願いは何であるのか 地球外知的生命探査少女の住む街 7
道の脇の茂みからだ。反射的に統は音の方を振り返った。昴もまた声を止めて同じ方を見る。背の高い木々の間、暗く影になった斜面の中で、下草や低木が揺れていた。
再度、同じような音が響く。今度は別の茂みから。木々の作る日影の中を、何かが素早く動き、隠れる。暗い灰色の何かが。
「……野犬か何か? 熊ってこと、ないよね?」
恐る恐る統は尋ねた。熊だったら最悪だし、野犬でも怖いよね、というニュアンスの裏に、より嫌な想像を押し隠して。
嫌な想像――つまり、今現在自分たちは何のためにこの山に入ったのかという。
果たして昴は、統のある種すがるような願いを全く考慮しない答えを口にした。
「どっちもこの辺じゃずっと出てないね。それに」
いや、言わんでいい、と統が言うより早く、彼女は告げた。
「なんか、その、二足歩行っぽくなかった?」
微かに首をかしげて、心なしか先ほどまでよりも血の気が引いた顔で昴は音のした方、斜面の下り側を指さした。
あたかもそれが合図であったかのように、がさりがさりと葉を擦り木立を揺らし何かが蠢く音が立て続けに響く。林の中でも特に影が重なって暗い部分で、何かが素早く走る。不思議な質感を持った灰色の何か、子供くらいの大きさの何かがちらりちらりと茂みの向こうに見える。
一瞬、そこそこ開けた場所を灰色の一つが走り抜け、二人の視界が全体像を捉える。
のっぺりとした灰色の肌に覆われた、背の低い二足歩行の生き物らしき何か。顔には二つの巨大なアーモンド形の眼が存在し、手には小さなパラボラアンテナのようなものが銃口についた流線型の光線銃らしきものを持っている。
とりあえず。統が口にできたのは、
「……いくら何でも、ステレオタイプ過ぎない?」
それにクラシカル過ぎるような気もする、という言葉は飲み込んだが。下り坂の林の中に蠢く者たちの姿は、古くから親しまれる宇宙人像の一つ、いわゆるリトルグレイのデザインに、そっくりだった。
さらに、べしゃりべしゃりと何か粘質な音が立て続けに響き渡る。高く伸びた木々の上から、頭部だけが異常に肥大したタコのようなものがいくつも落ちてきていた。細い触手をグニャグニャと蠢かせ、ずるずると草の上を這うように二人のいる場所に近づいてくる。
「あ、これ見たことある。昔の映画か小説とかに出てきた火星人じゃない?」
真顔のまま、平坦な声で昴が言う。
「なんか、すごい冷静だな」
「御子なんてやってると、こういう異常事態には時たま遭遇するからね」
超常的怪異を探り、原因を調伏するのが御子の役目だから、と昴が素早く語る。色々突っ込みたいところはあったが、とりあえずは、ほう、と納得して統は頷いた。
「なるほど、それで落ち着いてると」
「全然。表情動かす余裕ないだけで、超怖くて泡吹いて気絶しそう」
「さいですか……」
なんだかもう何もかも諦めるような心地で相槌を打つ。
と、じわりじわりと迫るタコ型火星人(仮称)の後ろで茂みに隠れていたリトルグレイたちが、何の契機を得たというのか、一斉に草影や木陰から顔を出して、じろりと二人の方を向く。巨大な、白目のない真っ黒な瞳がいくつも二人の姿を映している。
悪夢のような現実感の欠ける光景に、統は間抜けに口を開けたまま硬直してしまう。
そして、次瞬――一斉にグレイ宇宙人たちが走り出した。二人のいる方に向かって。
「いやちょっと待て待てこらおい!」
「あばばばばば」
思わず叫ぶ統の隣でなにやら奇怪な、泡を吹きかけているっぽいうめき声を昴が上げていた。
咄嗟に統は今まで歩いてきた小道を見渡した。だが戻る方向も進む方向も、道の両側に素早くリトルグレイたちが歩を進めていた。どうやら斜面の下側から、半円形に広がって包囲しつつあるらしい。
「上へ!」
泡を吹きかけつつも何とか正気を取り戻した昴が、鋭く叫ぶ。その声に意識をキックされ、弾かれるようにして、統は道をそれて山の斜面の登り方面へと駆け出した。
「なんだなんだなんなんだアレ!」
わめきながらがむしゃらに走る。舗装もされていない、しかも山の斜面は、山裾の平地にほど近い浅い位置だとはいえ凹凸が激しく走り辛い。背後からはぱたぱたかさかさと軽い足音がいくつも響き、更にその後方からずるべちゃと気味の悪い這い音が追随していた。
焦りながら全力で駆けるが、つい最近まで都会のアスファルト舗装ばかり踏んでいた統の足先はいちいち木の根や突き出た岩や滑りやすい泥土や苔に苦戦してしまう。
十数秒ほどそんな状態で何とか斜面を登り、大きく息を吐いた拍子に統は大きく体勢を崩した。踏み出した足の裏が腐った朽木を踏み抜いたらしく、そのまま前のめりに倒れかける。
「統!」
すんでのところで、昴が統の腕をつかんでいた。そのまま統がつんのめった勢いを上手く活かして引っ張り上げる。
「さすが地元民!」
焦燥とアドレナリンのせいか訳の分からない賛辞を口にして、体勢を立て直す。
統の前を走る昴は、素晴らしい素早さと身のこなしで斜面を駆け上がっていた。細く華奢な体躯だというのに、信じがたい運動神経を発揮させてまるで競技場のトラックでも走るかのように進んでいく。
これが、昔から山間の街に親しんできた人間の身体能力なのか――と都会育ちの人間として統は必至で追いすがりながら感心する。
が、その瞬間、思い切り昴が突っ伏した。どべしゃ、と、派手に。
「なんで!?」
悲鳴のようなものを上げつつ、近寄ると、彼女はぜぇはぁと肩で、というか全身で呼吸をしつつ青い顔をしていた。
「息が……体力が……わき腹が……」
「スタミナは虫けらレベルなのかよ!」
最早半泣きで、今度は統が昴の手を取って無理やり起こし、もつれあいながらもがむしゃらに移動する。
とにかく斜面の上方へ、背後を振り返らずに、走り続け、そしてどれだけ経っただろうか、突如視界が開けた。木々の影がない、明るいその場所に、ほとんど確認もせずに、統は飛び込んだのだった――。