2話
転校初日から二日が過ぎた。
霧氷雫は、今日も完璧だった。
正確な時間に登校し、誰よりも姿勢よく座り、質問にも一言のムダなく答える。字も整い、制服のリボンも乱れがない。無駄な動きはせず、誰とも目を合わせない。
まるで訓練されたモデルか、冷たい機械みたいだと思った。
けれど、それでも。
俺の中には、やっぱり引っかかっている感覚があった。
たとえば、今日の朝。
黒板にチョークで書かれた数式が、ほんの少しだけズレていたとき。
担任が気づかず進めようとしたその瞬間、雫が静かに手を挙げた。
「先生、係数が違います」
「あっ・・・おお、ほんとだ、すごいな」
彼女は微笑まなかった。けれど、どこか小さく、息を吐いた。
そのときの目――わずかに伏せられた瞳が、一瞬だけ揺れたように見えた。
そのほんの一瞬を、他の誰も気づいていなかった。
だけど俺はなぜか、目を逸らせなかった。
*
昼休み、教室の窓際。俺は持参したパンをかじりながら、ふと雫を見た。
雫はいつものように静かにノートを見つめている。食事をしている様子はない。机の上には水だけが置かれていた。
隣の圭が小声で言う。
「なあ、あの子。マジで喋らないな。隣の席のやつとか、緊張で腹壊しそうだってよ」
「・・・まあ、そりゃな」
「美人で成績トップってだけでも怖ぇのに、“話しかけんな”オーラすごくね?」
「けどさ」
「ん?」
「・・・あいつ、誰にも冷たいわけじゃないんじゃないかなって」
「・・・は?」
俺の言葉に、圭は不思議そうな顔をする。
説明しようとしたけど、できなかった。
なぜかは、自分でもよく分かっていなかったからだ。
ただ、あのとき目が合った瞬間――彼女の瞳の奥に、ほんの小さな迷いのような、かすかなノイズのようなものが見えた気がしている。
*
放課後、教室に忘れ物を取りに戻った帰り。
たまたま通りがかった空き教室の扉が、わずかに開いていた。
中をのぞくと、雫がひとりでスケッチブックを広げていた。
静かだった。いや、静かすぎた。
スケッチブックのページには、整然とした教室のレイアウト図が描かれていた。
学園祭の話がちらほら出始めているから、委員長たちの間で何か決まってきたのかもしれない。
でも。
その端に、小さく赤ペンで引かれた「×」の印。
同じ場所に、何度も線が重なっていた。
几帳面な彼女にしては、少しだけ乱れたその線を見て、俺は思った。
――やっぱり、どこかで、無理をしている。
*
その夜、家に帰っても、雫の揺れが頭から離れなかった。
笑わないけど、怒ってもいない。
冷たいけど、突き放すわけでもない。
完璧だけど、どこか苦しそうに見える。
俺はその正体が何なのかを知りたくなっていた。
そして同時に――それに気づいてしまった自分を、少し困ってもいた。