いつの願いであるのか パッチワークの幸福世界 4
景色が、巡る。
七姉妹市の形自体は、ほとんどどこも変わらない。同じ場所に山があり川があり住宅街がある。だが、少し進むごとに、景色は大胆過ぎる変化を見せた。
学校から北に進むと、突然日が傾き夕暮れ時となった。茜色に染まった道沿いの公園には今は存在しないはずの型の遊具があった。更に進むと、今度は住宅からピアノの音が聞こえてきた。雲雀はそこがかつてのピアノ教室で、自分も姉も少しだけ通っていたが、別所に今はもう移転してしまったのだと語った。
しばし北上してから西進すると、川に出る。先に桜が咲いていた川と同じ川の、少し北側の別の橋にたどり着くと、河川敷の桜は葉桜となっていた。その上セミが鳴き、夏の熱気の中、河原では子供たちが集団で川遊びをしていた。
どれもが、雲雀の記憶にある光景だった。昴が覚えているものもあった。全て、雲雀と昴が共通で体験した光景らしかった。完全に覚えているのは雲雀のみだが。
「街が、時間的なパッチワーク状態になっている、とでもいうのかな」
明らかに春のものとは異なる、高みから強く降り注ぐ太陽の光にギラギラと光る川の水面を見つめて、統は思い付きを口にした。
つぎはぎの街。別々の時間の光景を空間的に繋げた街。地形的には連続していても、時間的には不連続で、別々の柄が隣り合っている七姉妹市。七沢雲雀という少女の記憶の柄の通りに塗り分けされた街。
橋を渡り、またいくつかの別々の時間景色を越えていく。
そうして、その場所に出る。
「これ、あー、懐かしい。ここのことは覚えてるな私も」
住宅街の中の、小さな四つ辻だった。生活道路のような細い道路の交差点で、特にどうということもない場所だったが、角の一つには商店が建っていた。谷町商店、とだけ看板に書かれていたが、戸口に近づくと、どうやら中は菓子屋らしかった。今となっては珍しい、個人経営の駄菓子屋だ。
スライド式のガラス戸は開け放たれ、店の中央には背の低い陳列台が置かれている。色とりどり、形様々な安い子供向け菓子が一杯に並べられ、うっすら甘い様な香ばしい様な香りが漂っていた。統にとってはほとんどテレビの中でしか見たことのない様なレトロな造りの店である。七姉妹市などの地方の街としても、多くは二十一世紀に入るか入らないかで消えてしまったような見た目の店だった。
それまでの景色もそうだったが、統は心のどこか柔らかな部分を軽く引掻かれたような感覚を味わっていた。記憶の中の『良い思い出の光景』というのは、たとえそれが他人のものでも、ノスタルジーな甘さと微かな痛みのような寂しさを両方感じるものらしい。
菓子屋の戸口の前、少し離れた位置で、しばらく三人は足を止めていた。雲雀が、記憶を探っているのか、何秒か目を閉じてから目の前の光景がなんであるかを述べる。
「これも、小さい頃に閉店して無くなってしまったお店ですね……今は建物も取り払われて駐車場になっているはずです」
「何かここにも思い出が?」
統が訊くと、彼女はううん、と小首をかしげて考える。
「ここは家に近いお菓子屋さんでしたから、小さな頃は何度も来ました。楽しい思い出も多くて……でも、そうですね、一番嬉しかった思い出は」
と、言い差したその時。
三人の目の前を、甲高い嬌声を上げて、何かが通りがかった。
昴と雲雀が、二人同時に、息を呑む。姉妹二人髪の色以外はよく似た顔が、そっくり同じように強張り固まっていた。
三人の目の前を走り抜けたのは、二人の小さな子供だった。二人とも、まだ小学校に入るか入らないかといった見た目の、幼子だった。どちらも同じように伸ばした髪を揺らして駆けていく。
一瞬遅れて、統も何か予感のようなものを覚えた。二人の子供は二人とも黒髪だった。だが、どこかで見かけたような雰囲気が、僅かではあるが感じられる気がした。
「まさか」
思い付きを自分で否定するためにそう呟いたが、昴と雲雀はその呟きに同意するかのように頷き、
「統にも、分かった? 多分、あれ、あの子たち……」
「私たち姉妹、ですね」
と呆然としたまま統の予感を肯定してしまった。
「本当に? その、あれが二人なら、一人は髪色が」
店の中に入ってあれやこれや会話しながら手に手に駄菓子を取る二人を離れた位置から確認して統が言うと、昴が同じように眺めながら疑問に答えた。
「私の髪とかが今みたいな色になったのは、『鎖』と権限を継承してから。母さんから受け継いで、それから少しずつこうなったの。代々の御子もそうだったんだって。仕組みはよく分からないけれど」
