
午前中は他クラスの友人と文化祭をまわるから、シフトに入れなかったのが申し訳ないって言っていたし……。
「綾川くん、気になるならシフトのほう行っていいよ。私は自分のシフト分終わったし、二人の様子見ておくから」
「!そう言ってくれるとありがたいよ。じゃあ行ってくる!」
そう言って慌てて保健室から飛び出した。
「ふふっ、忙しい子だね。」
「正義感が強いんですよ、彼は」
先生が綾川くんが出て行った保健室のドアを閉めながらくすくすと笑った。私も少し呆れながら綾川くんの背中を見つめて、ベッドに寝かされた二人を見た。二人とも激務のせいで疲れたのだろう。いつのまにか眠っていた。
「椅子あるから座っていいよ」
「ありがとうございます」
立ったまま二人を見守る私も見かねて、先生が椅子を差し出してくれた。私はお礼を言いながらその椅子に座る。
「あなた、確か涼風 愛夢さんだよね?」
「そ、そうですけど……」
「やっぱり。噂は聞いてたよ」
「……何の噂ですか?」
「警戒心MAXだね」
そう言いつつ私に目を合わせに来た。
「いろんな噂だよ。生徒さんから、“同じクラスの涼風さんがとっても頼りになる”とか。“怪我した時に応急処置してくれた”とか。」
「あぁ。そういえば体育で怪我した子をたまに応急処置をしてあげてましたね。
本や教科書で見た内容を実践してみたんです。」
「へえ!すごいわね。大体みんな最初はテンパっちゃうんだけど。」
「ありがとうございます。」
私は無難に受け答えをする。知り合って間もない人が自分のことを詳しく知っているという状況に気持ち悪さを感じたが、話を続ける先生を止めるわけにもいかず、話を聞く。
「あとは、同業者から、“天才外科医の涼風先生の娘さんがハヤ学に入学したから、どんな子か教えてとか”」
「……。父ですか。随分前の話ですね。」
「そうね。涼風先生は十年くらい前に事故で亡くなってしまったものね。
あぁあと、これは噂じゃなくて、私が気になって調べたんだけど。あなたの家庭環境につい───」
「!?」
ガタンッ!!
私は椅子から立ち上がり、先生から一気に距離を開いた。
「……。やっぱり何かあるのね。でも調べてみたけど特に悪い噂は聞かなかったのよ。
だからあなたに直接─────」
「……っ…し……。」
「?」
「びっくりした。先生、勝手に人の家庭環境調べないでくださいよ……。デリカシーないってよく言われません?そういうの本当に良くないと思いますよ」
「っ……。ご、ごめんなさい」
「えっ?」
先生が謝ったのを聞いて、冷静になる。見ると先生が少し青ざめていた。ちょっと言い過ぎたかな。それとも私、覇気でも出てたかな?そんなわけないか。
でも、私は本当に自分の事情に土足で踏み込んでくる人が心底嫌いだ。今までは何かと理由をつけたり、はぐらかしたりしたけど、今回みたいに面と向かって聞かれたことがなかった。深呼吸をして気持ちを落ち着かせる。
私たちの喋り声が少し大きかったのか、神酒くんが少し身じろぎをした。二人も寝てるし戻ったほうがいいか。私は立ち上がって先生の方に向き直った。
「先生に対して失礼でしたね。すみませんでした。」
「まって!!」
ぺこりと頭を下げて、そのまま退出しようとしたら、右手を掴まれた。
「何ですか……?」
「辛いんでしょ、本当は。辛いけど誰にもいえなくて、誰も理解してくれなくて諦めてしまったんでしょう?」
「……。そう、ですね。
例えば、それが本当にそうだったとしましょう。私は誰にも自分が辛い、と言うことが出来ない。
それで、先生に何の関係があるんですか?」
「私なら聞いてあげられる」
「……。」
「辛いこと、悲しいこと、誰にも理解されなかったとこ。全部受け止めて一緒に寄り添ってあげる。導いてあげる、正しい方向に。私が昔そうだったから」
