誰が願ったのか 土地神のいるところ 4
食事が終わり(なんと雲雀はデザートにシャーベットまで用意していた)、他愛のない話などしながら緩やかな時間を過ごしていると、ダイニングに隣接したリビングから短くアラーム音のようなものが響いた。
「依頼だ」
昴がすくっと立ち上がって、音のした方に向かう。どうやらリビングに置いておいたスマートホンから鳴ったらしい。
「依頼って?」
思わず疑問を声に出すと、
「御子への情報提供。滅多にないんだけど……」
とふわっとした答えが返ってくる。と、雲雀がどこからかタブレット端末を取り出してきて、統の目の前に差し出した。画面にはウェブブラウザが開いている。
「サイトがあるんですよ。何か『おかしなこと』があった場合に、御子へそれを教えてくださいねっていう情報提供の送信フォームの設置された。何かそこに連絡があれば本人宛に届くようになっています」
ブラウザに表示されているのは、今や珍しい個人サイトのようなものだった。恐ろしく造りの古いサイトで、絶妙にダサいゴシック体フォントでデカデカと『御子のページ』と表示されている。タイトル下にはアクセスカウンターが設置され、あなたは〇〇人目の訪問者です、の一文が添えられていた。背景は恐らく街のどこかの景色写真だったが画質が荒い。統自身ほとんど目にしたことのない、古の時代のページデザインだと思われた。
「母が昔、まだ祖母が御子だった時代に作ったものだそうです。二十一世紀に入るかどうか位の時期の作成だとか。面白いので私が引き継いで存続させています」
「俺たちが生まれるより更に十年以上前……?」
現代のサイトのフォーマットからあまりに遠い古代遺物に恐れおののく。
サイトのメニューはシンプルなもので、僅かに七姉妹市の歴史の紹介や注意事項があるくらいでほとんど説明書きのようなものもない。御子とは何かも特に書かれておらず、何のためのページかぱっと見で分かる人間は七姉妹市以外にはまずいないであろうと思われるサイトとなっていた。メニューの最下段にはメールフォームのようなものが設置されていた。「異常現象、超常的怪異にお気づきの方、お困りの方は情報をお寄せください」とある。死ぬほど胡散臭く見えてしまうが、これが情報提供の送信フォームだろうか。
「寄せられる多くは、悪戯か、意味不明なものか、どうでもいいようなものばかりなんですけどね」
苦笑して雲雀が言う。まあそりゃそうだろうなと、縄文時代の遺跡でも見るような心地でサイトを眺めていると、スマホを持った昴が戻ってくる。
「今回のはちょっと、違うみたい」
画面を見つめながら彼女はいつもの真顔に少しばかり思案の色をのぞかせていた。
「でも、おかしいな……必須のはずの相手のアドレスも何もない」
どうしたんですか、と雲雀が声をかけるも、昴は少しの間画面を見つめたまま考え込んでいた。それからやおら、顔を上げて雲雀と統を交互に見やった上で、統に問いかけた。
「統、メロペって知ってる? 七姉妹メロペ」
「一応知ってるけど……この街の自治体アシスタントAI、だよね?」
「そのAIについて。おかしなことがあるって話、みたいなんだけど……」
昴は二人に見えるように、スマホをテーブルに置く。画面には一杯にテキストが表示されていた。統は雲雀と顔を見合わせてから、内容を確認する。
長々と書かれている文章は、要約すればこういうことだった。曰く、七姉妹市の自治体バーチャルアシスタントである『七姉妹メロペ』のここ最近の挙動がどう考えてもおかしいのだ、と。本来のメロペとしてはあり得ない性能をもち、奇妙な動作を起こしており、なおかつその理由が一般の理屈では説明できないと。
末尾には膨大な、七姉妹メロペについての詳細情報まで添付されていた。メロペの構造やスペックについての専門資料に、性能についてなにやらひどく難解な専門的文書が並んでいる。更に、最近のメロペの活動データとスペックの間の矛盾や異常点まで列挙されていた。
一読して、雲雀も統も、同じ困惑顔を浮かべることとなった。
七姉妹メロペとは、七姉妹市が擁する自治体のバーチャルアシスタントAIである。自治体バーチャルアシスタントAIとは、その名の通り各自治体が設置した、市民や市内を訪れる人々の支援を目的としたAIであり、日常の情報提供、道案内に観光案内から通訳、緊急時の対応、公共機関や企業への情報提供、生活上の簡単なアドバイス、あるいは単なる話し相手と、非常に広範なサポートが可能となっている。各所の公共カメラやマイク、それに各家庭のネット家電や個人の情報端末、公共の道路情報や天気情報など様々なデータとリンクし自治体規模での情報流通の中で運営される高性能汎用支援AIである。
二千十年代の深層学習技術やビッグデータ利用等々のAIブームの流れを継ぐ存在で、全脳アーキテクチャ研究やより進歩した最新のニューラルネット利用や大規模言語モデルをはじめとした大量の研究によって、十年代のAIを大きく超える性能を持つAIの創出が二十年代初めに可能になって後に作られた存在だった。
