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第8話 酒楼カイテル

 クロードは日暮れ間近の貧民街を歩いていた。


 ラファの家を出発したあと、クロードとキャロルの二人はレビンを南門の安全地帯にある宿屋に連れて行った。安全地帯とはロアンヌの街の各大門外側に隣接する一定区域のことだった。

 北門・東門・南門とあるその区域内には隊商の集積場や各商家の倉庫・別宅、それにロアンヌの街へ入ることを嫌う者たちの食堂や宿屋などもあった。ちなみにキャロル達が乗ってきた乗合馬車の降車場もこの区域内にある。


 この安全地帯は出入りする者たちは限られており、物売りや用事のない者は立ち入ることが出来ない作りとなっていた。その分、区域内の物価は非常に高く、宿賃は市内の約十倍ほどの値段となっている。


 盗賊たちの溜り場へレビンを連れて行く訳にいかないという結論に至った二人は、安全地帯にある宿屋で待機するよう伝えていた。ラファの家でも良かったのだが、もしも暗殺者の襲撃があった際に甚大な被害が出ることを恐れてのことだった。安全地帯であれば出入りできる者も限られるため比較的安全だと思われた。


 狭い路地を歩くクロードをボロを着た住民たちが珍奇なものを見る目で眺める。ロアンヌの街に駐留する傭兵たちでも貧民街を訪れる者はほとんどいない。いかな屈強な傭兵であっても貧民街の住人に囲まれれば無事では済まされない。


 クロードは足早に路地を通り抜ける。


 キャロルは後ろから付いてきているはずだった。打ち合わせではクロード一人でくだんの酒楼へと乗り込み、盗賊達を引き付けているうちにキャロルが兄弟たちを救出する予定であった。

 侵入時と脱出時は笛の音で合図をくれる事になっていた。

 ――あとは信じるしか無いな……。


 クロードが少し開けた場所に出ると古びたレンガ造りの建物が目に入った。遠目に酒楼カイラルの看板が見える。入口付近の路地には酔いつぶれた者や座り込んで二・三人で賭博に興じる男たちがいた。いずれも貧民街の住人ではなく、他所の街であれば無法者と呼ばれる集団であろう。

 ――この街だとこういう連中も隠れないで生活できるんだな……。


 物陰から様子をうかがっていると遠くから合図の笛の音が聞こえた。

 クロードが酒場に近づくと男たちは余所者を見る目で睨みつける。その視線を無視してクロードは酒場の中へと入る。


 酒場の中は六脚ほどのテーブルとバーカウンターがある作りだった。二階へと上る階段があり上階ではラファの娘達が見下ろしている。各テーブルにはそれぞれ二~三人の男たちが酒を飲んでいたが、クロードが入ると一斉に視線を向けた。

