どこのわたしたちが願ったのか ドッペルたちの特異点 4
困惑している間にも現実は進行するし非現実的なあれこれだって起こり続ける。ということで、とりあえず統と昴はサーチの結果の、針の先を追うこととした。複数の針の指す方向を、その指し示されるものを、虱潰しに特定しようと考えたのだ。
が、これが想像以上の難行だった。
複数伸びるサーチの針から一つを選び、その方角を探索する。それだけなのだが、「それだけ」がそもそも骨の折れる作業である。針はいくらかぶれたり、統たち自身の移動によってその方角を変えるため、複数あるとどれがどれだか分からなくなりやすい。地図アプリに各地点での針を記録して細かく位置を変えながら最終的な針の指す先、願いの主のいる場所を特定しようとするが、そもそも七姉妹市はコンパクトな地方の街とはいえ歩くには広い。バスや電車でさっと目的地に行く、ということもできない以上、徒歩やせいぜい自転車での地道な追跡作業に時間と労力が吸われていってしまう。
そして、極めつけに厄介なのが、針の消失だった。
苦労に苦労を重ねて、恐らくこのあたりだろうと狭い範囲まで針の指す先を特定したにも関わらず、前触れもなくあっさりとその針が消えてしまうことがあった。そしてまた別の方向に、新しい針が現れたりもしていた。
針の消失は、超常現象と鎖の力の消失を意味するのか、しないのか。新しい針の出現は新しい願いの主の出現を意味するのか。意味していたとして、それは一つ一つが別々の願いなのか、どうなのか。
多くの不明点を抱えながら休日を含め数日を費やして、結局統たちは何も見つけられずにいた。サーチの先の願いの主を捜索すると同時に統はドッペルの目撃情報もまとめていたが、目撃範囲は広く、七姉妹市の北から南まで点在しているという以上のことは判らなかった。
足踏みする間にも、目撃情報は増える。明らかにいない場所に、いないはずのタイミングで、昴や統がいたという噂が流れる。
「焦るね、これは」
統の家にほど近い駅の前のロータリー広場で、ベンチに腰を下ろした昴は両手でペットボトルの水を握りしめて、うなだれていた。半日歩き詰めで成果なしのまま休憩中だった。
「ごめんね、何度も付き合ってもらっちゃって」
「別にいいよ、ていうか俺だってドッペルだか何だか見られてるわけだし、直接の関係者と言えば関係者だろ」
隣に腰かけて言うと、昴は少しばかり笑みを浮かべて見せた。疲労のためか、吹けば飛びそうな笑顔ではあったが。
「ここのところ、変わった点の多い超常現象が続けて起こっていたけれど、今回のは始まりからして解釈も難しいし調査のとっかかりも少ない。現象だけは広がっているのに」
「そろそろ調査はじめて一週間位か……ドッペルの話が出始めてからなら半月ほどかな」
昼間の明るい空を見て統は季節を意識する既に暦は六月に入っていた。
「願いの主に接触できれば、統もいるし、もうちょっと調伏に近づけると思ってたんだけど、それ以前の地点で足踏みするとは思わなかった。毎回調伏の度に、超常現象なんてものや、人の願いなんて難しいものを取り扱う困難には不安を覚えてきたけど、最近は調子よく調伏できてたから……」
ちょっと、安心してたんだけどな、と昴は気落ちしたようにぽそりと呟いた。
彼女の悩まし気な声に、統はなにかうずくような感覚を覚えていた。せっかく共にいても、さして何もできていない、という事実が強く意識される。鎖が見えても、今のところだからと言ってあまり役に立ってはいない。
昴は感謝していると言っていたが、それは自分も同じだ、と統は隣に座る少女を見て考える。昴の見せてくれた様々なもの、怪奇で珍妙な世界の一面、そしてそれらと相対する彼女自身の姿は、全て今の統を彼自身の「行き詰まり」から解き放とうとしていた。別に昴がそう考えてやっているわけではないだろうし、勝手に一方的に統がそこに価値を感じているだけだが、大事なことではあった。
「なんとかするよ。このままにはしない」
自然と、そんな言葉が出た。昴が顔を上げて、まじまじと見上げてくる。彼女の視線を受け止めながら、統は新たに方策を頭の中で模索し始めていた。なんとかするなどと大言を吐いてしまったのかもしれないとは思いつつも、止められない。
(別に、特別でも何でもないだろうけど、同じ鎖が見えて、その脅威と危険が共有できる人間ではあるんだ)
ならば、やれるだけのことはやる。やれること――どうにかしようとすることを。
*
「先輩、お久しぶりですね。その後、お変わりありませんか?」
と出会うなり開口一番訊いてきた野辺山せちの姿は、それこそ以前と変わりない三つ編みに眼鏡のままだった。放課後、これから部活が始まるという時間、彼女と統は七姉妹高校のロビーで顔を合わせていた。ロビーとは言っても、生徒用玄関に近い広めのスペースにいくつか小さなテーブルや椅子が置かれている程度の場所だったが。
