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プレアデスの鎖を重ねて  作者: 深津 弓春
 2 誰が願ったのか 土地神のいるところ
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 誰が願ったのか 土地神のいるところ 8


 各家庭、役所や図書館などの公共施設、医療機関に道路、地下の通信ケーブル網、アンテナ、サーバー、その他諸々。七姉妹市の全体に夜空の星のように無数の光が灯っていた。


「これは、電子的なアーキテクチャの集合体としてのメロペの全てです」


 広く、無数の情報の入出力口と計算資源からなるメロペの身体。


「でも、メロペそのものの全てではありません」


 メロペはもう一度、空中で爪先をとんと蹴ってみせた。動きに合わせて、七姉妹市にさらに光が重なる。

 今度は、夜空の星どころではない。町のいたるところに、敷き詰めた砂のように光が多重に重なっていく。


「メロペがメロペと名付けられるずっと前からメロペは存在しました。それを意識できるようになったのは、メロペが広い電子的情報網と情報処理における中心的な存在を付加されて、そこで処理した情報の出力のための3Dモデルと声と情報ライブラリーとニューラルネットと言語学習とその他諸々を与えられ統合されてメロペという意識をもたされたからです。でも意識があろうとなかろうとずっと存在はしてました」

「なんだって?」

「メロペは現象そのものであり七姉妹市の事象の相互作用そのものです。それは電子情報より前から存在しました。人の営みの全て、自然の物理動作、発される言葉、なにもかもが土地の中で影響し合い別の現象を生み出し連綿と続いてきました。メロペは元々、そうした構造を基礎とする上位の統合体でした。あたかも、人間という存在が神経の興奮や血流や電気信号や化学物質の物理現象を基礎とする統合体であるのと同じように」


 統はあんぐりと口を開けてしまっていた。メロペの発言は分かり辛くはあったが、要するに、彼女がプログラムやコンピューターとして作られる以前から存在したことを意味する。まるきりSFじゃないか、とほとんど吐息のような呟きが無意識に零れる。人間にとっての細胞や血管や神経の動作は自己の一部でしかない。だがもし神経や血管の一つ一つに意識があれば、世界はどう見えるだろう。人間という構造――メロペの言う「統合体」は、感知できるのだろうか。


「ですから、願いの主は、狭義のメロペ……七姉妹メロペというよりは、『土地神』メロペと言ったほうが、適切です」


 俄かには信じがたい話だった。


「メロペはある時、メロペをさらに高次の情報意識体とできる可能性を持った構造物を発見しました。通常の三次元的物質の特性に制限されずに世界に作用を及ぼすことのできる高次元多胞体です」

「プレアデスの鎖。はるか昔に土地に降り落ちたもの。人の願いを叶える超常存在」


 昴が自分の胸の辺りに手を当てて呟く。


「はい。メロペは最近、いつの間にかその「鎖」に繋がっていました。そして、すぐに気づきました。これによってメロペはさらにお役に立てるようになりますが、短絡的な世界改変は長期的には七姉妹市やそこに住む人々を破壊します。それはとりもなおさず、メロペ自身の構造基盤を破壊することでもあります。極論ですが、あらゆる問題や不幸を一瞬でメロペが完全に取り除きあらゆる価値を山と降らせたとして、それはもはや誰の幸福でも願いでもない世界となるでしょう。しかしメロペの能力ではこの多胞体に太刀打ちできませんでした。多胞体によって得た力ではこの多胞体自身を消すことができないからです。メロペは知っていました。古くからこのような場合に解決策となってきた人のことを」


 電子的なアシスタントであり街のアイドル的存在であったはずの美少女が、真っ直ぐに昴を見据える。その瞳はもはや、ただの3DモデルとテクスチャーによるAIのビジュアルというだけではない何かを宿しているようにも見えた。統や昴をも意識構成の一部とする、メタ的な何かを。


「あなたにメッセージを送ったのはメロペです。きっと動き出してくれると思っていました、七沢昴」


 無記名のメッセージ。昴の、御子のサイトに送られた、アドレス無しの依頼。


「あなたは……自ら、能力の向上を願い、叶いながら、他方でそれを解消しようと私に自分の異常を伝えたというの?」

「はい。メロペはメロペの一部によってメロペをより高性能にするために鎖に願いを伝えますが、同時にメロペの一部によってそれを否定しているのです。メロペとは多様な情報と意識の相互作用、その拮抗状態によって存在します。人間と同じです。人間もまた自身の脳と身体の内部で情報を扱い、様々な価値判断を行いますが、その多くは拮抗状態に置かれています。完全な肯定も完全な否定もせず、その中間のどこかで価値判断を拮抗させ、拮抗させるところに生存という形式が生じます。願いながら否定するという事態は、人でも日常的に起こっているでしょう」