人間と同程度の自然言語による音声会話が可能であり、誰でも自由なコミュニケートが可能で、食事処の検索も道路の混雑状況も質問一つで手軽にできる。かつてのスマートスピーカーを百倍進歩させたようなものだが、この辺りの機能は既に二十年代前半――現在から見て五、六年前――には当たり前に利用されるようになっていた。ただ、自治体アシスタントには一つ他に大きな特徴もあった。「キャラクター性の付与」と公的で広範なサービス提供だ。
自治体アシスタントAIの多くは、有名イラストレーターなどが描いたキャラクターを元に、精密な3Dモデルが構成され、さらに人格的な特徴と合成された声音を付与されている。ARグラスやタブレット端末があれば街を一緒に歩くこともできるし、利用者は自身をカメラに映すことでまるで人間相手のように彼ら彼女らAIと交流することもできる。
美しい外見や親しみやすいキャラクターなどで自治体のアピール役も担っており、今や日本全国に多数の自治体バーチャルアシスタントが存在していた。
かつてのボーカロイドやVチューバ―のような存在だが、人が喋らせるわけでも中身に人間が入っているわけでもない、ある意味で真に「バーチャル」の名を関するに相応しい存在。それら系譜・流れを汲み、AI技術と合流して社会サービスを盛り込み花開いたのが自治体AIだった。
七姉妹メロペはそんな自治体AIの中でも特に人気なAIの一体だった。元のデザインが大人気イラストレーターの手によるものであることに加え、七姉妹市の積極的な情報活用の推進による費用分配が性能を底上げしていること、また地方であることで東京や大阪では難しい規模での市民からの情報共有を受けていることなどからサポートAIとして非常に優秀であることがその理由である。人格的にも明るく、地方都市ということでローカルでオリエンタルな魅力もまた人気の理由の一つとなっていた。
とまあそのような基本的な情報をすべて一瞬で思い浮かべたわけではないが。外からやってきた統でも、七姉妹メロペの名前くらいは知っていた。全国レベルで人気の自治体AIとしてなんとなくの見た目と名前くらいは知っていたのだ。
「不審なメッセージだけれど、純粋に悪戯って感じでもないかな」
昴が呟く。確かにメッセージは、悪戯にしては妙に手が込んでいた。
「調べることになる?」
統が訊くと、昴はいくらか迷うように視線を彷徨わせてから、やがてゆっくりと頷いた。
「無視はできない。何かの間違いならいいけど、鎖に関連するなら放置もできない」
それから、彼女はさらにひどく迷いを視線に宿しつつ、統に顔を向けた。
「統……その、あのさ」
声を詰まらせながら、ふらと視線を揺らがせながら。
そんな昴の様子を見て、考えるよりも先になんとなく――本当になんとなしに、統は頷いていた。まだ何も言われてないのに、
「手伝いってことなら、いいよ。暇だし。と言っても特にできることも思いつかないけど」
とまで言ってしまう。
昴は虚を突かれたのか、驚き顔でしばらく黙ってから、「なんで、私が言おうとしたこと、分かったの?」と不思議そうに問い質した。
「あれ、なんでだろう。なんとなく?」
「なにそれ」
「まあほら、何で鎖が見えるのか、俺自身も気になるし、興味が先走ったのかも」
適当に理由付けする。昴はどこかほっとしたように息を吐いて、小さく頭を下げた。
「ありがとう。前回の調伏は、本当に早かったから。いつも『願いの内容』の探りには凄く時間がかかるし、時間がかかれば超常現象も多く起こって、綱渡り的な状況にもなる。野辺山せちの願いを統が察してくれなかったら、もっと苦労してたと思う」
言い過ぎじゃないのか、割とあてずっぽうだったけど、とは思いつつも、助けになったならよかったとも内心で考えて、ふと統は気が付いた。
「あのさ、一つ疑問なんだけど」
「何?」
「鎖の力で、鎖そのものを消せないのかな。御子が多くの鎖を有してるなら最終手段としてそういうこと、できないのかなって」
もちろんそれは、超常現象を防ぐために超常現象に頼るという方法になってはしまうが、この世から鎖などというものを消してしまえば、御子としての苦労もなくなるのではないか、と思ったのだ。けれど昴はあっさり首を横に振った。
「できない。できたらいいけど、不可能。鎖は鎖自身を消せない。それに人の願いに結び付いて機能する前の不活性状態の鎖に干渉することもできない。つまり、全部さっと集めちゃうとか、できないってこと。過去の御子には試した人もいるって聞いたことがあるけど、今に至るまで成功してない」
「そっか……上手くはいかないもんだな」
「そうだね。色々、上手くはいかない」
同意する昴の顔には、何か積み上がってしまった影のようなものが、どこかに見えていた。




