願いは何であるのか 地球外知的生命探査少女の住む街 5
統たちの通う七校――七姉妹高等学校――は市街中心から住宅街を挟んで少し離れた高台にあり、山際の位置に建てられていた。商店やコンビニの立ち並ぶ市街から一キロも離れていない位置に田畑が存在し、そこから更に少し歩けば山裾に辿り着くという土地は、何キロも市街ばかりの続く都市部からやってきた統には珍しく映った。
学校帰りにふらっと立ち寄れる範囲に、観光市街もあれば、豊かな山林もある。自然の香りを味わいつつ散歩など、なんとも気分のいいものではないか。
(こんな状況でなければ、だけど)
前を歩く小柄な少女の背中を見て、統はこっそり小さくため息をついてしまった。
授業の終わった午後、昴は朝言った通りに統を連れ出していた。
「この先の斜面一帯付近で、いくつか目撃談があるの。どれも、UFOにさらわれそうになったとか、異様な言語を話すゲル状生物に追いかけられたとか、そういう話だけど」
などと言いつつ、昴は先導してすたすたと農地脇の小道を進んでいき、辿り着いたのは本当に山の中だった。いくらか人の手は入っているのだろう、人や軽トラの通る場所と思しき砂利道が通っており、未開の原生林というわけではない(そんなもの日本にそうそうはないのだろうが)。とは言っても都会育ちの統にとってみれば山は山である。
濃密な自然の中を制服姿の自分だけではなく、女子用のスカート姿で昴が歩いている光景は、どこかバカバカしい非現実感があった。すらりと伸びた真っ白い脹脛を見るともなしに見ていると、虫に刺されやしないかというようなどうでもいい心配をしてしまう。
「本当に探すの? 何かの冗談ではなく?」といったようなことを学校からの道中山に着くまで既に五回は繰り返したが、昴はあっさりとした肯定の返事を返すばかりだった。
「そういえば」
と、山の斜面の入り口をいくらか過ぎてから、統は思いついて声をかけた。
「七沢さんの妹さん、雲雀さんだっけ、一度、うちの教室を訪ねてきたよ」
昴の歩き姿は、あの日見た雲雀と似ていた。ぴしりと気持ちよく伸びた背や、指先まで整った所作がそっくりだった。
昴は振り返りもせずに応答した。
「あれは、私が頼んだの。とりあえず口止めしておくようにって」
「口止めって、なんで」
「『鎖』は――君があの日見たものは、私以外の誰にも普通見えないし、あまり見られていいものでもない。秘しておくべきものだから。突然のことでどうすべきか悩んだけれど、とりあえずは妹に、あなたに秘密にしておくように伝えさせた」
「どうして妹に?」
というか突然なのはこちらじゃないのか、あらゆる意味で。
「私はあまり学校に行かないし、最近は忙しかったから。ようやくここ数日で落ち着いたと思ったら、今度は宇宙人騒動が街に噂として広がってた」
分かるような分からないようなことを言う。
「いや、あのさ」
歩みの速度を鈍らせて、統はどうしたものかな、と首をひねった。宇宙人の噂。口止め。半ば何かの冗談かと思う部分もあったが、こうして山の中まで連れてこられてしまって、さすがに――どうかと思うところはあった。
「本当に、本気で探すの? その、宇宙人がどうとかって、質の悪い悪戯とか偶然が重なって大きな規模の噂になっただけで元は何かの勘違いとか、そういう話じゃないかって思うというか……普通は、そんな本気で信じない、よね?」
切れ切れに、確認するように言葉をかけた。やや控えめに。もっと直截に言えば、「小学生でもないんだからそんなファンタジー、あり得ないって思ってるだろ?」位のことは思っていた。と、タイヤ痕で轍のついた小さな道を先に歩いていた昴が、足を止める。
「普通、か」
ぽつりと。
焦がれるような、あるいは単に惜しんだり哀しんだりするような、そんな声だった。
「統は」
突然名前で呼ばれて反射的に肩をこわばらせてしまう。
「私のこと、誰かに聞いたりした? 『御子様』のこととかさ」
半身だけ振り返って、昴は確認してきた。
「まあ、ちょっとは、かなり大まかな話なら、聞いたよ」
答えて、簡単に説明する。宮川から聞かされた、街の話と、御子様についての話を。
「そっか、じゃ、話早いね」
こつりと、昴は足元の小石を靴の爪先で軽くつついた。
「この街に――というかこの土地に、古くからおかしなことが起こり続けているっていうのは、本当のことだよ」
昴は軽く顎を上げて、空を瞳に映した。木々の影と緑が、春空の濃くも薄くもない青さと斑になって彼女の眼球の上を滑る。
「そしてそれは、実は、この地に暮らす人間のせいでもあるの。正しくは、人間の願いのせいだ、と言うべきなのだけど」
ざあ、と音が響く。風が吹いて木々が一斉にざわめいた音だ。都会にはない、深く、人の意識の及ばぬところを残した、自然の音。
「遥か昔、ずぅっと遠い過去、この地に舞い降りた超常存在があった。それはこの七姉妹市全域に降り落ちて、遥か先の後世にまで、ある遺産を残した」
昴はどこか古い詩でも読み上げるように語りながら、辺りを見回した。木々を、下草の生える地面を、そして空を。
「降り落ちた超常存在は、天のその先、膨大な虚空とそこに点在する星々を、あるいはそうした世界をさらに見下ろす遥かな世界を自由に旅するものだったと言われてる。落ちた超常存在が残したものは、そんな彼らにとっての道具のような存在だったのかもしれない、とも」
「天のその先、って……」
言わんとすることは単純で分かりやすい。数千年前ならいざ知らず、現代では皆空の向こうに何があるか知っている。
「地に落ちた超常存在は姿を消した。どこに行ったのかは誰も知らない。けれど、彼らの遺産は土地のあちこちに無数に分かたれた欠片の状態で、残されたままだった。誰にも見えず、触れ得ず、知ることのできない、不可視にして不可知の遺産」
「宮川から聞いた話とは、結構違うんだな。遺産なんて、彼の話には出てこなかった」
「限られた僅かな人以外、知らないことだから。私も、母から聞くまでは知らなかった」
「特別な家や血筋のみぞ知る、みたいな話?」
「そんなところ」
これまた、田舎のファンタジックな民話としてはありそうな話だった。限られたもののみが知る土地と怪異の秘密。現実というよりかデフォルメの効いた都市伝説のようではあるが。
「それで、その遺産っていうのは、どういうものだったんだ?」
半ば、架空の物語でも聞くような気分になっていることを自覚しながら、統は尋ねた。
「遺産は、『プレアデスの鎖』と今では呼ばれている。無数の時間と空間に、無数の枝を伸ばし、あらゆる点があらゆる枝と結節し、この土地に溶けて在り、人間の意識を、強い願いを読み取り、それを実現するがために宇宙の構造の高みから現実に干渉する、高次元超構造多胞体」
あまりにするすると語られるので、何か当然の物事を言っているのかと脳が言葉をスルーしかける。すんでのところで統の頭は相手の言の無茶苦茶さに引っかかる。
願いを読み取り、干渉する、だって?
