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木野由莉奈の幼馴染である佐山里香とは、生まれた時からずっと一緒だった。
産まれた病院が同じで、家は隣同士で二人が産まれる前から家族ぐるみでの付き合いがあり、幼稚園から小中高とずっと同じ。
クラスだって高校以外では、ほとんど同じクラスだった。
由莉奈にとって、里香は特別な存在だった。
本当の姉妹のように育って、好きな物もほとんど同じ。ほとんど喧嘩なんてしたことがないくらい仲が良いから、小さい頃はご近所さんにすら本当の姉妹だと思われていた程。
実際由莉奈は里香のことを実の妹のように甲斐甲斐しく面倒を見ていたし、里香は里香で一時期本当に自分たちは血の繋がった姉妹だと誤認していた。
可愛くて、大好きな、幼馴染。
大切な、本当にとても大切な妹分。
それ以上でもそれ以下でもなかった。
本当の妹のように大事にして、可愛がって、ずっと隣にいた。
……変わり始めてしまったのは、小学五年生の夏休み。
昔から家族たちの仲がよかったので、夏休みになると毎年両家で予定を合わせて海水浴に行ったり、山へキャンプしに行っていた。
その年は、里香が川遊びがしたいと言ったので川の近くにあるキャンプ場に行ったのだ。
キャンプ場に着いて早々、川へと向かった幼馴染を追いかけて由莉奈も一緒に川へと入った。
その時二人共水着に着替えていなかったので、足首が浸かるくらいの浅さで水の掛け合いっこをしていたのだが。
……ふいに、水で濡れた幼馴染の姿に目を奪われた。
健康的な色をした肌に水で濡れた白いワンピースがへばり付いて、同年代よりも少し凹凸のはっきりとした体の輪郭を浮かび上がらせる。
水が滴る髪はなんとも言えない色気を感じて、首元に張り付いている様がなんとも艶かしかった。
かぁっと体の奥底が熱くなる感覚。
水分を失って感じるのとは違う、喉の渇き。
――淡く色づいた頬に手を触れて、時々夜に両親がやっているように淡い色をした唇に自分のものを重ねたら、どうなるのだろう?
本当の妹のように思っていたはずの相手に、そんなことを考えてしまった。
抱いてはいけない感情を、家族同然の相手に持ってしまった。
可愛くて、大好きな、幼馴染。
大事な大事な、本当の妹のように思っている子。
それが全て脆くも崩れ去った瞬間だった。
彼女のことを幼馴染としても、妹分としても見られなくなった。
……決して報われることのない苦しいだけのものだと理解しているのに、彼女に恋してしまった。
そのことが、どうしようもなく後ろめたかった。
純粋に自分のことを幼馴染として慕ってくれる彼女に、まったく綺麗じゃない、妹分に向けるべきじゃないものを向ける自分が汚い物のように思えて、それでもそんな感情を捨てられない自分が嫌で、嫌でたまらなくて。
けれど、汚い感情を持っている自分になにも知らずに懐いてくる彼女が可愛くて、食べてしまいたいくらいに愛おしくて。
押さえつけようと思えば思う程、目を逸らそうとすればする程、彼女への恋心は大きく膨らんでしまった。
けれど誰にもそのことを言えなかった。
そんなこと、誰かに相談するなんてできなかった。
妹のような幼馴染のことが一人の女性として好き、だなんて。
そんなことを言ってしまえば、周りから奇異の眼差しを向けられるだろうとなんとなく察していた。
だって周りの女の子たちは皆、恋をするのならば女の子にじゃなくて男の子にだった。
自分みたいに、幼馴染の女の子にそんな感情を向けている子なんて一人だっていない。いないのだ。
だから気持ち悪がられるだろうと思って、言わなかった。それから中学に上がった頃には、恋バナ自体を避けるようになった。
両親にだってそうだ。言ってしまえばきっと気持ち悪がられると思って、なにも言わなかった。言えなかった。
幼馴染の彼女にだって、言ってしまえば気持ち悪いと突き放されてしまうかもしれない。嫌われるかもしれない。嫌悪の眼差しを向けられるかもしれない。
それが怖くて、たまらなく怖くて、胸の内に秘めた恋心を告白することなんてできやしなかった。
そんな状態でも、ただの妹分と思っていた頃と変わらない態度を取り続けた。
平然と、さも自分は彼女のことをそういう目で見ていませんよと、アピールするように。
本当は全然そうじゃないのに。
彼女に対して、段々醜い劣情を抱いていったのに。
離れたくなくて、手放したくなくて、必死に取り繕った。
「わたし由莉奈のおメロン様見るまで、胸がお湯に浮くとか信じてなかったんだわ。でも今なら断言できる。胸は、浮く」
「馬鹿なこと言ってないでさっさと体洗え」
「おメロン様揉んで良いですか!?」
「あんたの揉ませてくれるんなら別に良いよ」
「揉み合いっこですね! 喜んでー!!」
「冗談を真に受けるな」
どんどん女性らしく成長していく幼馴染の姿に、どれだけ心乱されただろう。
一糸纏わぬ姿を見る度に、その体を犯したいと何度思ったことか。
そうしてそんなことを思う度に、自分と違って汚れきった欲望からではなく、単なる幼馴染同士の交流として抱きついてくる彼女の姿に、どれだけ罪悪感に苛まれたか。
でも、それでもやめられなかった。
好きな人の体に触れられることがどれだけ嬉しくて、幸せなことか知っていたから。知ってしまっていたから。
素知らぬ顔をしながら何度も抱き合ったり、一緒にお風呂に入ったり、同じベッドで眠ったりした。
歪な想いをずっと胸に抱えながら。
全てを正直に話すべきだと思いながら、嫌われるのが嫌だと逃げて、それでも一緒にいたいからと卑怯な真似をして、騙すような真似ばかりを繰り返す。
吐き気がするくらいに醜くて、汚い。
それでもやっぱり、高校生になってもなにも言えないままだった。
好きな人に気持ち悪いと、嫌われたくなかった。
そんな風に悶々とした想いを抱えていた高二の五月。
自分の恋を終わらせる言葉を幼馴染から言われた。
「あのね、由莉奈。なんかわたし、青崎君と付き合うことになっちゃった……」
少し困ったように眉尻を下げる彼女の姿に、その時が来たのだと。来てしまったのだと。
ぎゅっと、爪が食い込むくらい拳を握り締める。
覚悟していたことだった。
だってそれが普通だから。それが当たり前のことだから。
なのに、それなのに、今にも胸が張り裂けてしまいそうなくらい痛くて。
泣いてしまいたかった。泣いて、縋りたかった。その人ではなく私を選んでと。
「私も好きなんだよ」と。ずっとずっと前からそうだっんだよと、言いたかった。
「そっか、イケメンに告白されるなんてよかったじゃん」
――嗚呼……自分は今、ちゃんと笑えているだろうか?




