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プレアデスの鎖を重ねて  作者: 深津 弓春
 4 どこのわたしたちが願ったのか ドッペルたちの特異点
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 どこのわたしたちが願ったのか ドッペルたちの特異点 9

  

 ずっと、世界をどうにもできない虚無感があった。


 しかし価値の構造はそもそもが逆説的だ。どうにもできないことがどうにかできることの価値を担保している。なんでもどうにかできてしまえば価値ではなくなり、しかし同時にどうにかする意思を捨ててしまえばやはり価値は失われる。そんな構造を今まで徒労感とともに味わってきた。だが徒労などではない、そんなことを感じる必要はなかった。


 世界は、面白かった。


 認めざるを得ない。昴と知り合い、あれこれの超常的怪異に巻き込まれ、SFかファンタジーのような世界の姿を見せつけられた。現実にはさまざまどうしようもなさが偏在している。けれどその現実を足元から蹴り上げるような出来事が、姿が、これまた世界には遍在している。自分が自分であり、今が今であり、それがそれであるという当然さを根元から揺らがせる不可思議さが。センスオブワンダー。ほんの少し角度を変えるだけで、世界は信じがたい多様な姿を見せる。時間が揺らぎ、宇宙の垣根が揺らぐ。

 それは、爽快な話だった。どこにでも価値はあった。多くの価値が取りこぼされ毀損され潰える一方で多くの価値が芽生え枝葉を広げていた。それが宇宙の姿だった。


 昴はずっと巨大な不可思議の困難と闘ってきた。不可能性と拮抗して生きてきたのだ。そしてその姿が例えようもなく美しいことを今の統は知っていた。世界の困難と価値に相対し続ける輝かしさをずっと横で見て、魅せられていた。

 世界を信用できるなら、どうにもできないと諦観することなど、できない。挑める時点ですでに価値はそこにあった。


 全て、価値だった。

 明日も明後日も、きっと世界はずっと世界のままで、多くの物事はどうにもならないままだろう。だがそれがどうした、と統は笑う。それでも何かをやっていくことにどれだけの価値があるか今はもう知っている。世界を「信用」できるほどの価値を、一連の事件と昴の姿から見出すことができていた。昴が抱いてきた鏡合わせの懊悩、「なんでもどうにでもできてしまう」ことをどう扱えばいいか、一つの答えがそこにあった。


 彼女の拮抗存在となること。


   *


 光が収まり、手を握り合ったままで統は自分の身の内に新しいものが宿ったことを感覚していた。


「統……これ」


 昴が目を丸くしていた。

 彼女を取り巻いていた鎖の群れは、その量を大きく減らしていた。ごっそりと半分ほどが失われ、消えていた。

 そして、同じだけの鎖が、統の周囲に展開されていた。


「人間が神様みたいな頂点に立ってしまうなら、それは多分、二人以上であるべきなんだ」


 だってそしたら、勝手できないだろ、と統は小さく笑って言った。


「鎖の半分を……自分のものに、したの?」

「これで、昴はもう、なんでもはできないよ。何かしようとしても、同じだけの鎖とマスター権限を持ったもう一人の人間がいるから」 


 口を開きかけたまま、昴が動きを止めていた。驚きで呆けたような顔はあまり彼女が見せない類の表情だったが、悪くないな、と統はそんな風に感じていた。


「……統、いいの? なんでも叶う、たった一度かもしれない瞬間だったのに」

「それで一番やりたいことやったんだから、結構いいよ、気分」


 言ってやる。昴はしばらく呆けたままだったが、やがてぼすっ、と統の胸に顔を埋めると、小さく震えた。くっく、と声がして、肩が僅かに上下する。泣いてるのか笑っているのか、分からない。どちらでもあるのかもしれなかった。


「……あーあ、もう、無茶苦茶だよ」

「昴と出会ってから何回俺が同じこと思ったか」

「まあ、それもそうか。お互い様か」


 顔を上げて、昴がけろりと言う。大丈夫、という言葉がリフレインした。統は大丈夫。

 同じものを返せたならいいなと統が考えていると、昴が握り合った手にきゅっと力を入れた。


「調伏しよう。統」


 言って、もう一度鎖を輝かせる。身に宿る、超常の高次元存在を束ね従わせる権限を機能させていた。調伏の、御子として。


「初仕事だな、俺にとっては」


 同じように統は意識した。周囲に広がる、多数の世界が宿す多数の鎖の欠片へと、意識を伸ばす。

 二人の鎖から尖塔のように格子が伸びる。伸びた格子が、無数に枝分かれして、無数の世界に触れて、その先にある鎖と絡み、接続される。

 ぱしん、と音がした。全ての世界で、同時に。


「願いの主は、私たちのドッペル。沢山の行き詰まった自分たち」

「願いの内容は、もし上手く行く自分の可能性があるなら、それを見ること」


 見上げると、たくさんの世界の統と昴が、可能性世界の群れの中心にいる二人を見ていた。これが上手く行く可能性の一つなのだと。行き詰まりを打破する可能性がこの世には存在するという救いを、皆が目撃していた。

 二人もまた皆を見返していた。それぞれに行き詰まりを抱えてこれからも生きていくであろう統たちと昴たちを。それでもどうにかしていける可能性を持った皆を。


 そして、そんな沢山の自分たちの中に、一人、見つけ出していた。

 他の誰とどう違うわけではない、昴の一人だった。だがどういうわけか、統にも昴にも直感できた。その「昴」は、一度会ったことのある昴だった。

 時間的パッチワークの事件の時、大人雲雀が言ったことを統は想起していた。姉は、あなたたちを一度見たことがあります――という。


「順番、前後してたんだ」


 昴もまた気が付いて、そう呟いていた。

 何故、あの大人雲雀は、可能性宇宙の分岐などという一見突拍子もない話を事実だと言い切っていたのか。姉があなたたちを一度見たことがある、という言葉の意味は何だったのか。つまり、それが今だった。最も信頼できる自分たちだと言っていたのは、この瞬間を見ていたからだ。上手く行く瞬間を。

 あの事件で出会った大人雲雀の姉である大人昴は、今この時に統と昴を見に来ていた。上手く行く二人を見た後、自分の世界に戻って妹に見たことを話し、後にまた困難に苦しむ中で、姉から聞いた話を意識した大人雲雀が記憶の街を出現させた。

 お互いに、出会いと再会が逆になっていたのだ。


 世界の群れが、消えていく。後に「初めて再会する」昴もまた、世界と共に消えていく。鎖の力が調伏され、世界が超常的な力から解放されて戻っていく。

 多くの自分たちは、それぞれまた元の宇宙であるいは孤独に、あるいは既に悲劇の後で、それでも生きていくだろう。ここにこんな「上手くいく」宇宙があったのだということが、その存在がいくらか支えになる。なればいい。そんなことを考えながら――統と昴もまた、自らの世界へと、降りていった。


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