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プレアデスの鎖を重ねて  作者: 深津 弓春
 4 どこのわたしたちが願ったのか ドッペルたちの特異点
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 どこのわたしたちが願ったのか ドッペルたちの特異点 1


 七姉妹市での生活はまずまず順調だと言えるのではないか。

 新天地に来て既に二か月以上が経過する。教室で自席に座って世界史の授業を受けながら、統はそんなことを考えていた。友人もそれなりにでき、学校にも街にも慣れた。


(順調、か)


 と、ノートを取りながらこっそり左方――左隣の席を見る。昔ながらの木の天板を使った生徒用の机の上に、美しい赤茶色の長い髪が幾筋も流れていた。滑らかで健康な髪はひたすらに艶めいており、夕焼けに照らされた大河がいくつもの支流に分かれているような感動的な光景にも見える。が、実際には昴が突っ伏して眠っているだけだった。思い切り頭を机につけて、だらりと両腕をサイドに垂らしたまますうすうと安らかに寝息を立てている。

 授業態度は最低だったが、ここのところの昴は出席率が上がっており、御子であることと合わせて今のところはこうした蛮行も寛大に放置する教師が多い。


 彼女の姿を視界に入れて、統は再度心の中で呟いた。順調なんてものではない。

 今までの人生でずっと抱いてきたもの――何もかもどうにもできないという、捨てることのできない拘りと現実のギャップという行き詰まり。チープな、しかし意識に貼りついて離れない行き詰まりが、今は揺らいでいた。

 現実とは思えない数々の事件。プレアデスの鎖とという超常遺物が引き起こす現象と、それを調伏する御子の御業、それに昴という個人の心にいくらか触れて、様々な変化がもたらされている――そう実感していた。


 今や世界は、それまでそれがそうだと信じていたものとは姿を一変させていた。相も変わらず不条理は不条理で価値は様々なところで失われているが、それだけではない驚きと深みをもって世は世としてある。そんな当たり前のことを当たり前に感じさせてくれたのは、昴との出会いがあったからだ。

 順調どころではない。とても、幸運だ。


 偶然越してきた街で、偶然にあの日出会い、偶然に一つの事件を解決するためにいくらか助けになれて、縁が出来上がった。そして何もかもプラスに繋がった。

 と、考えると、少しばかり、統の意識に別の感情が沸き上がった。

 あまりに幸運で、あまりに自分が求めていた何かにピッタリで……これは、本当に、ただそうあるというだけのことなのだろうか、という。

 七沢昴と言う少女は――


(俺にとって、都合が良すぎはしないだろうか)


 思いついたその言葉は、意識ににじり寄ってきた眠気の中に半分、溶けていく。

 昼過ぎの太陽光が窓からカーテン越しに差し込み、昴の髪と白い頬に小さな薄い日なたを作っていた。統は欠伸を噛み殺し、彼女の姿を横目に、ゆっくりと息を吐いた。睡魔が背筋を這い上がり、頭の中に潜り込む。

 一瞬、意識が落ちた。


   *


 危ない、と統は顔を上げた。授業中に眠る所だった。軽く頭を振って、眠気を飛ばす。

 と、左隣の席のあまり仲の良くない男子生徒が、どうしたのか、という顔で見ていたので、何でもないとジェスチャーして教師の声とタブレット端末の教科書や資料、それにノートに注意を戻す。

 授業を聞きながら、何かが意識に兆した気がして、統はちらりと左を見た。何も変わったことは無く、先ほどの男子生徒が普通に授業を受けている。何もかもが当たり前でしかなかった。

 すぐに前に向き直り、授業の残りに集中する。十数分が経過してチャイムが鳴ると、生徒たちは解放感の籠った声を思い思いに上げた。その日の授業はそれで最後だった。


「帰ろうぜ、暇だろどうせ」


 と背中から声をかけられて振り返ると、宮川が手早く荷物をまとめて帰ろうとしていた。うっせ、そっちも暇人だろ、などと返しつつ統もまた帰り支度を済ませて、帰路に着く。

 学校を出て、適当にぶらつきながら、帰る。ちょくちょく足を運んでいる書店に立ち寄り、代わり映えのしないラインナップを眺め、電気屋の駐車場に間借りしているお好み焼きとたこ焼きの店で安い粉物をつつきながらあーだこーだと宮川と雑談する。


 古いゲームソフトについて話しながら、統は車の少ない広い駐車場を何となしに眺めていた。アスファルトは舗装の修繕が繰り返されて色味が斑になっており、白線も何度も引き直されて年季が入っている。都会であれば十年とせずに別の店になりそうな場所だったが、七姉妹市ではこうした長い時間を内包した店も多く、ょっとした歴史を感じさせる。


