第2話 出立
時は少し戻りロアンヌ南門外の安全地帯。
キャロルは苛立ちを隠せないでいた。
オロフが馬を用意するとは言ったものの、南門の放火騒動で停車場にいた馬たちもほうぼうに逃げてしまっていた。
――このまま、わたしだけでも馬を捕まえて追い掛けようか……。
キャロルは逸る気持ちを必死で抑えていた。火事場から離れたとはいえ、炎に照らされていた頬がまだ熱い。夜になりグッと下がってきた気温で冷えた手を頬に当て熱を冷ます。冷たい手が心に冷静さを与えてくれる。
顔を上げるとクロードとオロフたちが馬を引いて近づいてくるのが見えた。キャロルは駆け出して彼らのもとへ向かう。
「とりあえず十頭ほど用意できた。これで向かえる奴らから先に出発しよう。砂漠の外れとはいえ、日が昇ると移動は難しくなるから後続は明晩以降になる」
オロフは先発隊で出発する人員を分けて細かく指示を出す。
「キャロル、馬は乗れるか?」
クロードが馬上から話しかける。
「大丈夫よ。旅の一座で各地を廻っているときに散々馬には乗ったから」
馬の手綱を握ると補助もなしに軽やかに鞍上へ飛び乗る。
よろしくネ、とキャロルは馬の首筋を優しく撫でた。
「アイツらの集団は少数精鋭だが、傭兵を集めていたら二・三十人はいると思ったほうが良い。覚悟は良いか?」
オロフは馬装束の準備をしながら二人に声をかける。
「問題ないわ。何ならわたしとクロードだけでも良いぐらいだ。全員まとめて私の魔法で眠らせてやる」
キャロルは鐙の具合を確かめると軽く馬を走らせて様子を確認する。
「あらかじめ言っておくが、ロスには気をつけろ。あいつには恐らく魔法の類が効かない。サンタローサの屋敷でもあいつは眠っていないし、魔法にかかった振りをしていただけだった。それに底知れぬ怖さがある。もし対峙した時は用心しろ」
「ああ、分かったよ」
クロードとキャロルは馬を並べてオロフたちの準備を待つ。
オロフは部下の中から身が軽く腕の立つ者たちを選びキャロル達の元へと集まった。
「アイツらが獲物をアジトに連れ帰ったって事は、あのガキの命もしばらくの間は大丈夫だろう。いずれにしても今夜中に片を付ける必要があるがな……」
二人はオロフの言葉にうなずき返す。
「それじゃあ出発するぞ。アイツらのアジトは打ち捨てられた昔のオアシスだ。古い街道が残っているから馬でも行けるが、日が昇ったら暑さでやられるぞ!」
オロフが馬を駆ると部下たちがそれに続いた。キャロルとクロードは彼らの後ろにつけると並んで馬を走らせた。
しばらく行軍が進むとクロードは馬を寄せて来た。そう言えばとキャロルに話しかける。
「さっき相手をした獣のような暗殺者の顔に大きな入れ墨があっただろう」
キャロルは無言で頷く。
「馬で思い出したんだが、大陸中央部のべルーム公国とヘスティア王国の間にある切り立った峠道で、荷運びを取り仕切っている馬族が同じような墨を入れていた。あそこは山岳民族で馬の扱いはもちろん、戦闘民族としても有能らしい。もしかしたらその部族の出身かも知れないな」
正面からの強い風を受けながら、必死に馬を操るキャロルは視線を前に据えたまま答える。
「あの娘は怒りと悲しみの感情に支配されていたわ。ロアンヌでもたまに見かけるけど、ひどい経験をした子供などは感情が壊れて暴力的になったりするのよ。今あの娘の心は休まること無く、常に心の中で暴風が吹き荒れているような状況よ。人の感情だって精霊の影響を受けているわ。あのままだと感情が暴発して、体から精霊が離れてしまう。そうなったら精神的な死を意味する。そうなる前にあの娘をゆっくりと眠らせてやりたい」
キャロルは苛立ちを見せるように二度三度と鞭を振るう。
「そうなのか……」
「レビンを助けることが最優先だけど、もしあの娘が出てきたらわたしに任せて欲しい。わたし以外だと殺し合いになちゃうだろうしね。その場合はレビンの事を任せるよ」
「わかった」
******
オロフは砂漠の端まで来ると馬の速度を落として止まるよう指示を出した。部下たちは下馬すると手際よく水を用意して馬を休ませる。
「ここから先が風の回廊と呼ばれる昔の街道だ。ここで少し馬を休ませてから一気に行くぞ」
キャロルは砂漠の中をまっすぐに進む街道の敷石の前に立つと行く先を見つめていた。時折、小さな旋風が石畳の上を走り砂を巻き上げている。
「どうしたキャロル?」
「すごい、まるで妖精の小径だわ! 風の精霊たちがどんどん集まって来ている。こんな場所があったなんて……」
「妖精の小径? あの急に人がいなくなったときに言われる迷い道のことか?」
「そう、精霊たちが行き交う、現世と深界の狭間の世界。あの狭間に落ちると精霊の助けなしに戻ってくることは無理な場所よ」
クロードとキャロルが話していると得意げな顔つきでオロフが近づいて来る。
「以前はこの道を通ってオアシスまで通ったらしいが、そこも人が住まなくなってな、今では根城にしているクレマンたちしかここを通る奴はいない。この道は数千年前の古代遺跡と言われているらしくてな。常に風が砂を飛ばして、街道が砂に埋れないようになっているという代物さ。昔、この敷石を盗んで売りさばこうとした盗賊がいたんだが、ここから離れたらただの石になっちまったらしい。お嬢は何か分かるのか?」
キャロルは軽く頷くと両手を突き出す。
「多分、古代の魔法が残っているみたいね。ここならいくらでも風の精霊魔法が使えるわ! 加速!」
キャロルを中心に風の渦が巻き上がった。あまりにも風が強すぎてクロードとオロフがよろめく。休んでいた馬たちも慌てていなないた。
「全く魔法の負担感がない……。これだけ風の精霊が強ければ馬ごと全員まとめて魔法を掛けられるわ」
「オイオイ、そんなに早く走って馬は大丈夫なのか? 無理をさせれば泡を吹いて倒れちまうぞ」
「大丈夫よ。人だって加速の魔法で手足がちぎれたり息が上がったりしないでしょ? それと一緒よ。馬も普段より楽に速く走れるわ」
キャロルは精霊魔法を覚えたての頃にいろいろな動物に魔法をかけて試した経験があった。それらを踏まえた上で今回も大丈夫と言いきる。
「お頭! 馬の準備ができました!」
オロフの部下たちが馬を引いて集合してきた。馬たちも僅かながら休息を得たことですっかり機嫌が良いようだった。
「信じて良いんだな? お嬢……」
全員騎乗すると、オロフは少し戸惑った表情でキャロルに話しかける。
「任せて。これで一気に差を詰められるわ!」
キャロルは目を閉じて深呼吸をすると、胸元にしまった小笛に手を当てる。
「軽き風の衣を身にまとい共にゆけ! 加速!」
十騎を包むように風が渦を巻く。
「さあ行くわよ!」
キャロルの言葉にオロフが頷く。
その手が挙がると一団は砂塵を巻き上げて駆け出した。
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