言われて統は隣に立つ昴を見やった。初めて見たときから強く印象に焼き付いていた昴の髪色は、今もそこにある。鮮やかな、透き通るような赤茶色。
「確かに、染めたにしても綺麗に染まりすぎてるし、痛みが全然ないとは思ってたけど」
染め残しも伸びた分の色違い部分もなく、色むらもなく、カラーリングなど全くしていない健康そのものな艶と滑らかな質感のある髪。しばし見つめていると、視線を統に向けた昴がひょいと髪先をつまんで、「さわる?」と訊いてくる。いや、なんでだよ、と謎の照れを感じつつ統は遠慮した。
「とにかく、だから、あれは私たち二人で間違いないよ」
断定される。
統と昴がやり取りしている間じっと店内を見つめていた雲雀は、やがて先ほど言いかけた言葉の続きを口にした。
「これは多分、私が初めて、子供だけでここに来た時の思い出です。私がここで、一番嬉しかった思い出。姉さんが、連れてきてくれたんです。凄く楽しくて……初めて、二つ年上の姉さんの……姉さんだけが知っていた楽しい世界に連れて行ってもらったような気がして……」
親の目がない所で、年上の子供に連れられて知らない場所・楽しい場所に初めて行った記憶、というのは、統にも分かる気がした。印象深く記憶しているのも納得できる。
話している間に、子供たち――幼い頃の昴と雲雀が、店から出てくる。またも三人の前を横切り、手に小さな買い物袋を持って、笑いながら通り過ぎていく。
と――雲雀がその背中を目で追いながら、顔を蒼白にしていた。血の気が引き、吐息が微かに震えている。
「憶えてます。これ、この後に、すぐそこで」
昴もまたなんとなしに雲雀と同じく幼い自分たちを目で追っていた。二人の子供は通りを走っていき、そしていくらか離れたところで、大きな声を上げて止まる。
二人の前に、一人の、大人の女性が姿を現していた。年の頃は三十代前半くらいだろうか。若く見えるが物腰が落ち着いているために大人らしさが強く伺える。地味な色のセーターを着こんでいたが、長く伸ばした髪が非常に明るい赤茶色であったために、全体的に目立っていた。
「母さん――」
昴が、引きつった声を漏らしていた。まるで、喉の奥で凍っていたガラスか何かを無理やり引っ張り出したような、硬く掠れた声だった。
幼い二人が嬉しそうに笑い、きゃあきゃあと騒ぎながら、女性の体にまとわりつく。手を取り、抱き着き、言葉を交わして、やがて三人並んで、歩き出す。
なにかに魅入られたかのように、昴は目を見開いたままで、息をするのも忘れたまま動き出していた。並び歩く三人、その中心にいる女性に向かって、一歩、踏み出そうとする。
反射的に、統は手を伸ばしていた。ふわりとどこかに浮いていってしまいそうな動きで足を踏み出しかけた昴の掌を、何を考える間もなく握っていた。
え、と小さく声を上げて昴が振り返る。
同時に、ぶぎゃ、とどこかで聞いた濁声が響いた。
統も昴も動きを止めて、足元を見やる。左前脚と尾の先だけが白い美しい黒猫が、いつの間にか足元にすり寄っていた。
「ゾロアスター」
昴が名前を呼ぶと、うんぎゃ、と猫のゾロアスターは返事めいた鳴き声を上げてみせた。
一時なんだこれ、と虚を突かれてぼーっとしてしまってから、はっと顔を上げると、通りの先の三人の姿は消えていた。
「……母が、迎えに来てくれたんです。そのことも含めて、ずっと覚えている光景です」
雲雀が記憶の甘やかさの喜びと、同時に今は無いものを目にしてしまった苦しさを同居させた、難しい顔で言って、しゃがみ込んだ。目を細めて、ゾロアスターの頭を撫でる。
猫はさらに一度ぎゃう、と鳴くと、雲雀の手の平をするりと抜け出して、三人から離れて顔だけ振り返ってまたも鳴いた。ちょっと進んで、また鳴く。
いつか見た光景だ、と統は最初にこの猫を見かけた時のことを思い出していた。時空猫とあだ名される神出鬼没の黒猫の、ついて来いと言わんばかりのムーブ。
「鎖の指す方角だ」
昴が手の平に鎖を出して、サーチを再度行って呟いた。猫の導く方角は、サーチの指す方向に延びる道路だった。
「こいつは俺たちと同じように、時間のパッチワークを渡れているのかな」
統は言ってみたが、誰も答えは持ってない。ただ、猫は早く来いと言わんばかりに三人を振り返って地面を尾の先でぺしぺしとやっていた。
「行こう」
サーチを辿る以外に思いつく自体の解決方法もそもそもないのだが、この不可思議な猫の存在も、心にかかるものがあった。
統が歩み出すと、雲雀も昴も続いた。一度だけ、あの女性のいた通りの先を振り返ってから、三人(と一匹)は、また時間の区切りに足を踏み出した。




