いつの願いであるのか パッチワークの幸福世界 2
橋を渡り終わると、川向うは少し市街の趣が変わる。古めの建築物が増えてくるのだ。七姉妹高校は統の家から見て南東方向の高台にあるのだが、その周囲は南部の歴史的観光市街に繋がる場所でもある。市街中心の、北側の入り口のような場所とでも言うべきか。通りは細く、しかしよく整備されたものになり、観光地然とした雰囲気を感じさせるような商店なども道沿いには少しずつ現れてくる。
背の低い古い造りの木造家屋が綺麗に保存されていたりもして、この辺りなどは、景色を覚える前に建物が入れ替わるような都会から来た統にとっては特に新鮮な場所の一つだった。
桜色の花弁が舞い散る川を越えてしばらくすると、何か声が聞こえてくる。ざらざらぐらぐらと波のように、あるいは煮えるように重層的に響く人の声だった。更に、細く甲高く少し掠れたような楽の音まで漂ってくる。
「今度は、なんだ?」
道を進むごとに声は大きくなる。何か事件や事故のあった騒ぎという感じでもない。どちらかと言えば明るい響きが多く含まれた声の群れが家々の間から伝わってくる。
通りをいくつか跨ぎ、南の市街中心部に続く大きな道に出ると、声の正体が判明した。
「なんっだ、これ」
思わず統は足を止めて瞠目していた。通りには人があふれており、道の中心には明らかに普段着ではない、群青色の半被のようなものを着込んだ人々が蝟集している。
それだけでも驚く光景だが、何より、そんな人込みの中央にそそり立ったものが目を惹いた。
黒や赤に塗られたフレームに、あちこちが金の金具、それに染め物や織物で飾られた、見上げるほどの高さの箱体。二、三階建ての建物ほどもあるその上部には社のような屋根があり、屋根の下には人の乗るスペースが設けられ、手に手に笛を持った人々が乗り込んでいる。楽の音の出所はそこだった。箱体の足元には車輪が設けられており、ゆっくりと人ごみの中を進行している。
豪華絢爛の四字がこの上なく似合う、山車のようなもの。それが、通りの中にいくつか見えた。
「今日、お祭りだったの? 凄い騒ぎになってるけど」
地元情報に詳しくない統が問うと、昴と雲雀の二人は困惑顔でそろって首を横に振った。
「いいえ……そんなことはない、はず。そもそもお祭りだとして、朝早くからこんな騒ぎになるはずがない」
目の前の通りを夢でも見るかのような顔で眺めながら昴が答えた。
「それ以前に、あり得ません……」
横から雲雀が細く揺らいだ声で言う。
「あり得ない?」
統が鸚鵡返しすると、雲雀はええ、と一つ頷いて、山車行列を見据えたままで説明した。
「このお祭りは、恐らく、毎年春に街を上げて行われていたものです」
「毎年? 今年はそういう話、聞かなかった気がするけど」
統はこのひと月少々を思い出す。四月一杯、そうしたイベントごとが耳に入ってきた覚えはない。行事をいちいちチェックしているわけでもないが、この規模の祭りなら気づくはずだった。
雲雀はどこか懐かしむように、あるいは不意に忘れたはずの何かを見つけたかのような表情で、統の疑問への解答を口にする。
「ええ、そうです。今年はありませんでした。そして、去年もその前も。何故なら、これはもう、存在しないお祭りなんです」
流麗ながら、どこか自然の危うさと祝祭のきらびやかさを両方感じさせる笛の音が、雲雀の声と共に混ざり合って統の耳に流れ込んでくる。
「このお祭りは、私がまだ小さな頃に……小学校の低学年頃から、開催中止が続いたんです。元々人口が減って担い手自体の数も減っていましたし、それに、二千二十年頃から数年は、あの感染症騒ぎで人の密集するお祭りの開催が難しくなって。結局、数年の中止続きから再開も難しくなって、正式に廃止となってしまいました」
廃止という単語が、陽気な人々の声の中でそこだけ異質な響きのように感じられた。統たちの目の前では、今まさに祭りの熱気が渦巻いている。
「一度だけ、間近で見たことがあります。このお祭り。姉さんも、一緒に見に来てたんですけど」
「そうだっけ……小学校の頃のことだし、あんまり覚えてないかも」
「そうですか……私は、はっきり覚えています。とても、印象深い記憶になってて」
山車の煌びやかな装飾が陽光を受けて輝き、様々な色と光を振りまく。雲雀の大きな瞳の表面にもその光が流れ、移り変わっていく。
「何か、引っ掛かります」
雲雀が呟いた。もどかしい様な、何かを予感するような声で。
「まあ、引っ掛かるっていうかどこからどこまでもおかしい状況だけど」
昴がそう言うが、雲雀はいいえ、と軽く首を振った。
「そうではなく……何かもっと違う、個人的なところに引っかかりを覚えます。さっきの桜と言い……お二人は何か、感じませんか?」
「と、言われても」
統は昴と顔を見合わせる。なにやらおかしなことが起こっているという感覚はあったが、それ以上の何か、雲雀の言う引っ掛かりのようなものは、よく分からないというのが正直なところだった。
「特には何も感じないな……おかしいってことだらけだけど、俺はそもそもこの街をまだよく知らないし」
「私も、あまり覚えてないからかな。雰囲気自体はなんとなく懐かしいけど、それだけ」
「そうですか……」
難しい顔で雲雀が俯く。
それからしばらく、祭りの行列を眺めていたが、人ごみは絶えず、騒ぎも続いていた。昼日中のような騒ぎだが、一体どうなっているのかと空を仰いで、統は違和感を覚えた。またも、太陽の位置が、陽光の角度が変わっている気がしたのだ。先までは見なかったはずの雲も多少空に出ていた。
「学校は?」
昴が行列の向こう、学校のある方向に顔を向けていた。
「どうなってるんだろう」
「そっか、そもそも通学途中だっけ……」
統は意識して、同じ方を見つめた。おかしなこと続きのインパクトでそもそもの目的地が頭の中から薄れかけていた。
「事情を聞こうにも、そこらの人皆、この状況に違和感感じてない様子だしな……。とりあえずは、別の場所を確認するって意味でも、移動してみようか?」
提案すると、昴も雲雀もすぐに同意した。手近な人を捕まえて何が起こっているのか問い質したい気もしたが、辺りにいるのは異様なはずの祭りを普通に楽しんでいる人ばかりで、その普通さが少し恐ろしかった。
確認を後回しにして、統たちは行列の隙間を狙って通りを渡る。当初の目的――ただの、通学の目的であったはずの場所を目指して。




