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わたしは十七年間生きてきた中で、一度だけ修羅場というものに遭遇したことがある。
小学校の時のことだが、あれはもうマジで怖かった。
長い髪を振り乱しながら、片手に包丁持ってビビり散らしてる男性を追いかける血走った目をした女性の姿は、今でもトラウマもんである。
離婚騒動かそれともストーカー案件か。分からないけど、ひたすら怖かったことだけは覚えてるし、ギャン泣きしながら防犯ブザー鳴らしたのも覚えてる。
その時のことを時々夢に見ては、速攻由莉奈のスマホに電話して泣き言言ってたり。
だってそのまま眠れないんだもん。下手なホラー映画見た時以上の恐怖があるんだもん。
半分以上話を聞き流されてるけど、深夜に電話して叩き起こしても怒らない由莉奈はマジ女神。好き。
もちろん翌日はちゃんと安眠妨害を行った謝罪と、夜中に叩き起こしてくるような奴を見捨てないでいてくれることへの感謝を込めて、由莉奈の大好きな我が母特性の糠漬けを菓子折り代わりに持って行っている。
いや、本当夢見る度に毎度毎度叩き起こしてすみません。
急になんでこんな話をしているかというと、今現在進行形で目の前で修羅場が展開してるから。
「お前のせいで彼女に振られたじゃねえか! どう責任とってくれんだよ!!」
「俺が知るか。ていうか彼女って誰だよ?」
移動教室のため、青崎君とお喋りしながら歩いていたら、突然前からものすごい形相の男子生徒が近寄って来たと思ったら、そう叫んだのだ。
廊下のど真ん中、人の到来のある場所で。んー、修羅場。
周りにいた生徒たちは、青崎君の方を見てひそひそとなにやら話していて、時折「またか」「よくやるなぁ」と言っているのが聞こえた。
またかってことは、前にもこんなことがあったんですね分かります。
噂でも聞いたことあるわ。青崎君が誰かの彼女を横取りしたとかどうとか。女を取っ替え引っ替えしまくってるとかどうとか。色々。
「しらばっくれるな! 沙織がお前のこと好きだって言ってたんだ!」
「だから沙織って誰だよ?」
「加藤沙織! 二年三組の加藤沙織だよ!」
「加藤……ああ、あの勘違い女。俺アイツとなんの関係もねえよ。ヤってもねえ。そもそも食いもんに血とか髪とか入れるような、頭おかしい奴なんかと付き合うわけねえだろ。馬鹿か」
男子生徒が詰め寄って来たが、青崎君は面倒そうな顔をしながらそう言った。
……ところで、食べ物に血とか髪入れてたってマジです? あ、マジなのね。こっっっっわ。
リアルでそんな人間がいることに背筋が寒くなる。
イケメンも大変な思いしてんだなと、青崎君の綺麗な横顔を見ていたらふと、わたしの方に振り向いて――ふにゃりと笑う。
それは小さな子どものような、ひどく無防備な笑みだった。
「それに俺、彼女いるし」
心底幸せそうに、嬉しそうに、砂糖を煮詰めたみたいな甘い声でそう言った。
……うわぁ。ああぁぁ。えっと、おぅー?
な、なななんだろう? めっちゃなんかこう、なんだろう?
胸の辺りがソワソワするっていうか、ムズムズするっていうか。……顔が、顔がなんかあっつい。ものすごくあっつい。
「だからお前の彼女になんて手ぇ出してねーよ。もういいか?」
「あ、お、おう……?」
先程と怒り心頭と言った様子から一転。困惑しきった声を男子生徒は出してたけど、そんなこと気にしてる余裕があんまり無かった。
さり気なく青崎君に握られた手が、なんかもう恥ずかしい。めっちゃ恥ずかしい。やだもうあっつい。熱出したみたいにあっつい。
なんだろう? ほんとこれ、なんなんだろう?
「行くぞ」
「う、うん」
結局このよく分からない感覚の正体は判明しないままだった。