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第4話 キャロルの記憶②

 厨房と食堂が一緒になった広い室内には、煮込み料理の匂いが広がり四人の鼻腔とおなかを刺激する。

 火にかけた鍋をかき混ぜながら少女が振り返る。


「お帰り。もうすぐ夕食ができるよ」


 キャロルよりいくぶん年上で、背も高く少し肉付きの良い赤毛の少女が木ベラを動かしながら応える。


「ジニー姉さん。パパン買ってきたよ!! もうお腹空き過ぎたよ~」


 ジュリアが甘えるように赤毛の少女の腰に抱きつくと顔をうずめた。


「はいはい、ジュリアもう少し待っていてね。先に水を浴びてキレイにしなさい」


 ジニーはジュリアの金髪を撫でながら優しく言った。は~いとジュリアはホセを連れ立って奥の部屋へ姿を消した。

 二人と入れ替わるように短髪の少年が出てくると食卓の椅子に乱暴に腰をかけた。背は高く、もうすぐ大人の仲間入りをしそうな顔立ちをしている。立ったままのキャロルとジャンを見遣ると気怠そうに声をかけた。


「今日はどのぐらいの売り上げだ?」


 ジャンは腰の布袋から硬貨を取り出すと横に長い食卓の上に並べる。キャロルもそれに倣い布袋を開けて硬貨を並べ始める。


「共通硬貨が多いなぁ……。あっ、これはベルームの中銅貨かな?」


 キャロルはジャラジャラと硬貨の山を掻き分けながら並べていく。


「今日もダンスの練習をさぼって街中にいっていたでしょう?」


 ジニーが大鍋をテーブルに置きながらキャロルに話し掛けた。


「だって、ミリエル神殿から来ている見習いたちが邪魔ばかりしてくるんだもん。それにわたしはミリエルダンスよりミリエル格闘技の方が楽しいし向いていると思うよ」


 キャロルは初めて踊りの授業にいった際、半年以上通っている年上のミリエル神殿の神官見習いたち以上に完璧に踊ってしまった。それ以来、他の生徒からやっかみと僻みの目を向けられて嫌がらせを受けていたのだった。


「そりゃあんな見事に踊ったらね。嫌味のひとつでも言いたくなるけど……」


 ジニー自身の踊りも秀でていたが、そのジニーから見てもキャロルの踊りは才気溢れるものだった。


「あなたが格闘術も習えるのは、ダンスをしっかり勉強することがお母さんとの約束だからね」

「それは分かっているけど……。よしっ、私の稼ぎは中銅貨三十枚と大銅貨五枚にベルームの中銅貨一枚だよ。ジャンの方はどう?」

「こっちは三人合わせて小銅貨二十枚とちょっとかな」


 今日は商隊も少なかったし……とジャンは悔しそうにつぶやく。


「キャロルのスリはいいが、商売の方がしけてんなぁ。明日は五層の泉周辺か、この辺の酒場や宿屋に出入りする客を狙って商売してみるか。キャロルは明日もスリやるんなら同じ場所は避けろよ」


 フェリペはそう言いジャンに夕食の手伝いをするように指示すると、ベルーム硬貨をポケットに入れ、残りの硬貨をまとめて革袋へしまう。

カタリーナに渡してくる、と言うとフェリペは部屋を出ていった。


「ジュリアの髪の毛拭いて!」

「ボクが先だよ!」


 水浴びから戻ってきたジュリアとホセが、長めの布を手にキャロルのそばへ駆け寄ってくる。


「はいはい。順番だよ」


キャロルは二人を連れると子供部屋へと消える。


(あいつ絶対ベルーム銅貨だけ盗ったな)


キャロルはフェリペの仕草を見逃していなかった。



******



 夕食の時間になると女主人のカタリーナを中心に子供たち全員がそろって大きな楕円の食卓に座った。カタリーナは現役のラファの娘であったが、子供たちとの夕食だけは毎日欠かさず共にしている。


 カタリーナは齢三十八になるが、まだまだ二十代と言っても通用する肌の張りをしていた。艶のある栗毛の長髪を後ろで簡単に留めただけで、店に出る化粧もしていなかったが、背筋をすっと伸ばして凛とした佇まいをしている。

 十あるラファの家でも数少ないラファの娘を兼任した館主であった。兼任の館主は他にカタリーナよりも五つほど歳が若いヒルダという館主がいるだけである。


 食卓を囲む子供たちは四男五女の九人兄妹で、十三歳のフェリペを筆頭に末は二歳の幼女テレサだった。

 カタリーナは食事をとりながらもテキパキと今夜の仕事の指示を出す。それをフェリペがつまらなさそうに聞くのが最近の食卓の光景だった。孤児院の男子は夜遅くまで店の手伝いをするのが決まりになっていた。今はフェリペとジャンがその役目を担っている。


