第9話 地下牢
陽はとうに陰り、夕闇が貧民街を支配しようとしていた。
人々は戸口を閉めて屋内に籠もり息を潜める。日没以降は何が起きても人々は関与しない時間帯であった。
物陰で息を潜めて酒場の裏手を見つめる影がひとつ。その身は灰色のローブに包まれフードも目深にかぶっている。
白銀の姿だった。
安全地帯でクロードと別れると衣装を変えて、クロードの後を追いながら人目を避けて酒楼カイテルまで辿り着いていた。
一階の通用口とは別に地下へ降りる外階段の入口が見えた。地下牢が有るという話だったが、先ほど店主とおぼしき男が地下から酒樽を運び上げてきた事から、恐らく地下が倉庫になっているのだろう。
――時間がないな。地下に降りてみて地下牢がなければクロードがいるはずの店内へ忍び込もう……。
酒場の様子をうかがっているクロードを視界に捉えながら懐から精霊銀の小笛を取り出す。
ラプラタが唇を当てて軽く吹くと優しい音色が響く。だがその音色に気が付く者はいない。クロードだけに聞こえるよう操作された精霊魔法の音色だった。
クロードが動き出すのを確認すると、ラプラタは音も立てずに地下への入口まで近づく。周囲に人の気配が無い事を確認すると耳飾りを指先で弾く。
――風の精霊よ、地下の状況を教えて……。
風の精霊を介して地下の様子がラプラタの意識に流れ込んでくる。
階段を降りると扉があって、中に入ると倉庫。倉庫の中には三人の男たちが酒を飲みながら賭け事をしている……。倉庫の奥には扉があって、そこを抜けるともうひとつの倉庫。その倉庫には人がいない。奥には更に地下へ降りる階段があってそこを降りると……。
――ッツ! 精霊が弾かれた!? 奥の階段になにかの結界が張ってあるのか?
ラプラタは意識を自分の場所に戻すと、地下へと続く階段を見下ろす。
(聖音・夢想の調べを使うと酒場の中まで影響が出るから使えないな……。ひとつずつ潰して行くか)
階段を足音ひとつ立てずに降りると倉庫の入口の扉に近づく。室内からは男たちの騒がしい声が聞こえた。懐から小笛を取り出すとさっと振り下ろす。微かな風切り音が聞こえたかと思うと扉の向こう側が静まり返った。
ラプラタは鍵が掛かっていないことを確認すると音も無く扉を開ける。酒樽や食材が煩雑に積まれた倉庫の中では三人の男たちが古びた机に突っ伏して寝ていた。男たちの足元には酒盃とカードが散らばり酒が床を濡らしている。
男たちを横目に奥に続く扉を確認すると静かに近づき扉を引く。奥の部屋も同じような倉庫が続いている。部屋の奥に階下へ続く階段を確認するとラプラタは慎重に近づいた。
――階段に盗賊除けと警報の結界が張ってあるが……。
ラプラタは身につけているローブを乱れを確認するとそのまま階段を降りる。警報や結界もラプラタに反応すること無く通過することができた。
ラプラタが羽織る灰色のローブは風の精霊の加護が付与されており、フードまでしっかり被ると装着者に沈黙の呪文と同様な効果が発動するのに加え、軽度の身体強化や呪文無効化の効果をもたらす物であった。
もちろんローブの力がなくとも忍び足などはお手の物であったが。
階下はひやりとした冷気に包まれていた。ザラザラしたむき出しの岩壁に多足の虫が走り回る。岩壁に挟まれた細い廊下が奥まで続く。奥からは微かなうめき声と水滴の音、それに腐ったような嫌な匂いが漂う。
――空気が澱んでいて風の精霊が働かないな……。
灯りとして床に置かれた発光体が通路を照らす。通路はすぐに左手に折れている。奥を覗くと少し広い空間となっていて、幾つかの地下牢と鍵の掛かった扉が並んでいるのが見える。無造作に置かれた金貨や銀貨の山もあった。
牢屋のひとつに人影が動いた。
――あそこか……。
ラプラタは注意深く牢屋前の広間を見た。床には水溜りが広がっているものの監視や罠の様子な無かった。ただ、金銀の山となっている場所の脇には小さな悪魔の石像が配置されている。
――まさかこんな場所にガーゴイルの石像なんか無いわよね?
