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プレアデスの鎖を重ねて  作者: 深津 弓春
 3 いつの願いであるのか パッチワークの幸福世界
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 いつの願いであるのか パッチワークの幸福世界 5


 菓子屋を過ぎて、ゾロアスターと共に移動を初めて。また、さまざまな景色が現れる。

 通りを曲がった途端に骨まで凍えさせそうな寒風が肌を撫でたかと思えば、辺り一面が雪に覆われて眩しく白く輝いていた。七姉妹市でも珍しい規模の積雪だった、と語る雲雀を尻目に統は慣れない雪を苦労して踏みしだいた。


 雪を超えたと思えば、今度は住宅の間を走る細い用水路が真っ赤に染まっていた。住宅の棟の谷間を真っ直ぐ通る水路の水に、遠くに見える山と街路樹の紅葉が奇跡的な角度で映り込み、ちょっと現実か疑うほど美麗な赤に水が染まって見えた。


 時間的パッチワーク情景は途切れず、次々に印象的で、美しく、楽しく、そしてそれらが記憶の中の過去であることで生じる漠とした寂しさを伴う光景が続いた。


 いくら進んだのか――時計が機能していないために時間を計ることもできず、景色ごとに陽の傾きも季節も異なるために急速に時間間隔が失われていく。さほど広い街でもなければ、長く歩いているわけでもないはずだったが、なにか長期の旅でもしているような奇妙な気分が統の意識には蓄積していた。

 何分経ったのか、いくつ景色を超えたのか。考えていると、ふと昴が少し遠くに目をやって、不思議そうに呟いた。


「あんなマンション、あったっけ?」


 と指をさす。指の先には、数十メートルほど離れた場所に建った背の高い、高級そうなマンションが聳え立っていた。


「記憶にないってこと?」


 統が訊くと、昴は頭を振って否定した。


「そうだけどそうじゃない……と、思う。ね、雲雀、見覚えは?」


 問いを回されて、雲雀もまた同じものを見て、考え込む。だが、じっくり足を止めて黙考しても、答えは出てこないようだった。


「……分かりません。見覚えは、無いと思います。そもそもあの辺りは、古い民家だった気がします。私たちが物心ついた時からずっと」


 不思議そうに見上げて答える。


「雲雀の記憶にない光景ってこと?」

「ええ、恐らくは……何かの勘違いや思い違いでない限りはですけれど」


 昴の問いかけにもそう答える。


「急に、雲雀の記憶にない光景が出てきた……?」


 これまでの法則を外れる事態に、昴が表情をいくらか険しくする。

 とりあえず、立ち止まっていてもこれ以上は分からない、ということでまた歩を進める。すると、今度は少し広めの通りに出たところで、祭りの景色の時と似た人の声の群れに出くわした。


 道路の歩道部分に人々が並び立ち、何か歓声を上げていた。車道部分には自動車が全く走っておらず、代わりにと言うべきか、スポーツウェアや運動向きの軽装、丈の短いシャツやズボン、ハーフパンツなどに身を包んだ人々がせっせと両足を動かして走っている。

 賑やかな光景を前に、昴が訝しむように推測を口にした。


「マラソン大会?」


 にしか見えない。スタートから程ないのだろうか、選手たちはまだごっそり集団で走っており、沿道の応援も多かった。


「でも、こんな大会、見たことありません」

「そもそも七姉妹市、この手のマランイベントでここまでの規模のやつ、無い気がする」


 雲雀と昴がそんなことを言う。彼女らの言葉を聞きながら走りすぎていく人の群れを眺めていた統は、群れの中に一瞬、雲雀とよく似た女性を見つけて思わず「え」と声を上げていた。雰囲気はいくらか異なるが、よく整った顔つきや、見ている方まで背筋を正してしまいそうな姿勢の良さは瓜二つに見えた。しかしよく観察するより先に、人混みに紛れて消えてしまう。


