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長かった梅雨がようやく明けて、蝉が煩く鳴き始めた。
ほんとマジで煩い。毎朝あの鳴き声で叩き起こされるんだけど。
そして夏休みに入ってもどうしてか未だに青崎君とのお付き合いは続いている。我ながらびっくり。
ただちょっと困ったことに最近、というかあの修羅場の後からなんかちょっと変だ。
なんか前までは青崎君の笑顔見ても、「イケメンだなー。目の保養だなー」なんて思うだけだった。
だったのに、最近はなんか青崎君の笑顔を見ると妙にそわそわしてしまう。
話しかけられたり、不意に手を繋がれたりするとどうにも落ち着かないし、胸の奥が疼くような感じがする。
あと、女子生徒の誰かと話してるの見ると妙に胸の辺りがモヤモヤする。
特に由莉奈と話してる時はなんかすごくすごくモヤっとする……。二人共なんか知らない間に仲良くなってるし。
そんなこと今まで一度もなくて、母さんに相談してみたけど「あらあらー」と微笑ましいもん見るような目を向けられただけだった。
なんかちょっと不安は残るけど、とりあえずそのモヤモヤに関する疑問には一旦蓋をすることにした。
考えてもなんかドツボにハマるような気がしたし、由莉奈に対してモヤモヤを抱くことはあっても、大好きなのは変わってないし。
……問題を先送りにしてるだけなのはわかってる。後々ちゃんと向き合って解決しなきゃいけないことも。
でもね、それよりね、今全力でどうにかしなきゃいけねえ案件がありまして。
「なあ、キスしていい?」
あ、やっぱこの案件の解決諦めて逃げていい?
……無理だな。うん。無理。
さて、今現在のわたしの状況を三行で説明しよう。
青崎君の家でお家デート。
部屋に案内されて早々ベッドに押し倒される。
そして「キスしていい?」と聞かれて、あらゆる全てを放り出して逃げたくなってる。←イマココ。
……ごめんちょっとまってほんとまってまってくれ。どうしてこうなった??
なんでわたしが、少女漫画みたいにベッドに押し倒されてるんですか??
ここは普通もっと可愛い子とかの立場じゃねえの?
あとわたしの体すっぽり覆えそうな青崎君はやっぱり大きいよね。
だって巨人だもの。わたしたち並んだら大人と子ども並みの差ありますもんね。マジででっかいなぁ青崎君。
……いやいや、そうじゃねえんだわ。巨人云々はどうでもいいんですわ。
大事なのはこの状況をどうやって切り抜けるかであって……何も思い付かないんですがどうしたらいいの教えてエロい人。
あっ、あっ、まって。やっぱエロい人は来んな。今このタイミングで来ちゃいけねえ。呼んだところ申し訳ないけど帰って。帰ってください。
いやだからそうじゃねえって! どうやって逃げるかを考えろよわたし! しっかりしろ!
というかなんでキスしたいとか言ってんのかな? あれかな、わたしのこと好きなのかな?
いやいや、そんなわけねーだろ。だってわたしと青崎君は遊びのお付き合いであって、別に本気で好きで付き合ってるわけじゃない。
……あ、なんか急にすっごく悲しくなってきた。なんで?
「りぃーか、固まってないで返事して?」
「ひゃうっ」
思考がぐるぐると迷走していたら、耳元で囁かれてめっちゃ変な声が出た。
そしてついでとばかりにふぅっと息を吹きかけられて、背筋がぞわぞわした。
……だめだこれ。だめなやつだこれ。なんかほんとだめなやつだ。
よくわからない感情が湧き上がってきて、青崎君から逃げようとするけれど、体格差もあって簡単におさえつけられてまた耳に息を吹きかけられる。
それにまた変な声が出て、背筋がぞわぞわして力が抜けてしまう。
「……ぁ、あの、青崎君? 耳、息吹きかけるのやめてもらっても??」
「俺のこと以外考えてるのが悪いんだろ。にしても里香って耳弱いんだ」
くつくつと楽しそうに耳元で青崎君が笑う。それがわざと息を吹きかけられた時よりもくすぐったくて、恥ずかしくて。
まるでサウナに入った時みたいに全身熱くて熱くてたまらなかったけれど、とりあえず変な空気になんか話さねばと口を動かす。
「ね、ねえ、急にどうしたの? き、キス、したいって……」
「キスしたくなったからしたいんだよ」
「なる、ほど?」
なるほどじゃないが。何も、何一つもなるほどじゃないんだが??
考えがまとまらない。
青崎君の綺麗な顔がすぐ近くにあるせいで、なにも考えがまとまってくれない。
「な、キスしていいだろ?」
砂糖を煮詰めたように甘く蕩けるような優しい声が囁く。
それに反射的に頷いた。頷いてしまった。
「んぅ!?」
唇に柔らかいものが重なる。
目を見開けば、黒曜石のような綺麗な目がものすごく近くにあった。
「口、開けて」
あまりの事態に思考停止し、言われるがままに口を小さく開ければ、ぬるりと何かが口の中に入ってきた。
それが青崎君の舌だって気がついた時には既に遅く、口の中を好き勝手に蹂躙される。
歯茎をなぞられて、強く吸われて、舌同士を絡ませられて。
どっちのものかも分からない唾液が口に溜まって、思わずそれを飲み込めば褒めるように頭を撫でられる。
今まで感じたことのない感覚が、熱が、身体中を駆け巡った。
なんだかすごく幸せな気分で、でもきゅうきゅうと胸切なくて、苦しくなって。
離れていく青崎君の口から銀糸が伸びる。
それが自分と繋がっているのだと思うと、なんだかたまらない気持ちになった。
ぼんやりと離れていく青崎君を見ていれば、はあと熱い息を吐く。
「好き、大好き。里香。可愛いよ、ほんと可愛い」
大きな手がわたしの頬を撫でる。
愛おしそうに。大切そうに。
なんで、どうして。
ふつふつと疑問が湧く。
それと同時に、ひどく胸が痛む。
だって、わたし、わたしのことなんて、
「な、んで」
ふわふわとした頭のまま言葉を口にする。
「嘘告だったのに、なんで……わたしのこと、すきでも、ないの……に……」
「………………は?? ちょ、は??」
「これじゃあ、わかれらるのわかってても、すきになっちゃうじゃんかぁっ……」
ひどい、ひどい、ひどい、ひどい!
奥底から湧き上がってくる醜くて、汚い感情。
あんまりだ。こんなの。あんまりすぎるよ。
友達として好きなままでいたいのに、友達として好きなままの方がよかったのに。
ひどい、ひどい、ひどい。なんでわたし、こんななの。
「もうやだぁぁぁ」
もうやだ。もうやだよぉ……。
嘘告だって分かってるのに、好きになっちゃったわたしも。本当にわたしのことを好きみたいに振る舞う青崎君も。
みっともなく泣きながら、横にあった掛け布団を取って包まる。
情けない。どうしようもない。なんなのほんと。
嘘告に本気になるなんて、馬鹿みたいじゃん。
「嘘告ってどういうことだどうしてそうなった一から説明して!?」
それから数分くらい青崎君に布団をひん剥かれるまで、ひんひん泣き続けた。