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第六話 新たな一歩

 二学期が始まった日。

 帰宅した紗希から「特にお兄ちゃんについて質問されたりはしなかったよ」と聞いて、少し安心した。

 けれど、学校でのことが気になる。特に休学の理由がどう伝わっているのか、少し不安だった。



 休学期間中の勉強の遅れが気になり、一日に三、四時間程度だけれど、勉強に取り組んでいた。それ以外の時間は本を読んだりして過ごしていた。

 それでも、どうしても『女の子』としての生活に慣れることができなくて、外出するのが恥ずかしく、ほとんど家に引きこもっていた。そんなボクを見かねた母さんが、ぽつりと言った。


「楓太、家に閉じこもって勉強に集中するのもいいけど、またアルバイトを始めてみたら? 少しは息抜きにもなるし、薬の開発についても教えてもらえるかもしれないわよ」

「そう……だね」

「それがいいわよ。私からも言ってあげるから、相談してみなさいな」

「うん。父さんが早く帰ってきた日か、土日に相談してみる」


 母さんの言葉に少し後押しされた。アルバイトなら……見知った人ばかりだし、他の人と接することで少し気分転換になるだろう。

 それに、父さんと話すことで、薬の開発について何か進展があれば、気持ちも楽になるかもしれない。



 翌日、いつもは夜の十一時を過ぎないと帰宅しない父さんが、珍しく八時と、早めに帰宅した。母さんがそのタイミングで声をかけ、研究所でのアルバイトのことを相談した。


「そうだな。母さんの言う通り、家に閉じこもるよりは、また研究所に行くのもいいかもしれないな。女子化したことがトラウマになっているとは思わないけど……本当に大丈夫なのか?」


「うん。父さんたちがきっと元に戻してくれると思ってるし、万が一このままでも、ボクのアイデンティティは変わらないから、それは大丈夫だと思うよ。女の子の服にはまだ慣れてないけど」

「楓太はお父さんに似て、理屈で物事を考えるタイプね……」


「あはは、外出して女の子の服に慣れないと、あたしのかわいい妹にはなれないよ?」と、話を聞いていた紗希が茶化す。

「紗希、妹って言うのやめて」

「中身は全然変わってないね。でも、そんなかわいい顔して怒っても、やっぱりこわくないよ〜」

「うるさい」

「まあ、大丈夫そうだから、明後日から一日おきくらいに研究所に行こうか。朝は車で送るよ」


 父さんがボクの様子を見て、行きは車で送られて、帰りは電車という、ちょっと優雅なアルバイト生活が決まった。


 車で送ってもらうのは、思ったより気が楽そうだ。女子の姿で電車で帰るのは少し不安もあるけれど、それでも自分で外出できるようになるのは、少しずつ慣れていかなきゃいけないことだ。



 翌朝、父さんの運転で研究所へ向かう。朝の渋滞を避けるため、九時半前に家を出る。

 自宅から山手本通りを進み、本町通り、栄本町線を経てけやき通りに入れば、研究所だ。

 帰りはどうやって帰ろうかな? と思いスマホで検索していると、今日は道が空いていたので、九時四十分には到着した。


 アルバイトは研究所の始業時間と同じ十時だから、一旦、所長室で山下さんとも話し合うことになった。

 昨日のうちに、研究所のスタッフにはボクが女子化したことが伝えられている。


「所員たちはみな知っていますが、今まで通り『楓太くん』と呼ぶのはちょっとまずいですよね……」

 まだ暑いので、半袖ブラウスに薄手のチェック柄のスカートを履いたボクを見て、山下さんが言った。


「そうだな……。アルバイトも名札を付けているしな……所内では『楓太』ではなく、『かえで』と呼ぶことにしようか。名札も新しく作り直そう」

 父さんがボクの名札『研究補助 北条楓太』を見て言った。


「あー、なるほどですね。所長、ナイスですね!」

「山下さんは相変わらず軽いですね」とボクが返す。

「そういうところが実験ミスに繋がるから、気をつけなさい」と、父さんから釘を刺された山下さんは、縮こまった。


 心の中でちょっと笑いながらも、ボクはこの新しい名前をどう受け入れるか考えた。

 女子化したことを意識せずに、仕事に集中できる環境を作るのは大切だ。だけれど、改めて『楓』という名前を呼ばれると、少し違和感を感じる自分もいる。

 でも、今はその違和感を感じる暇がない。仕事が最優先だ。



 研究室に着くと、白衣を羽織り、数日間は札を作り直せないだろうから、ラベルシールに『北条楓』と印刷して、名札の上に貼り付けることになった。


「じゃあ、しばらくは実験データの整理を手伝ってもらおうかな。今日はふ……じゃなくて、楓さんはまだ実験器具を触るのに抵抗があるだろうし」と、山下さんが名前を言い直し指示を出す。

「はい。でも、フラスコが割れたのはボクのせいですし、実験の手伝いは嫌じゃないですよ」

「じゃあ、実験の補助は徐々に再開していこうか」

「はい。あ、山下さん、『楓太』って言いそうになりましたよね。実はボクもまだ『楓』って呼ばれるのに慣れていなくて」

「たしかにそうだね……」と、山下さんも何かを思い出したように少し考え込む。


「そうだ。楓さんが休んでいる間に、新人の子が九月から入ったんだよ」

「補助員がいないと困りますもんね。それで、その子ってどんな人ですか?」

「高校生で、少し無口だけど真面目な子だよ。飲み込みも早くて助かってる」

「それは心強いですね」

「学校が午後四時に終わって、シフトが午後五時からだから、十五分くらい前には来るよ。たしか楓さんと同じ高校で高一だったはず」

「えっ、同じ学校の同学年なんですか? それって、ボクが楓太だって気づかれる可能性もあるんじゃ……」

「まあ、その容姿じゃさすがにそこまでは気づかれないと思うけど、一応注意はしておこうか」

「そうですね……紗希も何も言ってなかったので、たぶん大丈夫だとは思いますけど」

「うん、そうだね。気をつけて様子を見てみよう」


 昼食は山下さんと食堂で摂り、午後も作業を続けた。

 気づけば夕方、四時半近く。新しい子がそろそろ来る時間だ。


 作業が忙しくて忘れてた……うわ~、なんだか緊張する。

 もしボクが元男で、しかも北条楓太だって知られたらどうしよう……。

「あ、楓さん、緊張してる? 大丈夫、大丈夫」

 ボクが緊張しているのを察した山下さんが、根拠なくそう言ってトイレに行ってしまった……。


 冷静に考えてみると、気づかれたとしても、家族の協力もあるし、周りの人たちがそこまで気にすることはないかもしれない。ただ、自分の変化にはまだ慣れていなくて、心の中で整理がついていない部分もある。それでも、今は目の前の仕事に集中しなきゃ。


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