第十七話 守る気持ち
一ヶ月が経ち、わたしは保健室ではなく、普通の教室で授業を受けられるようになった。
生活指導の先生が、わたしの状況を判断してくれた結果だ。
補習も受けなければならないけれど、「性別の変化が他の生徒への影響が見られない」というのが主な理由だった。
昼休み、山崎さんと太田さんと一緒に教室でお弁当を広げる。
保健室と違って、紗希と安藤さんがいないことが少し寂しい。
ふとそんなことを考えていると、男子がわたしの後ろに近づいてきた。
「楓さんって、元がいいから、女子になってもやっぱりめっちゃかわいいよな。ちっちゃいけど」
「なあ、髪触ってもいい?」と言ってわたしの髪を触ろうとする。
声からすると、中澤と中島だ。
「ちょ、ちょっとやめてよ!」
慌てて身体を引いたけれど、男子たちは笑いながら続ける。
山崎さんと太田さんは男子を怖がって、注意もできない様子だった。
「いやいや、髪とかめっちゃサラサラしてそうじゃん。ちょっとだけ触らせて?」
「あとさ、やっぱ女子ってこういうのにするの?」とわたしの肩に手を置こうとする。
「本当にやめて!」
強い口調で言うと、二人は少し驚いた顔をしたが、すぐに茶化すように笑った。
「ごめんごめん、そんな怒るなって! 冗談だよ、冗談!」
「楓さんって外で怒ると怖いんだなー」と言いながら去っていく男子たち。
ため息をつき、顔を伏せた。
そこへとおりがかった安藤さんが教室に駆け込んできた。
「山崎さんも太田さんもいるのにどうしたの! 楓、大丈夫?」
いつも冷静な安藤さんが慌てて言う。
「あ、梓さ……」少し涙ぐみ顔を上げた。
「うん、大丈夫。ちょっと男子にからかわれただけだよ」
安藤さんは眉をひそめてわたしの肩に手を置いた。
「からかわれただけ? そんな風には見えないですけど」
「……わたしが女の子になったから、みんな面白がってるだけだよ。仕方ないってわかってるけど……」小さな声で呟いた。
安藤さんは少し考えてから、静かに言った。
「仕方ないなんて思わないでください。嫌なことはちゃんと嫌って言ってください」
その言葉に少しだけ安心して、微笑み返した。
「ありがとう、梓さん。でも、わたしももう少し強くならないとね」
「ごめん、楓……、何もできなかった」
「わたしもごめん……怖くて何も言えなかった」
山崎と太田さんがそれぞれ謝った。
「ううん、大丈夫だよ。ありがとう……」少しだけ笑って答えた。
「もしまた何かあったら、私に言ってください。絶対守りますから」安藤さんはしっかりとした口調で、わたしを見つめていた。
山崎さんと太田さんは、わたしと安藤さんのやり取りを見ていたけれど、何も言わずに黙っていた。
*
夕方、家に帰ると、リビングには紗希が座っていた。ソファの上でクッションを抱きながら、そわそわしている。
「お兄ちゃん、おかえり。安藤さんから聞いたけど、今日、学校で何かあったの?」
紗希の声は明るいけれど、どこか探るような響きがある。
バッグを下ろし、少し考えて答えた。
「うん……ちょっと男子にからかわれて……で、安藤さんがすごく心配してくれたんだ」
その言葉を聞いた瞬間、紗希の表情が曇った。
「安藤さん、またお兄ちゃんに近づいてきたの?」
「近づいてきたって……安藤さんはわたしのことを本気で心配してくれてるんだよ。バイト先も同じだしさ。それに、紗希だって保健室では一緒に話してたじゃないか」
少し語気を強めて言い返した。
その反応に、紗希は黙り込む。
やがて、紗希がぽつりと呟いた。
「お兄ちゃんが安藤さんを頼るの、ちょっと嫌だな」と紗希は言ったが、その声はどこか揺れていた。
以前からわたしを守り、支える存在であることを誇りに思っていたであろう紗希にとって、他にその役割を果たす人が現れたことは、想像以上に複雑な感情を引き起こしていた。
「でも、安藤さんがお兄ちゃんを本当に助けてくれるなら、それはそれでいいのかな……」と紗希は続けた。
気持ちを抑えながらも、わたしの幸せを願う心と、必要とされなくなる恐怖との間で揺れ動いていた。
「え?」
驚いて目を見開いたけれど、紗希はすぐに笑顔を作り直した。
「なんでもないよ。ご飯の準備できてるから、早く食べよ」