第四話 検査結果
「戻りました」
一条教授に連れられて控え室に戻ると、三人ともほっとした表情を浮かべていた。ボクもやっと検査が終わった安心感に、少し肩の力が抜ける。教授は結果を確認するためにすぐに部屋を出て行った。
教授を待つ間、誰も口を開かない……沈黙が息苦しい。
三十分ほど経つと、教授ではない女性――たぶん助手だろう――がノックとともに入室し、静かな空気を破るように言った。
「みなさん、楓太様の精密検査の結果が出ましたので、ご説明をさせていただきます。教授室にお越しください」
全員に緊張が走る。
助手と一緒にしばらく歩くと、左側に『生体検査室』と表示された部屋が見えてきた。うぇ〜、生体検査室――なんかイヤな名前だな。
助手がドアをノックし、中から「どうぞ」と応えがある。
「葉山です、失礼します。一条教授、皆様をお連れしました」と言いながら、先に入っていった。
中に入ると、すぐに一条教授が言った。
「楓太くんは、簡単に言うと、きみ――いや、あなたは女子化促進剤の影響と思われますが、乳腺や子宮、卵巣など、すべてきちんと備わっている女性の身体に変化しています」
そう言って、MRI画像の動画をモニターに映し出す教授。
画面に映った画像を見て、思わず「じゃ、ボクは本当に女の子なんですね?」と驚いて質問してしまった。
「ああ、そうだよ」
これが現実なんだ、と思った。もう覚悟を決めるしかない。
「研究者としては実験が成功したのは嬉しい反面、父親としては複雑ですね。男に戻れる可能性が一〇〇パーセントない状態は……」
父さんは静かに言った。
「戻る研究を早めないとな」
「ええ、そうですね」
父さんと山下さんが淡々と話す中、ふと紗希を見ると、寂しそうな顔でじっとボクを見つめていた。
「お兄ちゃんじゃなくなっちゃったのね……」
その一言が、胸に重く響く。ボクは、どうすればいいんだろう。
「そして、少し補足をしておきます」と一条教授が話を続ける。何を言われるんだろう……少し身構えてしまう。
「DNAから染色体が作られていることは、中学三年生あたりで学んでいると思います。人間の細胞には、四十六本の染色体があり、二十二対は常染色体、残りの一対は性染色体です。性染色体にはXX型とXY型があり、通常、XXは女性、XYは男性を決定します」
大人たち二人は無言でうなずく。
「はい」ボクは覚えているけれど、「あ、あたしそれ、忘れてるかも」と紗希が苦笑いする。
「ですが、楓太くんの性染色体は依然としてXYのままです」
「じゃあ、ボクはそのうち男に戻るんですか?」と、希望を込めて尋ねると、一条教授は静かに首を振った。
「いいえ、楓太くんの場合、性染色体はXYですが、ホルモンの影響で外見や身体の特徴は女性として発達しています。アンドロゲン不応症のように、XY染色体を持っていても、身体が女性的に発達する例もあります。それに近い状態と言えます」
「やっぱり、この身体で生きていくしかないんだ……ボク……」自然と出た言葉に、改めてその現実の重さがのしかかってきた。
「楓太、そうしょげるな。なんとか戻す薬剤を開発してみせる」
「楓太くん、元はと言えば私のせいでもあるから、所長とともに研究するから待っててくれ」
父さんと山下さんはそう励ましてくれたけれど、「う、うん……」としか言えなかった。
「……」紗希は無言だった。
*
DNAによる本人確認の結果が出るまで、まだ数時間かかると言われた。控え室に戻ると、食事が運ばれてきた。
「ゆっくり待っていればいいさ」と父さんは言ったが、気持ちは落ち着かない。目の前に食事があるのに、まったく喉が通らなかった。香りは漂ってくるのに、食べる気にはなれない。無理にでも口にしようとするけれど、喉が受け付けない。
結果が出るまでの時間が、やけに長く感じられた。
そっか……完全に女の子になっちゃったんだな。これからどうすればいいんだろう。考える時間ができると、どうしてもネガティブなことばかり浮かんでしまう。今朝、紗希に『女の子になっちゃったのに、いつも通り冷静なのは変わらないしね』なんて言われたけれど、全然冷静じゃない。
背が低いし、胸も小さい。紗希みたいに肩まである綺麗な黒髪じゃないし、鏡を見てもかわいい顔だとは思えない。
「な〜にぶつぶつ言ってんの?」
「ん? あ、ボクはあんまり女の子としてかわいいとは思えないな〜って」
「そんなこと考えてたの? お兄ちゃん、全然かわいいよ!」
紗希が笑顔でそう言うと、不思議と少し気が楽になった。
「でも、鏡を見ると違和感がすごいんだよね。見慣れない顔が自分だなんてさ」
「うん、そりゃそうだよ。急に女の子なったんだもん。でも、お兄ちゃん、男の時ってカッコよかったし、女の子になった今も素敵だよ」
紗希はそう言いながら、少し真剣な顔になってボクの隣に座り直した。
「お兄ちゃんがどう思っていても、あたしはお兄ちゃんが好きだよ。だから、自分を大事にしてね」
じんわりと温かい気持ちが広がる。紗希の優しさに、思わず顔が赤くなりそうだった。
「ありがとう、紗希。なんだか、少し元気が出た気がする」
「それなら良かった! でも、無理はしないでね。自分らしくいることが一番だよ」
「うん……」
紗希の言葉が嬉しいけれど、同時に何とも言えない申し訳なさが込み上げてくる。
父さんと山下さんは、ボクたちのやりとりを黙って見守っていた。父さんは少し目を細め、山下さんは控えめにうなずいていた。
*
しばらくして、一条教授が控え室に入ってきた。
「本人確認の結果が出ました」と教授が言うと、父さんが真っ先に聞いた。
「ガーゼに付着したくらいの量で検査可能だったのですか?」
「ええ。ガーゼを専用の洗浄液に浸し、血液中の細胞を溶出する方法を使いました。必要な量はごくわずか――直径一センチメートル程度の血液の染みでも十分なんですよ」
「そうなんですか……それで、楓太は?」
父さんが促すと、一条教授は落ち着いた声で検査結果を伝えた。
「ガーゼの血液と、本日採血した血液のPCR法での検査は一致しました。つまり、ケガをしたときと今ここにいる楓太くんは同一人物です」
父さんは一瞬言葉を飲み込んだ。
「ボクは、もう男には戻れない……何をどうすればいいのか、全然わからない……」
ボクが弱音を吐くと、紗希が小さくうなずきボクを見つめて言った。
「このまま女の子として生活することになっても、あたしは全然平気だよ。むしろ、女の子同士で一緒に買い物とかできるの、ちょっと楽しみかも」
少しだけ救われた気がした。紗希の前向きな態度が、重い空気を和らげてくれる。
やがて、中央研究所をあとにして車は静かに帰路についた。車内は静かだったが、紗希が隣で微笑んでくれているのを感じて、ほんの少しだけ気持ちが軽くなった。