「ようするに、それって」
「叶えるってこと。人の意識した物事を。強く抱いた願いそのものを」
どこまでも幻想物語じみている。確認するように、統は渋い顔を昴に向けて口を開く。
「魔法のランプとか、魔法の杖とか、ドラ〇ンボールみたいに?」
訝しがる統に、昴は苦笑したようだった。形のいい眉がふにゃりと曲がり、ちょっとだけ困った表情がのぞく。「そりゃ、信じないよね」と、自分の言葉の胡散臭さを承知していることの分かる弱い声で呟いてから、昴は首を横に振った。
「似てるけど、少し違うの。遺産は……『プレアデスの鎖』は、人の意志に応じて願いを叶えるものじゃない。人の意識を読み取って願いを叶えるの」
「……ほとんど同じことに聞こえるけど?」
「それが大きく違うの。魔法のランプのような、物語の中の『願いを叶える装置』は、多くの場合はっきりと何かを願い、叶えてくれと直接その装置を前に意識することでのみ奇跡を起こす。『プレアデスの鎖』はそうじゃない。ここ七姉妹市に住む人々の意識を読み取り、中でも特に強い願いがあれば、勝手に実現する。本人すら知らない間に」
願いを勝手に叶える、とはどういうことか。考えて、統は首を捻った。
「つまり、はっきりとその……鎖、だっけ? に、改めて願うまでもなく、自動的に実現されるってこと?」
「そう。そして、それはとても、危険なことなの」
考えてもみて、と、昴は促す。
「人は普通、自分の願いの全てをはっきりと自覚してるわけじゃない。重要な願いだからこそ心の奥にしまい込まれて意識の上では曖昧になっていたりもする。あるいは、一時強く願ったことでも、後ですぐ願うことを止めたり、忘れたり、願ったことを後悔したりすることだってある。人は、願うだけでは叶わないからこそ安心して願える、そういうところがある。でももし、願うだけで、はっきりと口にせずとも、何か儀式めいたことをしなくても、魔法の道具を手に入れなくても、勝手に叶う願いがあるとしたら?」
自暴自棄になって、自分や他人や社会を無化したいと思ったり、誰かを意のままにしたいと考えたり、リア充を爆発させたいだとか五千兆円欲しいだとか願ったりすることは、誰にでもある。日常的にあることだ、そんなことは。
それが問題にならないのは、頭の中の願いに過ぎないからだ。願う本人にしても、願う時には真剣でも長期的に見れば叶うはずないし叶わなくていいとすら思っていたりする。
それが、もし、叶ったら?
思った瞬間に、目の前でリア充が爆発し、自宅が五千兆円分の紙幣で埋まっていたら?
そこまで昴に説明されて、ようやくピンとくる。
「それが、この地で古くから起こる超常現象――超常的怪異の正体?」
昴は細い顎を僅かに揺らして、頷いた。
彼女の動きに合わせたかのように、ざあ、と木々がまたも風で葉を鳴らす。
「そんな」
馬鹿な、と月並みな文句が統の口を突いて出そうになった。意のままに世界を変える、願いを叶える存在。それも、自動的に、勝手に、人の願いを叶えてしまう厄介な存在。プレアデスの鎖。マジでラノベじゃん、と心の冷静な部分が冷淡なツッコミを入れる。
まだ魔法のランプの方が現実味があるような気さえしてくる。
そんな大馬鹿な――しかし否定するより先に、昴が片手を、広げた手の平を上にして胸の前あたりに上げた。
「バカバカしいと思うよね。嘘に決まってるって。分かるよ。でも」
自然と、統の視線は昴の掌の上に吸い寄せられていた。何もない、ただの掌の上に。
「でも、全部嘘か何かだとしても。一つ、誤魔化しようのない『おかしなもの』を見てるよね、統は」
言葉と共に、小さな光が零れる。一度見たことのある、薄青い輝きが。
瞬く間に、昴の手の上に、三次元的に絶対にありえない立体構造を持った格子状の発光物体が出現し、視界を眩ませるほどに大きく広がった。
「これが、『鎖』だよ、統」
言われてみればその格子――四次元や五次元、あるいはそれ以上の構造が連綿と続き、絡まり、接続しあう様は、確かに高次元的な『鎖』と呼べなくもないものに見えた。