願いは何であるのか 地球外知的生命探査少女の住む街 1
七姉妹高等学校というちょっと変わった学校名の由来は、そのままこの高校の所在地の名前にあった。七姉妹市という、列島中央部の山間に開けた幾らかの平地に人口の大半が集中する地方都市――と呼ぶべきかどうか――の一つである。
平地は北半分ほどが七姉妹市、南半分は隣接する別の市となっており、その南側は全国でもいくらか有名な歴史的な市街や、温泉、それにグルメやスキー場などで割と賑わっている。七姉妹市はと言えばこちらも市街中心部にはいくらか見栄えのいい街並み・史跡、観光客向けの施設商店の類がひしめいてはいるが、南部よりは良くも悪くも落ち着いていた。古都である一方で、やや先進的な情報設備、自治体バーチャルアシスタントAIの活用やAR環境とその活用のためのストリーミングアプリ環境整備、公共情報設備の充実からSFの街ともあだ名がつけられている、地味だが変な街だ。
そういうわけで、「割と年中騒がしいが凡庸な都会」から転校してきた統にとっては多くが新鮮に感じられる環境ではあった。初めて登校した新しい高校も都会のそれに比べればクラシカルな造りで、敷地も広く、制服も男子は古風な詰襟だった(女子はブレザーに細いリボンタイで、なぜか男子よりやや現代風味だ)。
とはいえ新鮮さもそのくらいのもので、転入初日は二年からの編入にしてはそこそこに落ち着いたものだった。地方なりに一つの学年にはそれなりの数のクラスとクラスメイトが存在し、いくらか入れ替わりもあるらしく、新規の顔合わせに上手く入り込むこともできていた。躓くこともないごくごく普通の、新生活スタート。
ひどく驚くような出来事というのはそうそうない。
それに――少しばかり変わったことがあろうが、何かがどうにかできるようなことには、そうはならない。そのことを、もうずっと前から知っていた。
*
(まあ、そうそう変なことあってたまるかって話だよな)
と先日の謎の発光物体&巫女服少女遭遇事件を思い出して統が嘆息したのは、登校初日の午後になってからだった。始業式に新しい担任挨拶と今後の予定、選択科目の履修関係の説明に自己紹介などなどあり、昼を挟んで解放されたのは午後二時過ぎだった。
ちなみに統の左隣の席は空席で、欠席しているらしかった。始業式から休みとは、と思ったが周囲は特に気にしていないらしい。まあこれはどうでもいいことか。とにかく、
「落ち着いた良いスタートじゃんか」
今から下校という段になって自由にざわつく教室でひっそり呟いた。あの遭遇の謎は一つも解決していないが、長い人生ああいうおかしなことも一度くらいはあるのだろう。一度くらいということはその一度以外は平穏というなのだから。
と、がらりと勢いよく教室前方側の引き戸が開く。
「すみません、このクラスに、稲上統さんという方はいらっしゃいませんか?」
戸口に現れたのは、黒く艶やかな長髪がまず目に入る、女子生徒だった。ほっそりとした綺麗な顔立ちだったがそれ以上にぴしりと伸びた背筋や丁寧に揃えられた指先、落ち着きと抑制の効いた優しい表情など、所作や表情や姿勢の端正さが際立っていた。
思い思いに周囲と雑談していた生徒たちの半数以上が言葉を止めて彼女を振り返る。
「あー、たぶん、そこの席の彼だけど」
手近にいた男子生徒が、こちらを指す。少女は軽く頭を下げて丁寧に礼を言うと、すっと人と机の間を縫って近づいてくる。歩き方までが綺麗に整っていた。よく見れば、襟元の学年章は一年――下級生だ――のものだ。
「稲上、統さんですか?」
目の前に立ち、席に座ったままの統に尋ねる。
「そう、ですけど」
同じ反応、つい最近もしたなと、頷きながら考える。
「良かった。どうしても今日中に会っておきたくて、お探ししてたんです」
ふわりと、柔らかな笑みを浮かべられる。
ちょっと待て、と思う間もなく、クラス中から好奇の視線が突き刺さる。どちらかと言えば――どころかはっきりと人目を引く見た目の少女、それも下級生が学期始まりからいきなり年上のクラスを訪ねてきたのだ。
落ち着いたスタート、という言葉が脳内で揺らぎ始めるのを感じつつ、努めて冷静に対応を考える。
「あー……と、その、どこの、誰さんでしょう?」
とりあえず問う。少女ははっと目を見開くと、口元に行儀よく手を当てて「すみません、忘れていました」とちょこんと頭を下げて見せた。
「私は、一年の雲雀と申します。七沢雲雀、です」
「七沢雲雀。……七沢?」
記憶に引っかかりを感じて顔を上げると、微笑みを浮かべたままで目の前の下級生、雲雀は「はい」と軽く首を縦に振る。
烏の濡れ羽というテンプレ表現が正にハマりそうな髪色も、しっとりとした落ち着きとにじみ出る柔らかな雰囲気にも覚えはない。
ないのだが、ふと細部から目を離し全体を見てみると、一度見たことのある何かがよぎる。きゅっとした小さな口元、明るめの茶が隠れた瞳、細い顎先のライン。それに、『七沢』。
「稲上さんが先日お会いになった昴――七沢昴は、私の姉です」
「ああ、あの――」
あの、なんと言ったものか。巫女さん、手から謎の物体出し少女、不審者、盗撮犯。どれもろくでもない。巫女と言えば、むしろ今目の前にいるこの子のほうががっつり似合いそうだと関係ないことまで考えてしまう。
統の惑いを察してか、雲雀は素早く言葉を継いだ。
「ええ、少々特別な格好をした、赤い髪の」
まんまだな。まあ他に表現のしようもないけど。
「そのことについて、お話がありまして」
「お話って言われても、あれが……あの昴って人が何なのかも何もかも、全然俺の方は分からないのだけど」
「それは、そうでしょうね、越してこられたばかりですし」
何故かやや申し訳なさそうに視線を伏せて、雲雀は少し間を開けて続けた。
「とりあえず、今のところはですね」
「はい」
相槌を打つ。と、彼女はすっと顔を近づけて――ちょっと吃驚するくらい統の顔に自分の顔を寄せて、周りをちらと伺ってから小声になってみせた。微かに暖かな吐息が、細く絞った声と共に頬に触れる。
「秘密にしておいてほしいのです。先日見たもののことは。あれは、あまり話して回ってほしくはないのだと、姉からのお願いなのです。その……もう、誰かに話されてしまわれましたか?」
「いや、まだ誰にも。というか、信じてもらえそうなあれこれでもなかったし」
「そうですか……そうですよね。すみません、いきなりお尋ねして、不躾なお願いをしてしまって」
別に構いはしないけれど、と小声のまま答えると、もう一度雲雀は「すみません」と頭を下げた。
「今日は取り急ぎ、それだけをお願いしに参りました」
それでは、失礼いたします。最後まで丁寧に言って、雲雀は来た時と同じく綺麗な歩き方で去って行った。
「なんだったんだ……?」
呆気にとられたまま口にして、しかしそれに応える者もいなかった。