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プレアデスの鎖を重ねて  作者: 深津 弓春
 3 いつの願いであるのか パッチワークの幸福世界
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 いつの願いであるのか パッチワークの幸福世界 6


 三つほど、雲雀の知る光景と知らない光景の両方を越えて、辿り着いた場所は、場所としては三人ともに見覚えのある地点だった。街の北西、山の裾にほど近い場所。街路から砂利敷きの参道のようなものが伸びる場所。


「せっかく、珍しく朝早くから登校しようとしたのに」


 昴がため息をつく。

 目の前にあるのは、七沢家の敷地だった。伸びた参道の先に緑が広がり、いくつかの社が見える。


「戻ってきてしまいましたね」


 果たして戻った、と表現できるものかどうかは分からないが、とりあえず地形的には昴と雲雀にとって出発点に戻ったことになる。

 と、突然、それまでゆったりと悠然とぽてぽて歩いていた猫のゾロアスターが、足を速めた。速足になり、慌てて統たちが歩を速めると、更に駆け足になって進んでいく。


「なんだ、どしたの」


 昴の声にも振り返らず立ち止まらず、奇妙な時空ネコは身軽に駆けて行く。

 後を追って砂利道を足早に進む。と、参道の終わり、敷地の入り口近くのあの謎の石造りのオブジェに、誰かがもたれかかって立っていた。ほっそりとした、大人の女性だった。


 姿を認めて、統は足を動きを緩やかにした。女性の側も接近に気づいたのか、背中をオブジェから離して、ゆっくりと三人に向き直る。

 ざざ、と音を立てて、雲雀と昴の二人が立ち止まった。二人とも、相手の姿を見て、つんのめったように動きを止めていた。少し遅れて統もまた停止する。


 これもまた、デジャヴと言うのだろうか――と、統は一瞬そんなことを考えた。


 統たちに向き直った人物は、黒く艶やかな長髪を腰まで真っ直ぐに垂らした、ひどく姿勢の整った女性だった。やや大きめの瞳は目尻の優し気な様子が落ち着いた雰囲気を醸し出している。

 つい先ほど、マラソンの人混みの中で一瞬見えたあの女性よりも、更にほんの少し大人っぽいだろうか。統は彼女を観察して、そう判断した。即ち――


「雲雀――?」


 昴の、驚きで張り詰めた声が、辺りの空気に混じって流れる。彼女の胸元では、統にだけ見える鎖が輝きを放っていた。サーチのために伸びた格子の針は、真っ直ぐに目の前の女性を指している。


 そこに立っているのは、七沢雲雀だった。少なくとも雲雀を見たことがあれば、ぱっと見でこれもまた雲雀だと分かるほどには、よく似ていた。いくらか顔つきや体つきが大人っぽくはなっていたが、さほどの違いはない。身にまとっているのはこれも大人らしい、落ち着いた色味の私服だったが、それで別人に見えるわけでもない。


 彼女もまた、統たちを見て驚きを顔に浮かべていた。短く息を吸いかけて固まったような顔には、様々な感情が浮き上がっていた。疑念、驚愕、懐かしさ、それにもしかすれば、無くなってしまったものや手に入らない何かに対する、切実な憧れや悲しみ。


 彼女の足元には、一匹の猫が座っていた。黒い猫が、すぐ傍の細い足首に尻尾をするすると触れさせながらちょこんと座している。よく見れば、その猫は全身が黒い毛におおわれた中で、尾の先と左前脚の先だけが染め忘れたかのように白くなっていた。


「ゾロアスター?」


 気づいて統は自分たちを先導してきたゾロアスターの方に目を移した。黒い美猫は統たちから離れ、自分と瓜二つの猫の元に近づく。

 二匹はすんすんとお互い鼻を寄せて嗅ぎ合ったかと思うと、特段驚くでも威嚇するでもなくどちらからともなく一声鳴いた。全く同じ動作で、全く同じ声で。ぎゃう、という声が二重だったのかどうかすら聴き分けられない。


