第二十二話 お母さん
【四章】 涼風 愛夢
「……これが私が殺し屋になった経緯。
満足した?」
「中二、そんな時からずっと……」
「じゃあさっさと───」
「さっき電話しても繋がらなかったから心配したんだぞ」
「?いつ電話したか知らないけど、気づいてないってことは、私が病院に携帯を置いて出て行った後だったのかもね」
普段は依頼人から急遽連絡された時用に持っていたが、今は持っていない。
私は携帯をわざわざ病院に置いていくことになったのには理由がある。
ことの発端は一週間前に遡る。その日はいつも通りの平日だった。
平日の夕方は患者さんが多い。学校や会社帰りに病院へ寄る人が多いからだ。次から次にやってくる患者さんを一人一人丁寧認視察していく。受付が終わり、その三十分後に最後の患者さんを送り出した頃には外が少し暗くなっていた。
「涼風先生、今日もお疲れ様でした」
「はい。森山さんもお疲れ様です。」
「いえ、涼風先生には及びませんよ」
いやいや、なんなら私よりテキパキ動いていたのでは?と内心ツッコミを入れつつ私は椅子から立ち上がった。
森山さんは本当に仕事熱心で、しかも完璧に仕事をこなす。正直頭が上がらない。
何気に面倒見が良く、私が忙しくてご飯を買い損ねた時は、いつも何も言わないのにご飯を買って来てくれる。しかも奢り。
流石にお金を払うと言ったら───
「涼風先生って意外と子供っぽいって言うか、ほっとけないんですよね。それに、一応年上なんで面子は保たせて下さいよ」
そう言って立ち去って行った。相変わらず表情筋が仕事してないが、森山さんの優しさにはいつも心救われる。
「あっ。涼風先生、携帯鳴ってますよ」
森山さんの声でハッと現実に引き戻された私はポケットの中に入れていた携帯電話を取り出した。メールの相手を確認して、軽く文章に目を通そうとしたが、時間も時間だし、とりあえず帰ろう。
「それでは森山さん、お先に失礼します」
「はい。お疲れ様です」
お互い一言言葉を交わして、それぞれの帰る方向へと歩いていく。歩いてしばらくしてから、私は再びメールを開いた。送り主は母だった。こっちに引っ越して以来、忙しくてほとんど会っていなかった母からのメールに体が強張る。そして、恐る恐るメールを開いた。
愛夢ちゃんへ
久しぶり、元気だった?愛夢ちゃんが引っ越してから数ヶ月経ちましたね。私は未だに家に帰っても愛夢ちゃんがいないことを寂しく思います。だからと言っては何だけど、よかったら今週末、家にご飯食べに来ない?私も一人じゃさ寂しいし、久しぶりに会って近況を伝えてほしいわ。
だから、今週の土曜日の夜ご飯はお母さんが作るから来てね。せっかくだ一泊泊まって行く?忘れ物せずに来てね。じゃあ、今週の土曜日に。
お母さんより
メールの内容をザッと見たが……正直行きたくない。というか、ほとんどあちらの都合で決まっている。せっかくゆっくりしようと思っていた土日が、これでパァだ。
だけど行かない方が怖い、そっちの方が面倒だ。
大丈夫。
私は自分に言い聞かせた。
そして、当日の土曜日。私は一泊するための荷物をまとめてアパートを後にした。実家までは電車で片道四十分ほどで、そこからバスで二十分ほどある。私は帰路を少し懐かしみながら実家の前に辿り着いた。アパートの鍵と一緒のキーホルダーにつけていた実家の鍵で、玄関を開け、中に入る。鍵は手に持ったままというわけにはいかないので、カバンの中に放り込んだ。
キッチンの方から物音がするので、母はそこにいるのだろう。私はそっとキッチンを覗いた。すると、ちょうどこちらを振り返った母と目があった。
「あら!愛夢ちゃんおかえりなさい。今夜ご飯の下準備しようと思ってたところなの。
今晩は、愛夢ちゃんの大好物のデミグラスソースオムライスよ!」
「え!本当に!?やったー!
