願いは何であるのか 地球外知的生命探査少女の住む街 15
「もう少し――でも、何かが――」
切れ切れに発せられる昴の声もまた、揺れていた。そこまで順調に広がり、伸び、変化を続けていた鎖が停滞しているのが統にも感じられた。何かにギリギリまで近づきながらも、触れ得ず、指先が虚空を掻いているような感覚があった。
(分かる)
なぜか、感じられる。理解できる。恐らくは昴も今現在感覚しているであろう、鎖のもたらす情報が。実感が。
あと少し、なにかが。
そう思ったのが、自分なのか昴なのか、分からないままに。統は立ち尽くしていた自らの体に力を込めて、足を動かした。
歩み、近づく。光を纏う特別な少女に向かって。
「統――?」
気づいた昴が振り返る。が、統は足を止めずさらに接近した。すぐ傍にまで寄って、自らもまた昴のように腕を伸ばす。同時に、自然と声を発していた。
「最初に俺と昴が出会ったアレは、古典的な宇宙人像に基づくものだった。地球人を誘拐したり、火星から攻めてきたりするやつだ」
指先が光の格子に触れる。全く触覚には何も刺激がないままに、格子は複雑に立体構造を組み替えながらも統の指を透過した。
「街で囁かれた宇宙人や地球外知的生命との遭遇の噂の多くは、どれも……言ってしまえば、侵略的で、敵対的だった」
街で、ネットで。統自身が経験したり、聞いたり、調べたりした「宇宙人の話」はどれもが不気味で、どちらかといえば敵対的なものだった。そこには偏りがある。
「どうして、友好的な宇宙生物との出会いや、人間に無関心な高度な知性体との接触や、その他とにかく――のどかだったり平和的だったり、あるいは特に何もなく終わるような、そういう接触のバリエーションが見られないんだろう」
二十一世紀の現在、世の中にはそういう物語が山ほどある。明らかに、目撃談には傾向の偏りがあった。
それに、と統は付け加える。
野辺山せちは、宇宙に興味を持ったきっかけの一つとして映画を上げたが、そのタイトルは何だったか。部屋の本棚には専門書だけではない、何が収められていたか。
彼女は宇宙人なるものが好きかどうか考えたことが無いと言った。ほとんど出会う確率が無いと話しつつも、なぜか気になるとも語っていた。
「いないと思いつつ、気にかかる。探してしまう。子供の頃からずっと、周りにはマニア扱いされるほどに。なのに本人はむしろ自分は地球人の方が好きかもしれないとまで言ってしまう。彼女は――」
そこからは、勘のようなものだった。状況証拠とすら呼べない要素の詰め合わせと、統の直感――「願いへの敏感さ」が感じ取ったものだけを頼りにして手繰り寄せた、可能性の一つ。
「彼女は、ひょっとしたら、宇宙から来るものを、人間以外の知的生命を……恐れていたんじゃないか」
昴が統の顔を見上げて、驚きを顕わにする。
「好きだっていう部分も多くあるのかもしれない。でも、何かがやってきて、何もかもを変えてしまったりすることを恐れる部分も大きくあったんじゃないか」
いるはずがないと思っていた誰かが背後で突然ドアをノックしたなら。
私たちは、どうなるんでしょうね。
野辺山せちの声が想起され、統の意識の中で響き渡る。
「いないと考えつつも完全に否定することはできず、探してしまう。いるならいるで、さっさと見つかってほしい。そういう心理だとしたら」
まるで、部屋の物陰でなにかガサガサと音がしたような気がした、という状況のように。気のせいだ、何もいないと思いつつも、恐ろしい害虫かなにかを想像してしまう。そんなもの別にいてほしくはないと思いつつも、いるならいるでさっさと姿を見せろと願う。そして実際出てくるのならば、見逃さずに姿を捉えようと考える。
野辺山せち自身、自覚しているかどうか分からない意識の一部。
何と言い表すべきか。不思議なことに、さほど考えずとも、言葉が滑り出てくる。
「願いの内容の一部は――『早期警戒』だ」
伸ばした腕の先、統の指先が、昴の指先に触れ、重なる。
光が、震えて、捻れる。
天に伸びた格子の束が、動作の停滞を突き破るように振動し、さらに伸長した。細く先が尖り、かと思えばそこかしこから枝葉のように格子の光が伸びる。
届いた、という感覚が統の体に走った。同じことを昴も感じていると、直感的に確信できた。
夜空一杯に、なにかがちらつく。弱く、淡い光が、星々の光の間を駆け巡る。
「鎖……?」
見上げて、呆然と統は呟いた。空一杯に現れたのは、鎖と同じ薄青い光の筋だった。細く、弱く、ほとんど見えないくらいの。
その光が、急激に縮み、狭まり、凝集されていく。空の一点、昴の手から伸びた鎖の先の一点に。ほんの一呼吸の間に、空の光は一掴みほどの小さな高次元的格子構造――『プレアデスの鎖』の欠片となっていた。
欠片が昴の鎖に触れる。互いに手を伸ばすように格子が蠢き、絡み合い、一体化する。
ぱしん、と小さな音が響いた。気がした。
昴が纏った光の群れが、一斉に輝いて、散る。
後には、ただ、何の超常的要素もない、当たり前の夜闇が残るのみ。
だが知ってしまったからには――呆れるほどに超常的な、SF的とも言っていい光景を見た後では、何もかもが当たり前ではないように思えてしまう。意外にもそれは、悪い感覚ではなかった。全然、悪くない。
「統……? 何を、したの?」
言われて、統は昴を見やった。視線が絡み、同時に指先がお互いに触れたままであることに気づく。慌てて離すと、一つになっていた体温が夜風に散らされて分かたれる。
「いや、分からない、けど。なんとなく」
「なんとなくて」
「願いの内容が、少し違うというか、込み入ってるかもしれないとは思ってたんだ。だからそれを伝えれば、調伏が上手くいくかと思った、んだけど」
「確かに、上手くいった。調伏は成功したよ。私の鎖が、野辺山せちと繋がっていた鎖を止めて、回収した」
空を指してから、昴は上げていた腕をひっこめた。
「鎖は、願いに縁の深いなにかに宿る。今回のは、宇宙への入り口、空に広がっていた」
それが今はここにある、と、手の平を開いたり閉じたりしつつ、深い戸惑いを彼女は表情に浮かべていた。
「多分、より正確な願いを横から俺が言ったから、それを昴が意識したことで『願いの内容』が正解に近くなって、調伏が上手くいった、とか」
というか元々そういうことをするつもりだったんだけど、と統はややしどろもどろになりつつも弁解(?)する。
「でも、何で」
昴の疑問の声が、すっかり静かに戻った屋上に放たれる。
確かに、何で、だな、と統もまた同じことを考えていた。
ほとんど無意識に、何故か昴に近づき、手を重ねた。あれがなんだったのか、自分でも説明できないことに今更に気づき、戸惑う。混乱する。鎖に触れ、願いの内容を口にした時に感じたあの感覚は、一体何なのか。何故鎖に触れられたのか。御子でもないのに。
「俺、一体、何したんだろう」
「私が訊いてたんだけどそれ」
正面からそう返されて。
とりあえず、統にできたのは呆然と空を見上げることくらいだった――。