 カタリーナの対面に座ったジニーは最年少のテレサをあやしながら食事を取らせていた。キャロルは三歳のイザベルと一緒にスープを飲み、ジュリアとホセは五歳になったばかりのエリックを挟んでちょっかいを出していた。


「それで、キャロラインはミリエルダンスの練習にいっていないのかい?」


 カタリーナは真っすぐキャロルを見据えた。


 キャロライン。キャロルの正式な名前であったが、その名で呼ぶのは母親代わりのカタリーナしかいない。

 イザベルを膝の上に乗せてあやしていたキャロルは、ハッと顔を上げてカタリーナを見遣る。だってと反論しようとするキャロルにカタリーナが先んじた。


「だってじゃありません。お店に出るためにはミリエルダンスが必修です。貴女に踊りの才能が有るのは認めますが、舞台では他の娘たちと踊りを合わせなければいけないのよ。いくら素晴らしいダンスを踊っても自己流では通用しません。習う必要の無い格闘術の許可を出したのも、ミリエルダンスをしっかり勉強することが条件でしたよね? わかりましたか?」


 カタリーナは厳しくも丁寧にキャロルへ語り掛けた。


「はーい。分かりましたよ、ママ。明日は格闘術の教室もあるしダンスもちゃんといくよ」


 キャロルは膝の上でうたた寝しているイザベルの頭を撫でながら答えた。


「明日は俺がジャン達と外に出るから、キャロルは心配しないでいって来いよ」


 フェリペが店に出る支度をしながら口を出す。

 ありがと。と、キャロルは答えた。



******



 翌日。カタリーナに言われた通りミリエル神殿に行き、格闘術とダンスの授業に参加してきたキャロル。家に持って帰るパパンを買いに盗賊市場まで来ると、いつもと変わらない喧騒に包まれた。

 行き交う人の多さと騒がしさの中でキャロルは数人の男たちが大声を出しながら駆け抜けるのを目にした。


 (誰かを追いかけている?)


 この町では盗人と間抜けな被害者の追いかけっこは日常茶飯事だった。追われていた金髪の子供たちの後ろ姿を見たキャロルの心が波立つ。


(ホセとジュリア……!?)


 キャロルは市場の抜け道を駆け抜けてホセ達の前に飛び出る。


「ホセ! ジュリア! こっちだ!」

「キャロルっ!」


 二人の声が裏道にこだまする。

 二人の後ろから男たちが駆けてくるのが見える。

 キャロルは二人に合流すると一緒に駆け出す。


「一体何したんだ!」とキャロル。

「フェリペ兄さんが大きめの隊商の荷物を盗んだんだ。それがばれて……」

「ハァハァ……兄さんはこの袋を私たちに預けて傭兵たちを引っ張っていったんだけど……」


 ジュリアの方が息も絶え絶えになってきている。


「二人も見つかっちまったって訳か」


 ホセはともかくジュリアはもう限界が近そうだ。


「次の角を曲がったら使っていない倉庫があるから。二人はそこに隠れて追っ手をやり過ごして。わたしが袋だけ持って奴らを引き付ける!」


 ホセは自分の腰袋に盗んだ硬貨を流し込むと空になった袋をキャロルに手渡した。

 三人は全速力で角を曲がると、ホセとジュリアが廃倉庫の扉の中に飛び込んだ。

 キャロルはそのまま通りの先まで駆け抜け振り返ると、角を曲がって姿を現した傭兵の男たちに向かって空の袋を振り呼びかけた。


「おーい! こっちだ、間抜け共!」

「クッソ……。あいつら何人いやがんだ!」

「今度はあのガキだ! 追え、追え!」


 キャロルは男たちが全員ついて来られるギリギリの速さで盗賊市場の人混みを駆け抜けると、街区の木戸を通り東の大坂を駆け上がった。男たちが追いかけて来ているのを確認すると第一層北側の貧民街へ逃げ込む。


 ゴミと瓦礫が散乱する細く入り組んだ土の道を走ると、野積みにされているレンガの山の上から隣の屋根の上に飛び移る。いつもキャロルが追っ手をまくときに使う逃げ道のひとつだった。

 レンガ加工場の屋根から第二層の外壁の上によじ登ると、壁の上を見上げている追っ手の男たちにじゃあねと手を振り外壁の上を駆けだした。

 遥か下の方から男たちの怒声が聞こえていたが、しばらくするとその声も町の喧騒に消えていった。


 キャロルは眼下の第二層にある礼拝堂の楼閣を確認すると軽やかに飛び移った。

 屋根に着地した瞬間、高く弾ける様な嫌な音が響いた。その瞬間、キャロルの体が屋根の破片と共に空中へ投げ出された。楼閣にある窓やロアンヌの埃っぽい空、第二層の外壁や勢いよく近づく地面を視界に捉えながらもキャロルは意外に冷静だった。


「あっ、これ死ぬかも……」


 目の前が灰色の世界に変わった……。

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