 鳴き声と共に二匹のそっくり猫たちはさっと駆けだした。体を寄り添わせ、すぐにどちらがどちらかもわからなくなり、そのまま藪の中に消えてしまう。


「時空ネコが、二匹?」


 見たままのことを口走る。目前に立つ女性もまた、猫たちの背中を目で追ってから、


「あなたたちも、ゾロアスターに連れられてここまで来たのですか?」


 細く唇を開いて、彼女が言った。

 統は肌が泡立つのを感じた。耳を撫でる声の震え――彼女の声は、よく知るものだった。


「あなたは」


 同じ響き。同じ幅と強さを持った波の震え。

 同じ声が、雲雀から放たれていた。


 誤魔化しようも何もない。同じ人間の過去の姿を見た後で、その逆をも見ることになるなどという事態が一日の間に――とは言っても時間は分からないのだが――あるなんて、と統はここ最近で少しだけ慣れてしまった超常的事態への驚きを抱いていた。


「あなたは、私、でしょうか」


 雲雀が細かに揺れながらも真っ直ぐ伸びていくような声で問いかける。問われた女性は、そんな雲雀の言葉を半ば予想していたように、微かに目を細め、伏せて、「ええ」とやや曖昧な声を返した。


「七沢雲雀であるかということなら、私も雲雀で間違いありません。七沢昴の妹で、なんの特別な力も持たない、御子の妹で、ただの大学生です」


 彼女は――自らも雲雀だと名乗る彼女は、薄く笑った。どこか、疲れと弱さの底から浮き上がってきたような笑顔だった。

 大学生。少なくとも、統や昴の知る雲雀とは、数年以上の差がある。


「でも、あなた自身かと言われれば、違うのかもしれません。もう一人の雲雀」


 言葉を連ねながら、大人雲雀は統の方を、確認するようにちらりと見た。


「まさか、こんなことになるなんて。ああ、やっと本当に、理解できたのかもしれません、『鎖』が短絡的に人の願いを叶えてしまうということの、恐ろしさが」


 自分の腕で自分をかき抱くようにして、大人雲雀は笑みに皮肉さを薄く混ぜた。


「姉さんは、それに『そちらの』昴姉さんも、こんなことにずっと相対してきたのですね」

「何を、言っているのですか……?」


 統たちの側の雲雀が、戸惑いに恐れを滲ませて訊く。

 向けられた問いに、じっと、大人雲雀は三人を見て何かを考えたようだった。それから、出し抜けに統に声をかけてくる。疑問というよりは、半ば確認するような口調で。


「あなたは、一体、誰なのでしょう」


 知っている顔に知っている声で言われると、ひるむ。七沢家との付き合い自体長いものではないが、それでも昴とも雲雀とも多く言葉を交わしてきており、その雲雀とそっくりな彼女に誰かと問われると、自らの現実の足場の一部があっさり欠け落ちるような恐ろしさがあった。


「誰って――その、稲上統、です。昴や雲雀と同じ学校に今年から転入した……」


 説明しながら、頭がこんがらがってくる。相手も雲雀だと先ほど言っていたのだが、何故こんな説明をしているのか。

 だが大人雲雀は、統の短い自己紹介を聞いて、はっと顔を上げていた。驚きと同時になにか別の、理解や納得とも取れる表情の変化が表れていく。


「稲上、統さん……ああ――ああ、では、そちらの私と昴姉さんは、そういうこと、なのでしょうか……」


 浮かされたように、本人も意識しているのかいないのか、大人昴の口から小さな泡のように短い言葉がいくつか漏れ出でて弾けて消えていく。


「雲雀」


 そっと触れるように、昴が名を呼んだ。自らの傍らの妹にではなく、目の前に立つ、恐らくは年上の妹に向かって。


「あなたは、誰で、どこから来たの? 何を知っているの?」


 決然とした口調だった。雲雀の姉としての声と、御子としての言葉の混ざったような響きが大人雲雀へと注がれる。


「私は……」


 思考と迷いと困惑が入り混じり苦しむように、大人雲雀は三人に向かって告げる。


「私は、恐らく――あなた方とは異なる道筋をたどった、七沢雲雀です」

「異なる道筋?」


 昴がなぞるように相手の言葉の一部をそのまま繰り返す。

 大人雲雀は頷いて、さらに言葉を足した。


「分かたれた道、別の経路……他の可能性と言ってもいいかもしれません」

 

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