第8話 霧中の戦い
「御者! 魔物よけの結界は張っているか!?」
クロードは焚き火を囲む集団のそばまで駆け寄ると大声で叫んだ。
「ふぇっ? いつもの虫除けと獣除けだけですぜ?」
赤ら顔の御者が状況を把握できないまま答える。
「ちっ、ダメか。そっちの傭兵! 湖から離れろ!」
小柄な傭兵が何事かと振り返った瞬間、丸太のような何かが傭兵の体を跳ね飛ばす。弾き飛ばされた傭兵は幌馬車の近くで倒れ込み苦悶の声を上げた。
霧が濃くなりつつある湖畔の暗闇から複数の火の玉とともに触手を振り回す巨大な影が姿を表した。伸び上がったその姿は人の三倍ぐらいの背丈がありそうだった。
焚き火を囲む集団から悲鳴が上がる。
「ありゃ何だ?」
「あれは沼蛸だね。内陸の大きな湖などに住み、人や獣を水の中に引きずり込む魔物だわ。あの周りにいる炎は死人魂で、沼蛸に喰われた九の魂で出来ていると言われているよ……」
キャロルが冷静に答える。その表情はルドルフの屋敷で見せた、白銀と呼ばれた時と同じだ。
「てことは、火の玉が五つあるから、最低でも四十人はやられている訳か」
クロードは距離をとって魔物と対峙すると長剣を構える。
「ぼっ、僕も戦います!」
レビンが二人の元へ駆けつけると小剣を抜いた。抜き放った剣先が震えている。
(実戦経験はほとんど無いよな)
キャロルはレビンの後ろに立ち、震える少年の肩を押さえる。
「レビンは怪我した傭兵を連れて、他の乗客と一緒に馬車の中に隠れてな!」
沼蛸が器用に四つ足で立ち上がり、残りの四本を振り上げ奇声を上げる。八本の足が集まる中心部には大きな口が開き、粘液に濡れた凶悪な牙が無数に並んでいた。
「あのでかいのは俺に任せろ。キャロルと傭兵たちは火の玉を頼む」
「あんたに命令されんのは癪だね」
キャロルは紫曜石の刀身を水平に構え、詠唱を始める。
「軽き風の衣を身にまとい共にゆけ! 加速!」
一瞬、クロードの全身を淡い光が包む。死人魂が吐き出した火球を長剣ではたき落とすと、目の前の死人魂を一刀のもとに切り捨てる。
「さぁ、蛸のバケモンは俺が相手だぜ。かかってこい!」
クロードは自分の背丈を遥かに超える魔物に向かって長剣を構えた。
******
キャロルは沼蛸へ向かっていった剣士を見送ると、戦況を確かめた。
(さてと、こっちは死人魂が四体か。馬車を守らないとマズイから、できるだけ引きつけないと……)
「こっちで敵を引きつけるから、あんたら傭兵は馬車の方に敵が行かないように注意しろ!」
「あぁ? 女がナニでかい口きいてんだ! 戦いのことは俺たちにまかせろ!」
キャロルは傭兵たちを無視して詠唱を始める。
「風の精霊よ、そのするどき爪を刃とし、驟雨のごとく降り注げ! 烈風!」
死人魂に向かって、上空から無数の風の刃が叩きつける。
炎が大きくゆらぎ、その身はいくつかに分裂したものの、すぐにまた大きな塊へと戻る。
「チェッ、一気に全滅とはいかないか」
「おいおい、姉ちゃん魔法使いかよ。ビビったじゃねえか!」
驚きの声を上げる太鼓腹の傭兵を無視してキャロルは呼吸を整える。
三体の死人魂がキャロルの方へ進み出すと、全身を軽く膨らまし炎を吐き出した。
キャロルは二つ三つと軽やかに炎をかわすと、最後のひとつを紫曜石の刀身ではたき落とす。
「おい! こっちの三つはわたしがやる。そっちに行った奴はまかせた!」
キャロルは少し下がり間合いを取ると、紫紺の刀を水平に構える。
魔力を帯びる紫曜石の刀身が淡く光る。
「風の眷属たる、音の精霊よ。ここに集いて舞い踊れ!」
死人魂を中心に大気が揺らめく。
「爆ぜて響け、空震!」
雷が落ちたかのような轟音とともに激しい振動が走る。
キャロルが見つめる中、哀れな魂たちは細かな火の粉へ姿を変え、霧の中に消えていった……。
******
「あのオンナ、なんて魔法を使いやがるんだ!」
ゴイは爆発の衝撃波で盾を落としそうになるのを必死でこらえていた。
(あんな魔法を使う奴なんか、傭兵連中でも見たことがねぇ。北方から来た冒険者か?)
目の前の死人魂が吐き出した三連の火の玉を盾で弾くと、ゴイは後ろに控える巨躯の弟に合図を送る。
大きな斧を力いっぱい振り回すも、そこに敵の姿は無く、ひらひらとかわされてしまう。
「くっそぅ。ザンがいねぇから、敵の注意を引きつけることが出来ねぇな」
黒丸三兄弟は常に三人一組で戦うことが多かった。盾役の長男が攻撃を受け止め、次男が素早い攻撃で相手を引きつける、そしてその隙に三男が強烈な一撃を食らわす。
兄弟は常に連携して戦うことを得意としていたが、次男が早々に戦線離脱したことにより攻めあぐねていた。
(俺がやるしかねぇか……)
「デロ、あいつの攻撃を受けきったら俺が引きつける。その間に行くんだ」
デロは無言で頷く。
死人魂は体を膨らますと、その身を震わせながら火球を吐き出す。
大盾で攻撃を受けながら、その数を数える。先程から敵の吐き出す玉は三発ずつだった。
(イーチィ、ニーィ、サン……、よし!)