「先生が、ですか?」
「うん。」
先生の発言に少し驚いた。私は面倒ごとにはなるべく首を突っ込まないようにした。自分のことで手一杯だったからだ。だからこそ、人のために真剣になれるこの人がすごく、眩しかった。
立ち止まって先生に向き直る。先生も私が話を聞いてくれる気になったのかとホッとして手を離した。
「私ね、両親が結構有名な学校の先生で、その娘ってこともあっていろんな人から期待の目で見られたの。担任の先生も、他クラスの先生も、校長先生も、みんな。だから、私は一生懸命勉強した。小学生の時からずっと。
勉強は、好きじゃなかった。正直嫌いまであったかな。だけど、周りの期待を背負っているからどうしても勉強を辞めることが出来なかった。
クラスメイトはそのことを知らなかったから、私がずっと勉強している姿を見て、一緒に遊んでくれないって言ってどんどん離れて行った。
本当は私だって遊びたかった。勉強なんて投げ出して、何も考えずただ無邪気に遊べたらどれだけ楽しいだろうって。
でも、私にはそれが出来なかった。両親が私に勉強しろと強要してくるのなら、反抗することが出来た。だけど、父も母も私に勉強は強制せず、好きに勉強するのが一番だと言ってくれた。そんな二人を見て、救われたんだけど、結局私は勉強を止めることが出来なかった。やっぱり周りの期待を無視できなかったから。
そんな時に、保健室の先生と会ったの。ちょうどあなたぐらいの年頃に。周りの期待とプレッシャーに押しつぶされて、一人で塞ぎ込んでた。だけど、その人が私の気持ちを理解してくれて、対等に向き合ってくれた。
だから、頑張って自分の意思で前に進もうって決めれた。周りのことなんて気にしないで。だからここで働けているの。
だからね、涼風さん。」
先生は私の両手をそっと包み込んだ。そして私の目をじっと見つめた。
「諦めなくていいんだよ。
誰かに、言って吐き出していいんだ。
自分の意思を持ってもいいんだよ!」
「……先生、大丈夫ですよ?」
「えっ?」
「勘違いさせちゃってごめんなさい。私別にそんな深刻に悩んでたりしないんですよ。さっきのは、その……言いにくいんですけど、私、自分の事情に入ってくる人が苦手だったつい。
秘密主義なんですよ、私。」
「涼風さん、まっ───」
「私、ちゃんと自分の意思を持って行動できてます。大丈夫ですよ本当に。
だから─────いいんですよ、もう。」
「!!」
「でも、欲を言うなら、そうですね。中学生の時にあなたに会いたかった……。今はもう大丈夫だから。
では、失礼します。」
私は包み込まれた両手をそっと離し、今度こそ保健室を後にした。心の中で私はふふっと笑った。いい先生だ。生徒にあんなに寄り添ってくれるなんて。まあ、今の私とは相性が悪そうだけど。一人でそんなことを考えながら、賑やかな文化祭へと戻って行った。
一日目は火傷事件でてんやわんやしたが、二日目は特に問題も起こらず、無事に終わった。
メイも神酒くんも軽い火傷で済んだので、次の日は普通にシフトに参加していた。この事件のこともあり、二日目はクラスメイトが心配して、なるべくシフトに入っていた。そうして、お互いに協力して何とか文化祭を終えた。
売り上げは一位ではないものの結構上位に入ったのでみんなで大いに喜んだ。
河内さんなんかは、この文化祭のためにずっと休まず働いていたので大成功に終わってホッとしたのか感動のあまり泣いてしまった。それに畳み掛けるように、美術部から似顔絵をプレゼントされて大号泣していた。
私はそんなクラスの様子を見て、何ていいクラスなんだと心の中で号泣した。……本当だよ?たぶん。
こうして私たちの文化祭は幕を下ろした。
やっぱり、クラスメイトの意外な一面を見れる文化祭は本当に楽しいものだ。