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プレアデスの鎖を重ねて  作者: 深津 弓春
 3 いつの願いであるのか パッチワークの幸福世界
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 いつの願いであるのか パッチワークの幸福世界 3


 七姉妹高等学校は、住宅街の中にあるが、裏にはすぐ近くに山裾が迫る高台にあった。昔ながらの、ちょっと高い位置に造成された土地に建つ学校というやつだ。一般道から上り坂になった細めの道路を登ると、その途上に校門があり、その先に更に少し上りが続いて校舎が建っている。

 一月通っていくらか見慣れた道、見慣れた校門と校舎、その姿かたちは、当然ながらそのままそこにあった。

 だが――


「ここも、こういう感じになってるんだ」


 半分は驚き、半分は予想通りといった感じで、校門前まで辿り着いた統はうめいた。

 黒い金属製の校門ゲートはいつも通り開け放たれていたが、問題はそこではない。開いた校門に、紙製の花やら金銀のテープやらで装飾された、うすらでかい門が設置されていたのだ。凱旋門のような、まさに『門』の字の形のゲートである。ゲートの上方には看板が掲げられ、白い板材の看板には大きく『六曜高校祭』とゴシック体で描かれている。


 校門の向こうはこれまた人でごった返していた。通りにはいくつか出店のようなものが並び、少し離れた先の校舎もなにやら各所が装飾されて、あちこちに人だかりが見えた。


「文化祭、か、これ?」


 呆然と統は門を見上げていた。雰囲気も、装飾も、人の賑わいも、明らかに文化祭のそれだった。七姉妹高校ではまだ経験がなかったが、学校文化祭の空気感自体はどこでも共通のものがある。

 これ、どうなってんのかなほんとに、と昴を雲雀に声をかけようとして振り返りかける。そこに、出し抜けに声がかかった。


「他校の方ですか?」


 見れば、すぐ近くに一人の男子生徒と思しき少年が立っていた。腕に「実行委員」と書かれた腕章をつけている。

 そして――彼は制服姿ではあったが、着こんでいる制服のデザインは、統たちのものとは全く異なっていた。統は自分の詰襟の学生服を相手と見比べる。相手も同じ詰襟ではあったが、色は統の黒いものと異なり紺色で、ボタンのデザインも全く別物だった。


 遠くを見れば、別に辺りを行きかう若者の中には一般客ではなく生徒と思しき者も見られたが、女子もまた制服のデザインは異なっていた。昴や雲雀が着込んだブレザータイプではない、半分セーラーと混ざったようなデザインである。

 言葉を出す間もなくそうしたことを観察していると、男子生徒は手を広げて案内を始めてしまう。


「入場されますか? こちら受付で人数と――」

「あ、いや、ちょっと今はいいですごめんなさい」


 慌てて、統は昴と雲雀と共にその場を少し離れる。いくらか坂道を降りて校門から離れると、さすがに事態の異常さを「とりあえず」で置いておくこともできなくなって口を開く。半ば自分に言い聞かせるように、


「これ、はっきりと、超常現象って言っていいよな」


 確認する。昴は軽く肩をすくめてから、嘆息してみた。残念ながら同意、といった感じだ。もう一方はと見ると、雲雀は二人とは少し異なる深刻そうな、難しい顔をしていた。


「あの……文化祭」


 迷いながらも、何か決したように、しばらく黙った後で雲雀は統たちに向かって、おずおずと何かを述べ始める。


「私は、見たことがあります。というよりも、記憶しています。ここも、姉さんと来ました。覚えてませんか?」


 問われて昴は考え込む。視線を地面に落として数秒、ぱっと顔を上げた。


「ああ、分かる、かも。一緒に連れてってもらったやつだ。確か、父さんの仕事場の同僚か何かがここの生徒で――」


 一つ引っ掛かれば芋づる式に思い出される、といった風に、ざらざらと記憶の事実が昴の口から滑り出る。

 状況が分からず、統はこのままだと会話に置いて行かれそうで、待ったをかけた。


「待って、ごめん分からないんだけど、あの文化祭、実際にあったことなの? 校舎は間違いなく七姉妹高なのに、制服は全然違ったし、ゲートには別の学校っぽい名前が書いてあった気が……ええと、なんだっけ」

