第二十六話 許さない
【五章】 依頼人
沈黙が走った。だが、彼女はもう一度口に出した。
「だから、別れて欲しいんです。」
彼女は俯き、私と顔を合わせてくれなかった。いつもは私に顔を合わせて笑いかけてくれるのに、今日は無表情で、声にもいつもよりハリがなかった。
「ど、どういうことだよ、別れて欲しいって。いきなり……」
「もううんざりなんです。ここ一ヶ月ぐらい、私に毎日電話して、メールも大量に送って。仕事中なのに関係なしに送ってくるなんて。」
「だってそれは、君に他の男ができてないか心配で……」
「そうやってあなたの考えを押し付けて、私を信用してくれないじゃ無いですか!」
「!!でも、それは君を愛していたからだ。恋人として、君のことを知るのに何がいけないというんだ!!」
「あぁもうっ!!!そういうデリカシーのない人、本当に嫌いなんですよ!出会った頃のあなたは私のことを思って行動してくれていたのに……」
彼女は今にも泣きそうな顔をしてこちらを見ていた。
なぜそんな目をする?
なぜ別れようなんていう?
私は何か間違ったことをしたのか?
頭の中でさまざまな疑問が浮かび上がり、パンクしそうになった。
「さようなら」
彼女は最後に一言、私にそう告げて去って行った。
いなくなってしまった。大切にしていた存在が。初めて人を愛したのに。私は間違ったことはしていない。私は正しい。
許さない、許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない!!!
よくも私の愛を踏み躙ってくれたな。絶対に許さない。
私の中で殺意が膨れ上がり怒りが爆発しそうになった。その怒りをグッと抑えて、私は彼女の殺人計画について思案し始めた。
私は身体能力が平均以下である。証拠を残さずにいかにして彼女を殺してやろうか、と私は自宅でじっくりと考えた。
その時、ふと本棚に目が入った。子供の頃から読んでいた本は、全てその本棚に入っている。そんな本たちの背表紙を見ていると、“暗殺者”という文字に目が留まった。
それを目にした時、私はふとこんな考えが浮かんだ。
彼らに依頼すれば良いのではないだろうか?
そうしたら、私が手を汚すことなく殺人を実行できる。それに、依頼したら、この女のような女性を殺せるかもしれない。こんな理不尽をする女なんてこの世から消えてしまえば良い。私は、その本を手に取った。
「暗殺者……殺し屋ねえ。医者になったおかげで、お金はそれなりにある。」
私はニヤリと笑った。これなら完全犯罪も夢ではない。私は手を汚すまでもなく、あの憎たらしい女を殺せるなんて、なんで素晴らしいのだろうか!
私は天に向かって高笑いをした。それからは早かった。裏社会の情報屋からどの殺し屋に依頼するのが一番良いか、殺し屋の種類から何まで全て教えてもらった。その分金は使ったが、まだまだお金には余裕がある。殺し屋に依頼してもお釣りが来るくらいだ。幸い、親も医者なので、最悪の場合、金を借りれば良い。それぐらいのことはする。私はその業界で世界でもトップを争う殺し屋Oという人物に依頼することにした。
こうして、私は病院に来た若い女性に恋愛関係の話を聞き出して、私と同じく、年上の男性と付き合っている女の殺しを依頼したのだ。日時、殺す場所、殺し方、そして凶器を渡して、その女たちを殺していってもらった。極め付けに、結婚を目前に死んでいった女たちへ、プレゼントとして指に通すことが出来ない指輪を置いてあげたのだった。
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「狂ってる……」
俺は思わず呟いた。堀山がここまで異常な性格をしていると思わなかった。これがサイコパスとやらの考えなのだろうか?
警察病院で、恋愛事情について聞いていたのはやはりこのためだったのか。指輪の件も同じく推測通りだった。俺の予想が的中したからこそ、こうなる前に堀山を拘束しておきたかった。思わず舌打ちが出るが、今考えても仕方ない。堀山の様子を見て、隙を伺う。
堀山は消毒液によって荒れた手で長身のナイフを握りしめている。
堀山が話をしている間に、涼風はどこからか取り出した長い布で腹の傷を止血していた。おそらく服の中にいざという時に使うものを仕込んでいたのだろう。
なんとか血が止まり、血溜まりが広がらなくなったが、息が荒れており危険な状態だと悟る。すぐに病院に連れて行きたかったが、堀山がそれを許さない。
「やはり、君も私が間違っていると言いたいのか。私を理解してくれるのは誰もいないのだな」
堀山は悲しそうに天を見つめた。その顔には感情が抜け落ち、何も考えていないように思えた。
「……それで、なぜ涼風を狙った?」
「あぁ、そのことについて話していなかったね。良いだろう」
俺はずっと気になっていた涼風について聞いた。堀山の目は笑っていた。その視線の先には涼風がいる。出血のためじわじわと死に追いやられている涼風見て楽しんでいる様だった。
涼風を見るにそろそろ限界に見えた。俺はやはり、涼風を狙っている理由を聞くのを諦めて、臨戦体制を取る。
「なんのつもりだい?人の話は最後まで聞くものだよ。」
堀山はニヤリと笑って起爆装置に手をかける。俺は思いっきり舌打ちをした。愉快そうに俺を見た後、堀山は先ほどよりもゆっくりと語り始めた。