ありがとうお母さん。」
「荷物は自分の部屋に置いてね。」
「はーい」
にっこりと笑顔を貼り付けて母に元気よく返事をした。
階段を上がって自室のドアを開ける。そして一泊するために持って来たカバンを床に置いた。荷物が多くなるのを極力避けるため、一つのカバンに全部荷物を入れた。そのため結構な重量になっていたので、やっとカバンを下ろせて、体が少し軽くなる。久しぶりに帰って来た自室は、母によって定期的に掃除されているのか、全く埃っぽくなかった。するとキッチンから軽い悲鳴が聞こえた。何事だと思い、急いでキッチンへ行くと、母が少し青ざめた顔で冷蔵庫を覗いていた。
「どうしたの?」
「……ないの。」
「?」
「いつものお肉屋さんで買ってたお肉がないのよー!」
「ええっ!?」
何だって!?あそこのお肉が一番安くて美味しいのに。オムライスに入れたあのお肉、いいアクセントになって超美味しいのに……。
「どうしましょう……。」
母は心底残念そうな顔でチラリとこちらを見た。その様子からなんとなく察した。
「あ、私買ってくるよ」
「本当に!?ありがとう。さすがお父さんの子供ね、優しいわね気が効くわ」
じゃあお願い、と二千円渡されて、私は急いでお肉屋さんに向かった。しかし、土曜日だったため、いつものお肉屋さんは開いていなかった。仕方なく、近くのスーパーに行った。
肉を無事買えてデミグラスソースオムライスは見事完成。いつもより味は劣るものの、母と二人で美味しく食べた。いつも通り笑顔で母の機嫌を損ねないように取り繕ったので、その後は特に問題なく一晩を過ごし、早々に帰宅した。
そして昨晩。綾川くんたちと別れた後のことだ。
消したはずの電気が付き、明らかに人の気配がするアパートの自室の鍵を開けて、中に入った。
「えっ……?」
部屋の中はふわりと暖かく、外で少し冷えた体を優しく包み込んだ。私が玄関の鍵を開けた音に気づいたのか、リビングの方から足音が聞こえてくる。その足音に聞き覚えがあり、私は警戒を解いたが、同時に緊張で全身が強張った。
「なん、で……」
そう、そこにいたのは───
私の予想通り、母だった。母にはアパートの合鍵は渡してないし、具体的な場所も言っていない。わざわざ調べてここまで来たということだろうか。
もう大人になった娘にここまで執着する母に寒気がした。
「遅いじゃない!今何時だと思っているの?
若い女の子がこんな時間まで出歩くんじゃありません!」
母は帰ってきた私を見るなり、慌てて駆け寄って来た。動揺を隠しきれないまま、私は口を開いた。
「な、なんで……お母さんがここにいるの?」
「あぁ、ごめんなさい。詳しく話すわね、とりあえず入って」
母は玄関で立ち尽くしていた私を促しリビングに入って行った。私はようやく我に帰って靴を脱ぎ、リビングに入った。
「まだ秋だけど夜は冷えるわね。お風呂沸かしておいたから後で入ってね」
「あ、りがとう……」
リビングには二人掛けのテーブルがある。一人暮らしするのに二人掛けは必要ないと思っていた。それに、母にも友人にも住所を教えるつもりもなかったので、家に誰かを上げる機会なんて皆無だった。
しかし、引っ越す時に、母が二人掛けのテーブルを渡してきた。私は断ったが、もしもの時のため、と言って聞かなかったので仕方なく貰うことにした。その“もしもの時”はこの時のためだったのかもしれない。
私は母と対面になる位置にある椅子を引いて腰を下ろした。机の上には少し冷めたお茶が置いてあった。
「ごめんね愛夢ちゃん。
急に押しかけちゃって───」
「大丈夫だよお母さん。でもどうしたの?」
母は本当に申し訳なさそうに、眉を寄せ俯いていた。その姿を見て胸が苦しくなり私は咄嗟に“大丈夫”と言ってしまった。私の言葉を聞いてハッと顔を上げた母は心底ホッとしたように笑顔になった。
「最近物騒なことが多いでしょ?ニュース見た?二十代女性連続殺人事件」
「うん。知ったのは直近だけど」
「東京に住んでいる若い女性を中心に命を狙われてるの。だから、愛夢ちゃんもその狙われる対象の一人なのよ?」
母は怯えたように震えていた。指先が震えているためお茶が入ったコップを上手く持てず、コップからは少しお茶が溢れ出ていた。
「それを知ってから気が気じゃなかったわ。一人暮らしの愛夢ちゃんが心配で心配で……。だから、一週間前、久しぶりに会うっていうのを口実にして、愛夢ちゃんの無事を直接確認したの」
なるほど。だから先週急に家に来て、と言ったのか。その時は何でそんなことを言っているのか分からなかった。そもそも、その連続殺人事件の犯人はほぼ私みたいなものだ。私が私を殺すわけないから無事に決まってる。
「あの時、お肉が無いからって、愛夢ちゃんにお使い頼んだでしょ?愛夢ちゃんが来たから久しぶりに腕によりをかけた料理を振る舞おうと思って。それで、愛夢ちゃんが好きなデミグラスソースのオムライス作ろうとしたんだけど、お肉を買い忘れてて。だからお使い頼んだの」
「うん。そうだったね」
「でもね、それ嘘だったの」
「……えっ?」
母はにっこりと笑って私に言った。