「六曜高校ですか?」

「そうそれ」


 頷くと、雲雀は合点がいったのか、統に向き直った。


「統さんは知りませんでしたか。六曜高校というのは、七姉妹高校の前身にあたる学校です。県の高校再編で六曜と、もう一つ南の方にあった学校とが統合されて今の七姉妹高校となりました。それが、大体七年程前です」

「七年前までは別の学校だったのか……見たことがあるってのもそれより前のことか」

「ええ。九年程前ですね。高校の文化祭なんて初めてでしたから、とても興奮して楽しんでいました。今年七姉妹高校に入ったのも、あの時の楽しさが少し影響していると言えるかもしれません」


 一度子供の頃に行った文化祭が、高校進学の進路選択に影響するというのは中々ないことのように思えた。よほど楽しかったのか印象深かったのか――と統は想像する。

 その想像を見透かした、というわけではないのだろうが、雲雀は「本当に、楽しかったんです」と言葉を重ねた。


「統さん、それに姉さん、私には、この文化祭も、あのお祭りや満開の桜にも、見覚えがあります。そういうものがあった、というような話ではなく、はっきりとした情景として、あの時のあの場所だという記憶が残っています」


 昴が雲雀に目を向ける。瞳にきゅっと力が入っていた。


「文化祭とお祭りだけでなく、桜もまた実際に経験した情景だと思います。あそこは毎年ああいう光景になるので思い出すのに時間がかかりましたが、桜の咲き具合も周囲の人々の様子も空模様も何もかも覚えがあります。あれは、家族で何度か花見をしたうちの一つです」


 はっきりと言い切る。


「雲雀、私は文化祭は覚えているけれど、それ以外はかなりおぼろげというか、桜に関してはあれがそうだと言われても全く覚えていないくらい。雲雀は覚えているの?」

「はい」


 これまたはっきりと。いつしか、雲雀の表情には確信の色が強くなっていた。


「記憶に関して、癖のようなものが……あるんです。人に話したことはないんですが」


 彼女は昴と統を少しずつ窺うように見て、続けた。


「その、説明が難しいのですが……街中に、『一番いいと思った時』の思い出を、持っているんです。とても楽しい時間や嬉しい時間を経験した時に、その場所とセットでそのことを覚えておこうと強く心に留めるんです。それで、街中全域にそういう場所と思い出をセットで記憶しておいて、最良のものを残しておくというか。あの場所ではあの出来事、この場所ではこの経験、『いつ・どこで・なにがあった』といった感じで、いくつも」

「ああ、そういう……さっきの道ならお祭り、川沿いのあの道ならいつかの花見、七姉妹校――というかその校舎なら、文化祭、か」


 説明されて、統は少し理解していた。統自身にも経験はあった。良い思い出を強く記憶しておこうとすること自体は誰にでもある。それ自体は分かりやすい話だった。ただ、


「街全体、っていうのは、凄いな」


 正直な感想が漏れ出でる。七姉妹市はそこまで広くはない山間の平地が市街のほとんどだが、それでも街中となると中々に広い。


「本当に些細なことでもそれまでで一番なら、逐一覚えていたんです。小さい頃から一つ一つの思い出を大切にしておきたくて、気が付けば癖のように、少しずつ蓄積させていったんです」


 昴も聞かされるのは初めてなのだろう、表情に驚きと惑いがいくらか滲んでいた。


「稲上さんのご自宅を出発した後、立て続けに三か所、私の『最良の時と場所のセット』の記憶がそのまま現実に現れました。どれも、私と姉さん両方が経験したことですが、三つともはっきり覚えているのは私だけということになります。これは、偶然でしょうか?」


