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青崎要は、自分が所謂勝ち組と呼ばれる類の人種であるということをよく分かっていた。
自ら声をかけずとも、まるで密に惹かれる蟻のように女性たちが寄ってきては、男女の関係を望まれる。
だからこそ、そういう遊びを覚えるのは他の人よりも随分と早かっただろう。
中学になる頃には深夜に家に帰ることも多く、時には朝帰りすることもあった。
けれど両親は何も言わなかった。
揃いも揃って仕事が大好きで、要が産まれたことが奇跡に等しいほど、家にいることはほとんどなかった。
きっと息子が死んでも数日いや、一週間は気がつかないに違いない。
それ程までに家族関係は希薄だった。
そんなものだから、要が物心ついた頃には面倒を見てくれるのも、家のことをしてくれるのも家政婦だけだった。
一時期、本気で家政婦のことを自分の母親だと思っていたこともある。
きっと、そんな家庭環境だったからこそ火遊びにのめり込んだのだろう。
中学生になってたから強く覚えはじめた欲の発散をしたかったというのもあるけれど、一番の理由はおそらくそれだった。
たぶんこのまま、今と何一つ変わることなく大人になっていくのだろう。
そう思っていたし、そう信じて疑わなかった。
転機が訪れたのは、高校一年生の時。
冬の気配がし始めた十月の半ばのことだった。
その日は朝から体調が優れず、けれども休むほどではないからと学校へ行ったのだが熱が上がりはじめ、授業中の教室から抜け出して保健室へと行こうとしたのだが、途中で蹲り動けなくなったのだ。
授業が終わるまであと二十分はあり、しかも教室からそれなりに離れていたから誰かに助けを呼ぶこともできず、その場でじっとしているしかなかった。
そんな時だ。彼女が現れたのは。
「ちょ、大丈夫!?」
焦ったような声を上げて、こちらに近寄って来たのが佐山里香だった。
彼女に手を貸してもらいなんとか立ち上がって歩き、先生はいなかったけれど保健室のベッドまで連れて行ってもらったのだが、ベッドに座った途端緊張の糸が切れたせいか吐いてしまった。
それも、彼女の制服のスカートに。
やってしまったと、熱で上手く回らない頭でも分かった。
きっと怒られるだろう。だって、女の子の服に吐いてしまったのだ。怒らない方がおかしい。
そう思っていたのに。
「吐いたー!? 大丈夫!? まだ気持ち悪い? とりあえずはい、ゴミ箱どうぞ!」
「……スカート、ごめん」
「大丈夫大丈夫。スカートなんて脱げばいいし。そもそも絵の具がお尻に着いちゃって汚れたから、吐かれなくても洗うつもりだったってか、洗いに行く途中だったしさ! ……あ、脱ぐって言ってもちゃんと下にはズボンは履いてるからっ! 痴女じゃないからね!?」
そう言ってこちらへ近くにあったゴミ箱を手渡し、なにやら弁明しながらさっとスカートを脱いで丸めて床に置いた。
「また吐きそうだったら吐いていいからね。落ち着いたら先生呼んでくるから」と言って、優しく背中をさすられた。
初めてだった。誰かにそうして背中を撫でてもらうなんて。
だってベビーシッターは、熱を出すといつも面倒そうに食事の用意と掃除だけして帰ってしまったから。
両親だってそうだ。ろくに心配してくれることはなく、どころか迷惑そうに熱に魘される息子を見ていた。
それから彼女は、要がもう平気だと言うまでずっと優しい手つきで背中をさすってくれていた。
……その時、生まれて初めて誰かを心から好きだと思った。
それが恋だと気づくまで、そう時間はかからなかった。
それからは、女遊びをすることをやめた。なるべく綺麗な状態になって彼女へ告白するために。
前に遊んでいた相手とはきっちりとケジメをつけて、徹底的に関係を断ち切った。
かなりの人数がいたので、予想以上に時間がかかってしまったけれど。
そうしてしっかり身辺整理をして、二年生の五月。彼女に告白した。
「えっと……わたしなんかでよければ?」
もしかしたら断られるかもしれないという不安があったけれど、嬉しいことにOKを貰えたのだ。
喜びのあまり抱きしめてしまったけれど、驚いても嫌がる素振りを見せなかったからそのままぎゅうぎゅうと抱きしめる。
腕の中にある体温が、どうしようもなく愛おしくてたまらなかった。