「どうしました? 稲上さん」

「い……や、なんでも、ないんだけれど」


 どう答えていいか分からず、統は視線を彷徨わせた。と、彷徨った先で、視界が少し離れた位置にある、沿道に据え付けられたのぼり旗が目に入る。旗には力強い書体で、『第一回 七姉妹市マラソン』とシンプルな大会名らしきものが印刷されていた。更に、大会名の上には四桁の西暦が添えられている。


「再来年だ」


 統の視線を追った昴が同じものを目にして、指摘めいたことを口にした。

 三人で顔を見合わせる。一体何が起こっているのかと思い続けてここまで歩いてきたが、ここにきたまた同じ疑問を重ねていた。何が起こっているのか。


 落ち着いて考えようと通りから離れて静かな住宅の間に戻ると、今度は歩道を七姉妹高校の生徒たちが制服姿で歩いていた。制服の胸には、皆小さな品のいいコサージュをつけている。通り様に横目で見ると、十人ほどの集団のうち数人が、大判ノートほどのサイズの何かを抱えていた。見ればそれは、表面に箔押しで卒業証書と書かれたケースだった。


「今のも、今年のじゃなかったね」


 と鋭く証書ケースに視線を向けた昴が、生徒たちの通り過ぎた後で言った。


「これまでに七姉妹高校の卒業生を見たことは無いわけではないですが……強く記憶したことは、無いように思います」


 またも、目にしたものが自分の記憶の情景にないと雲雀が語る。


「一体、今のは、いつの光景なんだ」


 我知らず統は独り言ちていた。七姉妹市の大まかな地図を頭の中で思い描き、その『時間的』な塗り分けをイメージする。別々の時間の柄で塗り分けられた地図を。今しがた見た情景たちの柄は、ではどこから来たのか?


「願いの反映として、雲雀――さんの、記憶した光景が出現してるなら」


 考えをまとめつつ口にする。なんとなく昴と同じように呼び捨てにしかけてしまい若干声が揺らいだが、こんな時でも雲雀はゆるりと微笑んで「雲雀でいいですよ」とフォローした。ああ、ごめん、と気を取り直して、統は続ける。


「やっぱり、願いの主は本人、記憶の持ち主である七沢雲雀その人以外には、考え難い」

「そのはずが、サーチは雲雀を指していない」


 昴が捕捉する。統は頷いて、その言葉をとっかかりにした。


「そう、指していない。でも、今言った『雲雀』っていうのは、一体、『いつの』雲雀、の、ことなんだろう?」

「いつ、って……」


 昴が何かを言おうとして、しかし言葉の意味を受けて声を止める。面食らったような彼女に、統は自分でも考えながら、推測を進めていった。


「記憶の中の光景は色んな時間の光景だった。記憶だから当然、その光景は過去のものになる。桜も祭りも文化祭もその他諸々も、今現在の俺たちから見て、というか雲雀から見ての過去だった。対して、今のいくつかの光景は、誰も見たことが無かった。『今の』俺たちが『まだ』見たことがない光景だった」


 自分自身の言葉に思考を導かれ、統は雲雀を目に映した。お嬢様然とした、姉を慕う少女。先ほどマラソン走者の中に見たのは、あの光景の時間における彼女だったのではないか。そしてあのマラソンは未来の日付で開催されていた。思い付きが繋がる。


「未来の光景を記憶として知っているのは、その更に未来にいる人間、じゃないか?」


 言って、統は鎖のサーチの指す先を見据えた。何度かこれまで昴はサーチを繰り返していたが、方向はおおむね変わっていない。

 もしその先に誰かがいるとすれば、願いの主、サーチが示す先の誰かとは、誰であるかが問題なのではなく、いつの人間であるかが問題になるかもしれない。


 想像を胸に、三人は退屈そうに皆を待って立ち止まっていたゾロアスターと共に、知らない光景の中を突っ切っていった。


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