 クロードは店内を一瞥するとバーカウンターまで歩き店主と思しき男に声をかける。


「この酒場にオロフという男がいるはずだが? どの男だ?」


 店内が静寂に包まれ、店主が食器を拭く音だけが聞こえる。

 店主がひとつのテーブルに視線を送ると、クロードよりも大柄な男が立ち上がって近づいてくる。


「残念だったナ、傭兵さんよ。オロフさんはここにはいねぇゼ」


 野卑な笑い声が男たちから漏れる。


「入店料として、その高そうな武器とか置いてッテくれねえカ?」


 大男がクロードの肩に手を掛けながら顔を寄せると酒臭い息がクロードの顔に掛かる。


「いなければ呼んできてもらおうか?」


 クロードが素早く体の向きを変えると左の拳を下顎に叩き込んだ。

 大男は近くのテーブルごと派手に吹き飛び派手な音を立てて床に転がった。巻き込まれた男たちが酒を手に慌てて逃げる。

 ――キャロルから派手に暴れてくれと言われていたからちょうどいいだろう。


 大男はその身に似合わず素早く立ち上がると右手にナイフを構える。男の鼻からは血が流れそれを手の甲で拭う。周りの男達も椅子から立ち上がると身構えて成り行きを見守る。


「テメエ。生きて返さねえゾ!」


 大男は素早くナイフを突き出すが、クロードはそれをやすやすと躱して右の拳を腹に突き刺す。


「グフッ!」


 前のめりになった大男の横っ面にふたたび左の拳を叩き込むと、大男はその場に膝から崩れ落ちた。

 大男を殴り倒したクロードを見て酒場中の男たちが武器を構える。

 ――十人ぐらいか? 一人ぐらいは残しておかないとオロフの居場所を聞き出せないな……。


 クロードは長剣は抜かず両手の拳を握りしめた。


「そこまでにして貰おうか。これ以上仲間が減るとウチも売上が減って困る」


 二階の廊下に細面な壮年の男が姿を表した。


「お前らも武器をしまえ! 全員で掛かっても怪我するだけだ。そうだろう、傭兵王の旦那?」


 そういうと男はラファの娘を従えて階下へ降りてくる。男は黒い短衣に身を包み、足音も立てずに階段を歩く。店の男たちも全員武器をしまうと壁際に並んで整列した。


「わしがオロフだ。何の用があって来た?」


 オロフは椅子に座り酒を要求する。すぐさま後ろに控えるラファの娘がさっと酒を注ぎテーブルに置いた。クロードは警戒したままテーブルを挟んで反対側の椅子に座る。


「先日あったラガルド商会の襲撃事件について聞きたい。あんたが関わっていると聞いたが本当か?」


 オロフの眉が僅かに動く。


「旦那、それを聞いてどうする? あの事件は懸賞金も掛かっていなければ、商会の生き残りすらいないはずだ」


 ラファの娘を隣に侍らせ肩を抱き寄せるオロフ。その目はクロードの真意を探ろうとしていた。


「あの場に一人の少年がいた。その少年をさらった奴がいるはずだが、お前たちではないのか?」


 クロードはオロフの目を見つめる。オロフは酒を揺らしながら少し考え込む。


「正確にはわしらの依頼主が連れて行った。わしらはその依頼主と一緒にそのガキをさらいに行くだけのはずだった……」


 別に依頼主に義理立てする必要もない。とオロフはつぶやく。


「そいつはラガルド商会の連中とは話がついているから、店に押し入ってガキ一人を連れ出すだけだって言ったんだ。だから、わしはこの店にいた連中を連れて商会まで行った。だがな」


 オロフは酒を一気に呷る。


「現場は血の海になっていたよ。それを見た依頼主がものスゲぇ勢いで駆け出してなぁ、先に入っていた盗賊だか何だか分からねえ連中を、手当たり次第切り倒してガキを助け出したんだよ。わしらもロクな準備をしていなかったからな。かなりの人数をやられちまったよ……」

「その依頼主は誰なんだ?」

「知らないほうがいい。この街じゃ死神って呼ばれている男だ。もう何年も噂を聞かなかったから、死んだもんだと思っていたんだがな。旦那がさっき殴り倒した男はわしの次に腕の立つ男だが、少し前までもっと強い男がいた。その男は死神がこの店に来たとき一瞬で首を切り落とされて死んだよ。人を殺すことにかけては傭兵王の旦那よりも数段上だろうな……」


 大きく酒臭い息を吐くと後ろに控える娘に酒を注がせる。


 ――その依頼者という男がルドルフの雇った人間なのか?


「そうか。先にラガルド商会の店に襲撃していた奴らに心当たりは有るか?」

「一人だけ知った顔がいた。クレマンという暗殺者だ。他はわからん。連携も取れない奴らだから、その辺りでかき集めたゴロツキ共じゃねぇかな? それとなんか勘違いしてねぇか?」


 オロフはニヤニヤと笑いながら首を傾げる。


「なにがだ?」

「わしらが行った先は、同じラガルド商会でも商人街の方じゃなくて、安全地帯に有る別宅の方だぜ。依頼人の手引で安全地帯に侵入して、さっさとズラかる予定だったんだがな。奴らは安全地帯だろうがお構いなしって事よ」


 クロードの顔から微かに血の気が引いた。それと同時に遠くから不測の事態を知らせる笛の音が聞こえる。

 ――まずい。レビンを一人にしてはいけなかった!


「どうした旦那。何か心配事でもあったか?」


 クロードの心を見透かすように目を細める。


「すまない。急用ができた! これを取っておいてくれ」


 クロードは勢いよく立ち上がり、銀貨の入った革袋をテーブルの上に投げると店外へ飛び出した。



 ******



 クロードが酒場へ乗り込むのとほぼ同時刻。

 安全地帯にある宿屋の一室。

 レビンが部屋で待機していると扉を叩く音が聞こえた。


「誰ですか?」


 声をかけても応答がない。レビンは慎重に短剣を抜くと扉を見つめた。

 鍵が音もなく外されて扉が開く。


「レビンさん、探しましたよ」


 扉の外で長身の男が優しく微笑んでいた……。


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