「それで、ようやくゼロ年代くらいの家庭用ゲームまとめた互換機が出たってことで――統、どうかしたか?」

「いや、何とも平和な街だなと思って」


 なんだそりゃ、と笑う友人に笑い返しつつ、統は改めて実感していた。

 七姉妹市は良い街だった。暮らすのに不自由はしないし、景色は美しく感じ入ることのできるような情景にも溢れており、特に大きな瑕疵もない。

 ただ、以前までいた都会に比べて退屈ではあった。何かおかしなことが起きるでも、大きな事件が起きるでもない。


(そりゃあ、漫画やラノベやアニメの中みたいな出来事なんて都会だろうが田舎だろうがそうそうないだろうけれど)


 そもそもその気配すらないのだここには、と、ありきたりなことを思う。


 たまに宇宙人が現れただの、自治体AIがあり得ない挙動を見せただのと言った事件は起こる。統が生まれる前からずっと存在する、原因不明の不規則現象というやつだ。酷いものであれば災害規模の被害が出るし、軽いものでも対処法のない異常現象がいくらか社会を乱す。高齢者などは昔よりもずっとこれらの奇怪な現象が多くなったと話し、一体世界はどうなってしまったんだとたまに嘆いていたりするが、産まれたときからバシバシ経験している統たち子供世代にはピンとこない。天災みたいなもので日常の一部だ。


 元々戦争に飢餓に貧困に差別に核武装に民族紛争にとあれこれ問題がある中の一つに過ぎない。容易にはどうにもできない問題というやつだ。

 なにも、どうにもできないのだ、という声が心の内側で虚ろに響いていた。

 何もかもにうんざりしてしまう、行き詰まりがそこにあった。


 七姉妹市だけではない。世界とは統にとって常にそのようなものであったし、その認識を変えてくれるような何かも今のところ存在しない。あればいいとは思う。何か、それだけではないのだと、世界の意味が塗り替えられ裏返るような何かがあればと、よく統は空想していた。実際どんなものがあればそうなるのか。

 赤茶色の美しい色が視界の端に踊ったような気がして、統は瞬きした。何の意味があるのか分からない幻。気のせいだ、と嘆息する。


 たこ焼きを片付けて店を出て、宮川と別れると、統は時刻を確認する。まだ夜にはならず早い時間だったので、すぐに家に帰る気にもならず、ぐるりと街を遠回りしていくことにした。

 いつも通らない道を通り、家からも学校からも離れた位置をぶらついていると、いつの間にか市の北西部に足を踏み入れていた。農地と一軒家が並ぶエリアで、生活圏に近いながらも用がないのでほとんど知らない場所だった。


 山際に沿って歩いていくと、ふと、途中で気になるものを見つける。舗装道から真っ直ぐ、砂利道が伸びていた。綺麗に整備されているような感じではなくあちこち雑草が繁茂している。道の先に進んでみると、突き当たりには妙なものがあった。


 山の斜面の下端、ギリギリの位置に、中々に大きな空間が広がっていた。元は何かの施設でもあったのだろうか、苔や雑草の生えた平坦な地面が広がり、そのあちらこちらに、何かの建物が存在していた。どれも半壊していたり植物に覆われたり木に貫かれて自然と一体化した物体となっていたりしており、明らかに現在使われてはいないと見える。石材で作られていると思しき、現代アートのような捻れた格子状のオブジェが台座ごと倒れていた。


 土と汚れと緑に浸食された廃墟だ。壊れた建物はいかにも日本風で、もっと言えば神社の建物の様式――と言っても色々あるのだが――に似通っているようにも見える。


「こんなところ、あったんだな」


 物珍しく眺める。都会ではあまり見ない類の、デカい廃墟だ。しかも、家屋やホテルといったよくある類の廃墟ではなく、宗教施設のようなものが敷地ごとというのは珍しい気がして、しばらくまじまじと観察してしまう。

 初めて見る場所。しかし何故だか、そこに何かがあるような気がした。何かこれとは別の、同じではあるが別の何かがあったような気が。

 と――、


「あんた、何やっとん?」


 とどこかぼんやりと丸みのある声がかけられた。

 統が振り返ると、砂利道に犬を連れた中年女性が立っていた。


「学生さん? 危ないよぉ、中入ったら」


 散歩か何かだろうか。ラフな格好で、柔和な笑みを浮かべていた。


「ここ、何なんですか?」


 訊くと、彼女は、あれ、まあ、とやや大げさな驚き顔になってみせた。


「知らないの?」


 そりゃ知るわけないでしょう、とは思ったが、近所の人はみな知っていたりするのか、と思い直して、ちょっと前に越してきたばかりなんです、と説明すると、女性は納得したようになるほどなるほどと何度か頷いた。


