誰が願ったのか 土地神のいるところ 2
屋上での「調伏」から数日経過して、七姉妹市ではすっかりその手の目撃談が囁かれることが無くなっていた。ようやく落ち着いた生活の中で統はそこそこに順調な生活を送り始めることとなり、宮川をはじめとして友人など作りつつも平穏な学生としての暮らしを享受していた。相変わらず昴は欠席気味だったが。
ある日、帰り支度をしていた統の元に、知った顔が訪れた。
「稲上さん、お久しぶりです。この間は、姉がお世話になりました」
丁寧にお辞儀して述べたのは、七沢雲雀だった。昴の妹にして、一年後輩にあたる生徒。彼女は最初に会った時と同じ柔らかで優しい微笑みを浮かべて、いくらか礼を述べた後で一つ提案をしてみせた。
「今度、うちにいらっしゃいませんか?」
「うちって、そちらの自宅に?」
「ええ。きちんとお礼をしておきたいですし、私も、それに姉だってきっと、稲上さんとはゆっくりお話ししてみたいですし。お食事会なんて、どうです?」
食事会って、結婚準備の両家顔合わせじゃないんだから、というような意味不明なことを思い浮かべる間にも、雲雀はにこにこ顔で言葉を続けた。
「私、こう見えても腕には覚えがあるんです、ご馳走しますよ!」
「え、作るの? いやさすがにそこまで迷惑おかけするわけには」
「いえいえ、趣味みたいなものですので」
ちゃきちゃきさくさくずんずんと話を進めていく。
気付けば連絡用にメッセージアプリのIDを交換し、次の土曜の昼を押さえられていた。
そして、当日。
雲雀は自宅までの案内をするとして、統の自宅(駅近くのマンションだ)にほど近いコンビニまで迎えに来ていた。連絡を受けて向かってみれば、駐車場の隅に私服姿の雲雀が待機していた。柔らかなラインのワンピースに淡い色味のカーディガン姿で、姿勢よく立ち、統を見つけると小さく手を振った。
「こんにちは、お迎えに上がりました」
溌剌と挨拶してくる。返答しながら統はなんとなく、昴の姿を彼女に重ねて考えていた。
(似ているというべきかいないというべきか)
雲雀と昴は、突然に表れてずんずん相手を引き込む点では似ていたが、口調や表情はやや対照的と言えた。
「じゃあ、行きましょうか。こちらです。川沿いの道に出てしばらく北上します」
先導して、歩きはじめる。
「急にお呼び立てして、申し訳ありませんでした。私、その、嬉しくて、勢いに乗ってしまって」
「嬉しいって、何が?」
「姉に、稲上さんのような方が現れたことがです。姉は御子として街では有名ですし大切にしていただいていますが、その一方で……というかだからこそと言うべきか、同年代の近しいお友達のようなものは作り辛いようで」
統の隣をゆったり歩きつつ、雲雀は少しだけ眉尻を下げて言ってみせた。
確かに、街ぐるみで大事な存在とされ、高齢世代には信奉すらされている存在ともなれば、その影響を受けた大人たちや同年の子供にとっても、距離を開けられやすいということはあるだろう。そう考えて、統はふと雲雀の言葉の一部に引っかかりを覚えた。
「友達、なのかなぁ……?」
あの調伏以後、昴とはたまに学校で挨拶したり、軽い会話をかわす程度だった。それにしたって昴が欠席の日が多いために毎日というわけでもない。
首を傾げる統に、雲雀はくすくすと笑い、
「すみません、勝手でしたね。でも姉の方は、よく家で稲上さんのことを口にしていますよ。御子としての仕事に関係ないことも色々」
「何て言われてるのか、ちょっと怖い気もするな」
「大丈夫です、悪くは言ってませんよ、多分」
「多分って何だ多分て」
半眼で小さく言うが、聞こえなかったのか雲雀はそのまま前を向いて話を続ける。
「姉は……根が真面目で、人見知りで……ちょっとぶっきらぼうに見えますが、本当はとても優しい人なんです。幼いころから私をずっと案じてくれて、御子としての力と使命も年上だからと引き受けてくれて」
「御子としての……? ああ、そっか、血筋で受け継いできたって言ってたっけ」
昴の言葉を思い出す。御子の血筋に代々受け継がれ、一度に一人きりが宿せる鎖のマスター権限。それこそが御子を御子たらしめる力という話だった。
「はい。私が御子になるということも、理論上は可能だったはずです。でも母から『権限』を継がねばならなくなった時、私はまだ十歳くらいで。気づけば姉が大変な重荷を背負っていました。本当に……大変な、重荷を」
継がねばならなくなった、と聞いて、今度はまた別の会話が想起される。屋上で少しだけ聞いた、昴の身の上。家には父しかいないという話を。
「それで今は、必死に御子をやっています。中学の頃から、ずっと。人に距離を置かれるのが当たり前になって。それが突然、つい最近になって『鎖が見える人間に出会った』なんて言い出して。最初は私も警戒していたのですけれど」
「してたんだ、警戒」
「すみません、前例のないことだったので……。けれど、鎖に関して悪いことを何かするなんてこともなく、それどころか調伏の助けになるなんて」
「あんまりなにか助けになった気はしないけどね……。最後なんて何やったのか自分でもあまり分からない始末で」
「そうですか? でも姉は稲上さんがいなければ調査も進め辛かったし調伏自体も上手くいくまでにひどく時間がかかっただろうって話していましたよ。私も以前は何度か姉を手伝いましたが、ほとんど何の役にも立たなくて。稲上さんのようにはいきませんでしたし」
そこまで言われるとさすがに面映ゆい。宇宙人騒ぎに関しては、自分がやったのは憶測と思いつき塗れの言葉をいくつか添えただけなのだ、と統は考えていた。偶然の結果と言っていい。
「なにか助けになったっていうなら、そりゃ良かったけど。というかさっき、昴のこと、人見知りだって言った? あんまりそういう風にも見えないけれど」
思いついて言ってみると、雲雀は意外そうに「そうですか?」と目を丸くした。少し考えてから、彼女は何か思い当たったのか、顔を上げた。
「姉は人に注目されたり、『巫女様』として言葉をかけたり返したりするのは慣れてますから、表面的にはそう見えるのかもしれませんね。けれど、そうじゃない、ただ人と会話したり親しい人と言葉を交わしたりは、あまり慣れてないと思います」
そんなものかな、と統は頭の中に昴を思い浮かべる。どこか淡々としていることの多い表情や、綺麗な硬さのようなものを感じる声音は、彼女の性格の表れということだろうか。
物思いにふけっていると、いつの間にか川沿いの道に出ていた。山に近いためか、そこそこの川幅はあるが流れは少し早めで、都会ではありえない澄んだ水がきらきらとガラス細工のように陽光を反射していた。河川敷には桜が植えられていたが、今年は開花が早かったせいか既にいくらか散ってしまっている。
「稲上さん」
自然を残しつつも綺麗に整備された川を背後にして、雲雀が立ち止まり、やや改まった様子で小さく頭を下げた。
「もしよろしければ――姉を、これからもよろしくお願いします」
一体全体何をよろしくなのか、どうよろしくすればいいのか、そもそもまだ昴と出会って一月も経っていない統は答えに窮してしまう。
雲雀はそんな統に特に答えを強く求めず、「さあ、行きましょうか」と案内を再開したのだった。