ゴイは両手で支えていた盾を離すと抜剣した。刹那、眼前に火球が迫る。
「バッ…‥四発目……!?」
衝撃とともに目の前が真っ暗になる。
地面に叩きつけられた衝撃でゴイは目を開いた。体の上に巨躯が覆いかぶさっている。
「お前ッ!」
弟が身を挺して兄者をかばっていた。
革鎧の背面が焼け焦げていたが、大事には至っていないようだった。
死人魂が体を膨らませ、追撃の体勢に入る。ゴイは慌てて盾を拾うと、弟を庇って構える。
今度は無差別に多数の火の玉を吐き出した。もう、回数など数えていられない。ゴイは必死に盾で自分と弟の身を守る。
そのうち、いくつかの火球が馬車に向かって飛んでいくのを見た。
(まずい! 直撃する)
ゴイの場所からでは、もう止めようが無い。哀れ、化け物の炎で馬車が炎上するのを覚悟した瞬間、何者かが火球を叩き落とした。
「僕だって戦えます!」
レビンは盾と小剣をうまく使って火の玉を弾くと、死人魂へ駆け寄り全力で剣を振るう。
戦いに慣れていない者の剣筋であったが、手数の多さで死人魂を後退させる。
(あいつは、楽器を弾いていた小僧か?)
ゴイの中で何かが閃く。
「小僧! 俺の後ろに入れ!」
レビンはその声に気がつくと全力でゴイのもとへ駆け寄った。
「俺があいつの攻撃を受けるから、小僧は合図したら飛び出して手数で押し込め! デロ! 行けるな?」
弟は巨躯を屈めて攻撃態勢を取る。
死人魂は再び体を膨らませて火の玉を吐き出した。
ゴイは盾を構えたまま走り出すと、火球を弾きながら盾ごと体をぶつける。
死人魂は衝撃で火花を散らした。
「小僧! いまだ、行け!」
「はいっ!」
レビンは盾の影から飛び出すと、宮廷剣術のレイピアのように小剣を構え、力の続く限り突き崩した。
炎が刀身によって散り散りになりながらも、反撃をしようとその身を膨らませ始める。
その瞬間、地面まで切り裂く程の斬撃が死人魂を襲う。
斧が地面に突き刺さった衝撃で、周辺にまで軽く振動が伝わった。
デロの大斧だ。
真二つに切り裂かれた炎は、一瞬ひとつに戻ろうとしたが叶わずにその身を消した。
「ふぅ……。死ぬかと思ったぜ」
ゴイは太鼓腹を弾ませながら地面に転がった。
******
暗い思考の中で考えていた。いや、思考があるのかは怪しい。本能と言ってもいいだろう。
いつものように、目の前にいる獲物を捕らえようと、触手を振るっているのに捕まえられない。
それどころか、既に二本も触手を切られていた。
他にも獲物の匂いがするから、そちらを狙おうとしても邪魔をされている。
いつまでも食事にありつけないでいる訳にはいかない。
先に動けなくしてから巣穴へ引きずり込めばいい。
大きな口を開けると毒素を含む霧を吐き出す。いつもなら獲物は動けなくなり、ゆっくり咀嚼することができる。
そのはずだった。
体を支える触手が切られ、地面にたたきつけられた。
魔物は何が起こったのか理解が出来ず、地面をのたうち回りながら触手を振り回して暴れ始めた。
思考はどす黒い渦の中に沈んでいった。
******
「今の攻撃は危なかったな」
沼蛸の吐き出した毒霧をかい潜ると、クロードはそっと革鎧の下にある首飾りを確かめる。
通称・聖女の祈り。
要人が暗殺防止で身につけることが多い魔道具の一種。主に毒や麻痺の効果を無効化する作用が秘められている。
国を出る際に手引きをしてくれた方が、そっと忍ばせてくれたものだった。その裏面には本来の持ち主の名前が記されている。クロードは小さく祈りを捧げると、長剣をなぎ払う。
沼蛸の足の部分がちぎれ飛び、黒い液体のようなものを撒き散らした。
バランスを崩して地面に転がり、つんざくような怒声を発する
怒り狂った化け物が残った触手を滅茶苦茶に振り回し始める。
「もう、自棄になったか?」
鞭のように振り下ろされる触手を捌きながら、クロードは間合いを詰める機会をうかがう。
「苦戦しているみたいだな、少しだけ手を貸してやろうか?」
レビンたちの戦いを見届けたキャロルが声をかける。
「俺はなぁ、もう見栄や意地で戦局を見誤るのはコリゴリなんだ。借りられる力は借りるぞ」
「フン、意外に素直なんだな。図体がデカイから深手は無理でも、動きを止めることぐらいはできるだろ……」
キャロルは精霊銀の小笛を取り出すと体の正面で水平に構えた。
身にまとうローブが風にはためき、小笛が淡い若葉色の光を放つ。
「偉大なる風よ、御空より舞い降り、この地にて渦巻け。暴風!」
沼蛸を中心に猛烈な竜巻が巻き起こり、荒れ狂う触手ごと動きを封じる。
叫び声とも唸り声ともつかない沼蛸の声が周囲に響く。
「魔物よ、魔界の暗い淵へとかえれ」
風の渦が消えた瞬間にクロードの長剣が一閃する。
触手ごと胴体まで割かれた沼蛸は、ドス黒い煙となりその姿を散らしていく。
魔物がすべて消えると広場を覆っていた霧が薄れ、同時に隠れていた乗客たちが歓喜の声を上げた。
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