ガーゴイル。
一般的に財宝を守る石像の悪魔と呼ばれている。お宝に手を出さなければ問題ないはずだった。
――お金は欲しいけど今は救出を優先させないと……。
石像を遠巻きにしながら広間を進む。石像が動いたりする気配は無さそうだった。
足元の水溜りが粘り気を帯びていて異臭を放つ。牢屋の前まで来ても奥は薄暗くよく見えない。
「フェリペ、ジャン。大丈夫か?」
ラプラタがフードを外して声をかけると暗闇の中で二人が体を起こす。
顔は殴られて酷く腫れているが、ラファの家で一緒に育った兄弟であるフェリペとジャンで間違いなかった。
「わたしだ、キャロルだ。助けに来たぞ」
ラプラタは手早く牢屋を解錠すると二人の状況を確認した。ふたりとも衣服はボロボロで怪我の状況は酷い。フェリペは自分で立ち上がることができたが、ジャンは肩を支えないと歩くのが難しそうだった。
「キャロル……? なんでお前がここに?」
フェリペはよろよろと立ち上がりながら目を凝らした。
「あんた達がカタリーナ母さんに迷惑を掛けるからでしょ! ホセが傷だらけで脅迫状と一緒に送り届けられて大変だったんだから……」
ラプラタはフードを目深に被り直すと、ジャンの体を支えながら立ち上がり牢屋の外へ出た。
「母さんが、ここを出たら二人は二度とラファの家には近づくなって言ってたわ」
ジャンは悔しそうに俯いている。
――ここだと風の精霊が使えないから早く階段のところまで戻らないと……。
バキッ。グシャ。
広間の中ほどまで来た所で後ろから鈍い音が響いた。
ラプラタが振り返るとそこにフェリペはおらず、小型のガーゴイルが棍棒を手に立ち尽くしていた。その足元にフェリペは転がりうめき声を上げている。彼の手には数枚の金貨が握られていた。
ガーゴイルは顔をラプラタ達へ向ける。その目は石像そのものであり生気は感じられない。
「あの馬鹿、こんな時まで欲出しやがって!」
フェリペに呪いの言葉を吐き捨てて精霊銀の小笛を構える。
「音の精霊よ。十重二十重の響きとなりかの者を包め! 共鳴!」
広間の空気が歪むと無数の破裂音が鳴り響く。ガーゴイルの体が微かに震え始めると大きな音と共に亀裂が走る。更に亀裂が増えると石像は崩れ始め砂塵へと姿を変えた。
「ふう、相手が石像で助かった。生身の相手だとこうはいかないからな……」
ラプラタはジャンの肩を放すとフェリペの様子と確認する。
――脇腹の骨は折れてるが歩けそうだな。
「早く立って! 物音を聞いて上の番兵達が降りてくるぞ!」
フェリペを無理矢理立たせるとジャンを連れて出口の階段まで急いだ。
――ここまでくれば風の精霊も使える。
階段下へと辿り着いたラプラタ達は番兵達が結界を解いて降りてくるのを待ち構えた。三人一緒では結界をすり抜けることは不可能だったからだ。
ラプラタは階段下へ二人を座らせ、沈黙の呪文を準備して様子をうかがう。
「おい、本当に下から音がしたのか? 結界は残っているぞ……」
「間違いなく下だ。さっきから上がうるさいが、あの変な音は下から響いてきた。もしかしたらガーゴイルが暴れてるかも知んねぇぞ……」
男たちが結界を解除して階下へ降りてくる
「沈黙」
辺りが魔素で包まれる。男たちは異変を感じて慌てふためくが、言葉どころか足音すらまったく聞こえない状態に陥っていた。
ラプラタは男たちに駆け寄ると、素早く当身と肘打ちを喰らわせてたちまち意識を失わせる。
「よし、脱出するよ」
沈黙の呪文を解除すると二人を立たせて階段を急ぎ足で登る。来た道を通り倉庫を抜けると一気に地上まで飛び出る。外はすでに暗闇に包まれ街を歩くものはいなかった。
ラプラタは二人を連れて建物を離れ、細い路地裏に隠れる。フードを外し大きく息を吐くと二人の方を見つめる。二人ともわずかに差し込む月明かりに照らされている。助けた時はフェリペのほうが軽傷であったが、今は二人とも同じ程度に見えた。
「もう一度母さんからの伝言を伝えるね。もうラファの家には顔を出すな。これ以上、厄介事を持ち込むなよ」
二人は顔を見合わせるとフェリペが口を開いた。
「分かったよ。俺たちも家を飛び出したクチだ。文句は言わねぇよ。俺たちになにかあってもラファの家とは無関係だ」
そう言うとフェリペはジャンを連れて路地裏に姿を消した。ジャンはすまなそうに一度だけ振り返った。
二人を見送るとラプラタは路地裏を出て酒場の見える位置まできた。まだ店内にいるであろうクロードに合図を送ろうと小笛を取り出したとき思いも寄らない景色が目に入った。
「南の大門が燃えている……?」
ラプラタの目には炎に照らされた南の大門が映っていた。
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