宮川から彼の知り合いを間に挟んでなんとか取り付けた約束が、彼女をこの場所に来訪させていた。以前のようにストーカーじみた待ち伏せを避けるためだった。
お変わりないかどうかを言うなら、変化変化異変異変の日々かもしれないなと思いつつ、統は頭を下げる。
「急に呼びつけてしまって、ごめん」
「いえいえ、別に急いでもいませんし。天文部は活動も割とルーズですし」
そう言ってくれると助かる、と統はテーブルの一つを挟んで座った。
本題に入る前に、少しばかり気になっていたことを口にする。
「そういえば、あの宇宙人騒動、聞かなくなったね、噂とか」
若干白々しい言い方になってしまっているような気はしたが、野辺山せちは特に気づく風でもなく、ええ、と同調した。
「そうですね、急にぱったりと。落ち着いちゃいましたね」
「あの残骸は? 天文台に落ちてたやつ」
「あれも、特にその後何かあるわけでもなく。不審な点も不思議な点もない、ただの金属塊ってだけで話が終わっちゃってます。犯人不明の不法投棄がせいぜいで」
まあ、世間的にはそうなるしかないのだろう。残留物があの宇宙生物の群でなく金属塊の法で本当に良かった。
「残念?」
問うと、彼女は少し目線を逸らして思案した。
「そうですねぇ……少し残念だとは思います。噂とはいえあまりないですからね、こういう盛り上がりも。でも」
話しながら彼女は、動かした視線をそのまま周囲に向ける。今から帰る生徒や部活に向かう者、それになんとなくロビーで雑談に興じる男子や女子の、なんと言うことはないいつもの光景を見ながら続きを口にする。
「ちょっと、ほっとしてもいます」
との言葉に、統もまた少し、ほっとしていた。彼女の願いの実現を砕いて消したのは、半分統のやったことでもある。だが、願いとは複雑で、時として人は自分の願いを自覚していなかったり、相反した複数の願いを同時に持っていたりもする。
宇宙人に会えず、しかしほっとしているというせちの姿は、あの事件の着地点としてはそこまで悪くないかもしれない、と統には思えた。
「そっか――それで、本題なんだけれど」
一つ落ち着いて、切り出す。
「野辺山さん、ドッペルの噂、聞いてる? 俺や、昴のそっくりさんがあちこちで目撃されてるっていう」
また突拍子もない話ではある。しかしあっさり野辺山せちは頷いてみせた。
「ああ、はい、何度か聞きました。やっぱり、それ系の話だったんですね」
「やっぱり、っていうのは?」
「だって、前も七沢先輩と一緒にいらしたでしょう、あの騒ぎについて聞きに。今回も、そうかなって。御子様のお仕事か何かなんでしょう? 稲上先輩は、ほら、助手だって言ってたじゃないですか。だからそうかなって」
「まだその設定生きてたんだ」
「設定?」
「いや何でもない」
咄嗟の昴のテキトー表現なのだが、それはどうでもいい。
「とにかく、その、ドッペルゲンガーがどうとかって話。目撃の噂や経験談、集めてるんだ。ちょっと、気になってて。バカみたいな噂だとは分かってるんだけどさ」
「まあ、思いっきり自分たちに直接かかわる話ですもんね、お二人のドッペルって」
「そういうこと。見間違いにしても多いし見かけただけじゃなくおかしな体験までついてきたって話も多いし、俺や昴に変な噂が流れるのも困るしなってのもあって」
言い訳のようにそんな理由も加えてみたが、実際考えてみれば問題だった。超常現象に比べれば小さなことかもしれないが、おかしな注目を集めてしまうのはいい気分ではない。
「で、調べてみようにもあんまり俺も昴も学校に知り合いが多いわけじゃなくて、一つ一つの目撃談集めるにも難しくて、何人かに協力を頼んでるところなんだ」
ようするに、知り合いや友人間で交わされる情報の提供のお願い、というわけだった。ドッペルを目撃したという話をできるかぎり多く集めるための。
宮川を含むクラスの数人の友人には既に約束を取り付けてあった。とはいえ、まだ転入して二か月ばかりの統にはさすがに友達百人的なネットワークはない。昔ながらの人の口発信の情報の収集には現実の人間の協力がいるが、他に誰かいないか――ということで思いついたのが、野辺山せちだったのだ。別に友人でも何でもない数度顔を合わせただけの関係だったが、学校でも市でも有名な天文少女という立場であれば顔も広いのではないか、と打算的だが考えて接触を図り今に至るのだった。
「別に、積極的に聞き込みしろみたいな話でもないんだ、ただ仲間内でドッペルの話があったら集めて教えてほしい」
頼み込む。と、野辺山せちはむしろ統が驚くほどに、あっさりと請け負った。
「いいですよ、そのくらいなら」
「本当に? いや有り難い、けど、こんな唐突な話」
「唐突ではありますけど、気になるのは分かりますし。それに、七沢先輩も関わってる話のようですし」
さすが、御子様というのは、顔も存在もよく知られている。改めて七姉妹市の御子という存在の特異さを統は感じていた。
「本当に、ありがとう」