「ここはね、結構古ぅい、社の跡よ。明治だか大正だか、かなり昔にはちゃんとしてたらしいんだけど、昭和の途中にはあまり人も訪れなくなって、ここに住んでた人たちも病気だったりで絶えてしまったって。分家筋のいくらかは方々にいるらしいけど、ここは放置されたままだって話よ」

「社って、神社か何かですか?」

「ううん、それが違うんだって。私も昔はてっきり神社跡だと思ってたんだけど。お寺でも神社でもなくてね、土地の大事なものを奉ってたんだって」

「何か独自の、土着の信仰みたいなものですか」

「そんなものなのかなあ、うちの亡くなったおじいちゃんとかはちょっと知ってたみたいだけどね。古い時代にはここら一帯はなんでも、『みこさま』とかいうのを崇めとったって」


 みこさま、と相手の言葉を声に出してみると、彼女は笑いながら神社の巫女さんじゃないよ、御の字に子供の子って書いて、御子様、と丁寧にも教えてくれた。


「不思議な力を持った一族だったんだって。昔の七姉妹市には多くの災いがあったんだけど、それを察知して事前に防いでくれたとか。土地の守り神みたいな感じで、感謝されとったんかね……」


 遠い時代を想像するように女性は潰れて地に落ちた廃墟の社の一つの屋根を見つめていた。木材が腐って土に埋もれかけていたが、ところどころには金属の装飾がまだ辛うじて形を残していた。かつては立派なものだっただろうことが想像できる。


「そういえば今も、厄介な不規則現象なんかあるもんね、昔の『みこさま』なんてもんがどこかにまだ生きとるなら、どうにかしてほしいねえ。今じゃ範囲も日本中広がっとるし」


 そりゃ無茶でしょう、と統は苦笑した。国中で起きていて、そろそろ海外にまで広がろうかという原因も原理も不明な現象だ。昔の巫女だか御子だか、よくある田舎のローカル信仰のキーパーソン程度でどうにかなるとも思えない。


「まあ、それはともかく、中、入ったらいかんよ。たまに子供が怪我したりするから。さっさと撤去したほうがいいんだろうけどね、ずっと放置されとるし。まあだから私もこうして散歩に使わせてもらっとるけどね、参道なんかはさ」


 頼まれもしていないのに自分のことを説明して、彼女は朗らかにじゃあね、と背を向けた。連れられた柴犬が一声、小さく鳴いた。

 何か、むずむずとした違和感のようなものを覚えて、統は首の後ろを掻いていた。

 妙な感じだった。目の前の廃墟に、何か引っかかりがあるような。


(いや、それだけじゃない)


 目前の景色だけではない。周囲全て、空気の粒子の一粒一粒、時間の最小単位の一瞬一瞬に、なにかざらついた違和感があった。まるで世界そのものに知らない混ぜ物でもされたかのような。じっと廃墟を見ていると違和感はいや増しに大きくなる。正体の分からない違和感が膨れ上がる。


「んぎゃぶ」


 出し抜けに、潰れた牛か何かの悲鳴のような、くぐもった濁声が響いた。見ると、砂利道の横合いから、一匹の猫が姿を現していた。毛並みの艶めく黒猫で、左前脚と尾の先だけが雪のように白い毛で覆われている。

 くるりと背を向けてどこかに歩き出す見知らぬ猫に、意識の一部が勝手に駆動して、追いすがるように足を動かそうとした。そんなことをする必要がどこにある、という当然の意識とぶつかり、何かがスパークした。


 ずるりと。


 何かが、出て行った。何かから、抜け出した。そして、気づく。違和感を抱えていたわけじゃない、と。


 むしろ、違和感こそが自らだった。


 二、三歩、猫を追って踏み出してから統は振り返った。すぐ背後には、統がいた。どこからどう見ても自分の姿をした、統そのもの。彼の体がまるで分身したかのように、重なった同じ形の紙がずれるかの如く、統は統から抜け出していた。


「お前は、誰だ?」


 同時に、声を出した。ぴったり気持ち悪い位に似通ったアクセントとイントネーションで、同じセリフを吐いてしまう。顔には驚愕が貼りついていた。


 統は、たった今抜け出した元の統と、彼の背後の廃墟を同時に視界に入れていた。山に埋もれて消えようとしている遺構を目にして、先まで感じていたはずの世界に対する当然さの感覚がざっと激しく裏返った。

 知っている。知っていない。ここは、こうじゃない。ここにはまだ人が住んでいるはずだった。よく知る人間が。

 思い出して、統は叫んでいた。


「昴!」


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