 雲雀自身を含めて三人とも、その言葉に考え込む。朝から続け様に遭遇した奇妙な光景。明らかに時期外れであったり、そもそもはっきりと過去にしかないはずのイベントであるにもかかわらず、三人以外の周囲の人々は普通にしていた。文化祭でも祭りでも桜の下でも、ただ当たり前のように楽しむ人々ばかりだった。

 一つ、気になって、統は雲雀に尋ねる。


「当たり前だけど、全部、別々の時期のこと、だよね?」

「え? ええ、はい、そうです。文化祭は秋開催でしたし、お祭りは春のものでした。あの花見も別の年の別の時期ですね……」


 それから、三度統は空を見やった。またも、太陽の位置がおかしい。気温も微妙に変化している気がした。スマホを取り出し、画面を点灯させて表示された時計を見て、予想通りのおかしさがそこにあることを確認してから二人にも見せる。


「時間。全然進んでない」


 短く事実を告げる。統のスマホに表示された時計は、家を出た時刻からほとんど変化していなかった。十分も経過していない。慌てて昴も雲雀も自分ので確認するが、結果は同じだった。


「気づいてたかもしれないけど、祭り会場だった通りでも、桜の咲く川沿いでも、いまこの学校前でも、太陽の位置が違う。気温だって、場所ごとに変化している気がする。これ、全部の場所で、時刻も季節も、バラバラなんじゃないか?」

「ほんとだ……」


 昴が呆然と時刻を確認したまま呟く。統は頭の中で地図を描く。駅近くの住宅から、川を渡って南東の市街、そして高台の学校へ。その途上を、空想の中で分割する。ここまでは桜の季節、ここまでは祭りの開催時期、ここからは文化祭の秋、と。


「街が……時間的に区切られてしまっている……?」


 想像を言葉にして、統は昴の方を向く。あり得るかあり得ないかで言えば、二億パーセントくらいあり得ないはずの出来事、それが実際あり得ているならば。

 昴は無言で、胸の前に小さく、輝きの格子を出現させた。高次元の連なる、表現不能であるはずの無茶な立体構造の群れがほんの一部だけ現出し、蠢く。


 サーチ。願いに結び付き超常現象を引き起こしている鎖の欠片の主、願いの主を探知するために、格子から一筋細い格子の針が突き出す。針は、すっと動いて一つの方向を指し示した。


「雲雀じゃ、ない……?」


 昴の言葉に、雲雀が驚いたように目を瞬かせた。針の先端は、少しばかり微動しているものの、おおむね一方向を指している。そしてその方向は、雲雀の位置とは異なっていた。念のため昴が移動しても、雲雀の立ち位置を変えてみても、結果は同じ。サーチは、雲雀を指してはいなかった。


「私の記憶がそのまま現れているのに、私が原因じゃない、ということでしょうか?」


 雲雀には鎖は見えないが、昴の家族として鎖と御子のシステムに関しては知っている。だからこそ、自分以外にない記憶を元としたような超常現象の原因に、彼女も自らを疑っていたようだったが――


「違う、みたいだね」


 昴は首を振った。サーチに従うならば、願いの主は雲雀ではないことになる。


「私の記憶の中の光景を、私以外が出現させている、ということでしょうか」


 不可思議玄妙な話だった。元から鎖絡みの超常現象だとすれば不可思議なのは当たり前ともいえるが、状況は輪をかけて奇妙だった。


「追ってみよう。サーチの方向。願いの主が移動しちゃえば追いきれないかもしれないけど……」


 昴が提案する。統と雲雀はいくらか沈思して、結局同意した。時間も無茶苦茶な街では、何をどうすることもままならない。

 雲雀でないのなら、誰がこの現象を引き起こしているのか。光る格子の指し示す先は、北西。昴が最初に、爪先をその方角へと向けた。

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