「いいですって。それじゃ、連絡手段、作っときましょうか」
彼女はスマホを取り出して提案する。幸いにも統も使用しているポピュラーなメッセージアプリを使用していたので、すぐに連絡網が確立する。
「じゃあ、何かあれば送ります。あ、そうだ、今度七月初めに天文台で写真展やるんです、暇があったら見に来てくださいよ、七沢先輩と」
私の撮ったのもありますから、と話す野辺山せちに、統は是非行かせてもらうよ、と心から答えていた。ふらりとそういうイベントに行けるような状況にしておかないと、といった意識を新たに抱きつつ。
*
人間の協力者を集めつつ、更に統は、人間以外にも手を貸してもらおうと考えていた。
「メロペは、公共カメラ及びそれに準ずるセンサー装置と付随する情報機器におけるお二人の外見情報に関しての新たな規定を、新規に申請されたサービスのために了解いたしました」
自宅でタブレット端末越しに見る七姉妹メロペの外見は、以前の事件の際にVRチャット空間内で見た彼女と寸分違わぬものだった。グラデーションする輝きの特殊効果を載せた深く濃い真紅の髪も、溌剌とした活力みなぎる表情もアイドル風衣装も、そのままだ。
しかし、そんなメロペにとあるサービスを申し込むために長々と話し込んでいる間、統はあるかないかといった程度の違和感も感じていた。メロペはあの事件で調伏されて以来、奇妙な超高性能っぷりを発揮することはなくなり、ただの人気自治体AIに戻っていた。
それを知っているからなのかどうなのか。愛くるしく元気なメロペはあの日話したメロペとはほんの少しだけ変わって見えた。どこかどうというわけでもなく、漠とした感覚ではあったが。妙に硬い昔懐かしのAI口調(現実のAIは既に人間と変わらぬ口調で喋れるのだが)は変わらないが言葉の端々に差異が見えていた。
それはともかく、面倒な手続きを終えて統は自室のベッドに寝転がって大きく息を吐いた。メロペに――正確にはメロペを中心とした自治体行政の一部分に――申請したのは、画像・映像を中心とした特定人物の位置情報通知サービスだった。
一般的には子供や高齢者の見守りや登下校の安全監視、企業の社員従業員の業務上の行動把握などに使用されるサービスで、公共カメラなど(申請や許可があれば個人端末や店舗監視カメラなども利用できる)の画像・映像から、あらかじめ登録した個人の外見を画像認識で発見し追跡し、リアルタイムでの位置情報を通知するものである。
七姉妹市の市民であれば小規模使用ならば無料で一定期間使えるとの情報を宮川やあの事件で知り合ったメロペファンから聞いた統は、この通知サービスを利用することを思いついたのだった。当然、人権やプライバシーを考えた場合にかなりきわどい所のあるサービスではあるので申し込みは手間が多く、自分の分は自分で行えるとしても昴の分は昴が申し込まざるを得ず、その手順などもサポートしつつのサービス開始手続きは半日仕事となっていた。
手間ではあったが、これで市の各所の公共カメラにドッペルが映れば、「統または昴がこの時間ここにいました」という情報をメロペから受け取ることができる。特性上その範囲や地点はかなり限定的ではあるが、二人で街を歩き回るだけに比べれば圧倒的に広く情報を得られるはずだった。
これで、学校内外の知り合い、そしてメロペ、後は雲雀も、情報を提供してくれる。いくらかマシな状況になるのではないかという期待を統は抱いていた。
七沢家以外の人間へ調査への協力を行うことは無論、危険性も孕んでいる。以前昴が語ったように、願いと鎖が結びつき超常的怪異を引き起こすというメカニズムがばれれば、事態はこの先ずっと収拾がつかなくなる危険性があるのだ。それでも以前からこの土地で不思議な出来事を「御子様」が調べるということは多くあり、皆知っていることだった。色々考えた上で、昴も統のこうした情報提供の呼びかけに賛同していた。
今回の「ドッペルゲンガー」の話は、どうにも曖昧で、願いの主も内容も分からない。だが、
「こんなところで、行き詰まらせはしない」
寝転がって天井を見ながら、統は呟いた。LED照明の光に目を細めつつ、昴との会話を思い出す。何故統には鎖が見えるのか。一人しかいないはずの鎖が見える人間が、二人いるのか。お互いにとっての、お互いの救いとなる存在。
自分たちの「願い」が、相手を作り出したのではないかという、世界の底が抜けるような、凍るほどに冷たく恐ろしい疑念。しかしもしそうだったとしても、どうにかしてやる、と統は心の中で決めていた。
諦められることなどないのだ、という何かの実感があった。どうにかするために、世界をどうにかしているところの鎖を止めるという矛盾も、最早矛盾ではないと思えた。
「今まで、昴がしてきたことだ」
あるいは、昴以外の人々が、普通に暮らす上で普通にしてきたことだ。
世界が世界であるために、何かをどうにかしようとし続けていく。
そんな意識を抱えて、統は目を閉じた。




