第一話 再会
【序章】 再会
「……と言うことですので、薬出しておきますね。」
肩まである癖っ毛を、ボブでふんわりと仕上げた髪を、少し揺らして患者さんの方に振り返る。後ろにあるパソコンに患者さん──彼女──の容体と提供する薬を記入した後、回転式の椅子でくるり半回転し、目の前の女性と目を合わした。
目をしっかりと合わせてゆっくりと喋り、にっこりと笑いかける。それだけで、患者さんはホッと安心した様に胸を撫で下ろす。緊張がほぐれリラックスした状態になる。不安そうにしている患者さんにはこれが一番効果的だ。
案の定、彼女の緊張は少しほぐれた様にそっと息を吐き出した。その様子を見て、私は心の中で満足して、彼女に今回提供する薬について話し始めた。
いつも通りの朝、いつも通りの仕事。患者さんのカルテを診て、淡々と一般外科医として診察する。
一般外科医の主な仕事は日常生活で受けた怪我を診る。具体的には、日常的に起こりうる火傷、切り傷、擦り傷、打撲などの外傷、動物や虫に咬まれたり刺されたことによる炎症や虫刺傷など、症状や怪我が軽いものから重たいものまで、幅広い分野を診療する。
母の勧めで外科医を目指した私は、大学卒業後、二年間の実習を経て、ここ、東京にある警察病院で一般外科医として働いている。上司の指示に従って、黙々と仕事をするだけで良い給料がもらえるのだが、私にとって、ただ指示に従って行動することは、結構苦痛に感じる。しかし、仕事上文句も言えないので我慢する。
「涼風先生、次の患者さんのカルテです。」
「ありがとうございます。」
患者の診察が終わり、次の患者のカルテを看護師の森山さんから受け取る。
森山 紫衣。三十五歳の少しベテランの看護師で凛とした立ち振る舞いをしている女性だ。身長は百七十センチメートル前後半で、手足が長い。私は百六十前半なので、たまに上の方の書類を取る時に後ろから取ってもらったりする。その時は、その身長分けて欲しいと思う。羨ましい。そして、重い資料も医療器具も軽々と運べるほどの腕力もある。
そんな彼女は表情を顔に出すことがほとんどなく、表情筋が死んでいるのではと疑うほどだ。一度でいいから笑顔を見てみたいな。
そんなことを心の中で考えつつ、カルテの主な内容にザッと目を通す。
名前 綾川 大犀
年齢 26歳
身長 175㎝
体重 62kg
症状 右手首を刃物により損傷
「綾川 大犀……。聞き覚えありすぎる。他人の空似であってくれ……」
「涼風先生!患者さん待ってますよ。」
「あっ……」
森山さんが左腕につけた時計を見ながら私を促す。慌てて待機室に繋がるマイクをオンにし綾川さんを呼び出した。
程なくしてノックが聞こえ、失礼しまーすと間の抜けた声が聞こえた。
「あっ!!」
「やっぱり……」
私は思わず出そうになったため息を飲み込み、こめかみを押さえた。そんな私と対照的に、相手はちょっと嬉しそうな表情をしてこちらに歩いて来る。
彼は綾川 大犀。私の中学・高校の同級生で、偶然か必然か、六年の間ずっと同じクラスだった。
私が通っていた私立隼ヶ丘学園中学校・高等学校は日本でもトップクラスの学力を持つ学校だ。クラスは一クラス三十人ほどで、四組構成。入試倍率は目が飛び出るほど高いが、その狭き門を潜り抜けた生徒たちを集めるその学校は、日本でもトップ三に入るほどの名門校の名を欲しいままにしている。
とにかく、そこで六年間同じクラスで学んだわけだが、おかげで他の友人より仲良くなった。しかし、大学に入ってからは、お互いの勉強が忙しくてなかなか会う機会がなかった。それがまさかこんなところで再会するとは。
毛量が多く艶のある髪のマッシュ。前髪はふんわりと切り揃えているが,分けているせいで右目に少しかかっている。そして、パッチリとした目は優しい印象を与えていた。
そうやって、なんとなく私の目の前にいる元同級生の患者を客観視する。
しかし、私も医者だ。とりあえず笑顔を作り、彼を自身の目の前の椅子に座るように促した。
そして、何事もなかったかのように、手首を診察しようとした。
……綾川くんが、何か言いたそうにしている。
とりあえず無視!診察に集中しようとしたが、制止された。
「いや、ちょっとタンマ」
「……なんでしょうか?」
にっこり笑顔で返す。
「なんでそんなに冷たいんだよっ……。えっ、もしかして覚えてない?俺だよ俺。綾川 大犀」
(オレオレ詐欺かっ!)
オレオレ詐欺的な自己紹介の仕方に心の中ですこしツッコミを入れた。それだけの情報じゃ分からないのか?と呟きつつ、少し眉を寄せて俯き考えるそぶりを見せる。そして、パンッと手を叩いた。
「中一から高三まで六年間同じクラスだった同級生って言ったらわかるか?」
「…………はあぁぁあ。」
「なんだよ。やっと気づいたか?
っていうかそんっっな深いため息吐かなくても良いじゃないか……」
流石に傷つくぞ、なんていいながら、彼は少しやれやれといった表情をしている。いやいや、私の身にもなってほしい。
誰が好き好んで元同級生の子を診察しなくちゃいけないんですか?気まずいし、なんか嫌だよ!!私は心の中で一人ツッコミをして精神を落ち着かせた。
「綾川くんは、知り合いに診察されるの気まずくないの?というか、なんか嫌じゃない?」
単純な疑問だった。私だったら絶対避けるし、絶対バレないように振る舞うだろう。だからこそ、綾川くんの思考回路を疑う。
「いや、だって同級生と再会できたんだから、まず喜ぶかなって?」
「……。まあいいか」
彼はなんてことないようにニコッと笑った。その笑顔は相変わらずだった。
彼は学生時代、頭脳明晰で運動神経もよく、イケメン。おまけにそれを謙虚に受け止める姿勢。そんな全国の女子が憧れる男子ランキング一位並の彼は他クラス、他学年からもラブレターを大量にもらうほどモテていた。しかし、当時の彼は好きな人がいると言って全ての告白を断っていた。ところが、今になっても左手の薬指に、結婚の象徴となる指輪がついていないところから、まだその恋は成就していないのだろう。というか、高校の好きな子なんて大人になったらほとんど忘れるか。
っと今はそんなことどうでも良かったんだ。
私は綾川くんの診察に集中することにした。