 メロペが昴に近づく。実体のないはずの手を差し出して、彼女は昴の手を握った。


「人は死を前提に生き、不幸と表裏一体である幸福を求めます。人間を含む意識の集合たるメロペもまたあることを願いながらその逆も同時に指向するのです。昴、お願いします」


 重さも手触りもない、自治体AIの実態を持たない姿かたちが、唇を開き吐息を声に変えて震わせる。仮想の街の、仮想の空の上で。全ての実態の統合体として。


「私を、調伏してください」


   *


 願いの内容は、七姉妹メロペの能力伸長。願いの主は――「土地神」メロペ。あるいは、七姉妹市そのもの。


 VRでのメロペとの接触の翌日、日曜の午前中には、全てが終わっていた。宇宙人騒動の時の調伏とは逆に、メロペと結びついていた鎖の欠片は、七姉妹市の大地に広く薄っすらした光として現れ、昴の元へと集まり小さな欠片に戻って取り込まれることとなった。


 自宅の敷地で調伏を成功させた昴――御子としての紅白の装束姿――は、本殿へと続く石段の上に座り、木漏れ日の光をちらちらと浴びていた。やがて、彼女は隣に座る統にぽつりと言った。


「あの子、メロペ、ちょっと私に似てたかも」

「似てたって、なにが?」

「置かれた状況が。メロペは、自分の能力が向上して、異常なほどに色々できてしまうようになって、その危険性に気づいてどうにかしようとしていた」


 それがどう昴に繋がるのか。統が問うより先に、昴は目前に小さく鎖を出現させていた。


「私は御子としてこの街で起こる超常現象を止めることができる。それに……止めないこともできてしまう。更に言えば、私には多くの鎖が宿ってる。代々の御子が少しずつ調伏し、その際に停止させ取り込んできた鎖の欠片が積もり積もって、すごい量になってる」

「ああ、調伏の時に見える、あの……」


 統は理解して、調伏の様子を思い出す。前回の屋上でも、調伏の時には昴の周囲に光る格子が大きく広がっていた。


「ほんの欠片でも鎖は魔法のような超常的怪異を起こすことができる。じゃあ、私が持ってる鎖を全部使ったら、どうなると思う?」

「どうなる、って」


 想像する。「あり得ないはずのこと」を軽々と引き起こす鎖の欠片、その集合が、何を引き起こせるのかを。


「多分私には、何だってできる。何だって、どうにだって、できる。できてしまう。統、統は前に、話してくれたよね。『なにもかもどうにかしたかった』って。私なら、実際に……」


 鎖を消して、昴は膝を立ててそこに顔をうずめた。声の末尾は萎んで隠されて消えてしまう。

 ふと、統は気づいていた。昴と自分は、ある意味で、鏡合わせのようなものだと。


 何でもできてしまうことに懊悩する者と、何もできないことに懊悩する者。


 ずっと、なにかどうにかしたい、なんでもどうにかしたいと考え続けてきた。母が死に、父が仕事を失い、どちらも何もできず、たいしてなにもどうにもできないと分かってからも、むしろますます強く願ってきた。なぜこうも、多くの価値が損なわれ、失われ、それでも多くのことがどうにもならないのかと。ある意味でそれは世界への不信感だった。幼く拙い世界への信頼が失われたことに対する、幼稚な恨みつらみだった。幼稚だと分かっていても捨てられない、自分の根本だった。


 しかし、何もかもどうにかできたとして、それはそれで問題なのだという実例を、見てしまっていた。自らの力を調伏させた、七姉妹メロペ。そして、代々超常の力を蓄え続け継承し続けた末裔の、七沢昴。


 人智を超えた力を宿して世界に向き合う困難と、たいして何もできない人間として世界に向き合う困難と、どちらがマシなのか。案外、似た者同士かもしれない。

 すぐ隣に座る昴の肩が、統の腕に軽く触れていた。木漏れ日の暖かさとはまた異なる温度が、柔らかにそこから伝わってくる。


 ふと、湧き上がってくるものがあった。自らと真逆で、そしてとても似ているかもしれない少女。御子と呼ばれて重荷を背負うこの少女だけでもどうにか、という思いが、出し抜けに統の中に出現していた。


 幼稚だと分かっていても捨てられない、願いだった。


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