願いは何であるのか 地球外知的生命探査少女の住む街 12
それからもいくらか最近の宇宙人関連の情報に関してあれこれ語り、野辺山家を出た頃には既に日が山の稜線の影に隠れる頃合いとなっていた。
自宅の場所を昴に訊かれて答えると、途中までは帰り道も一緒ということで、野辺山家からしばらく統と昴は二人で並んで歩くこととなった。夜空は満天の星空――というほどでもなく、田舎ながら住宅と市街中心部の明かりのせいでいくらか白けてしまってはいた。
「週明け辺り、調伏を試してみようか」
しばし歩いたところで、昴が呟いた。
「調伏って……つまり、超常現象を止めるための?」
「そう。私の持つ『鎖』の管理者権限で、この宇宙人騒動を起こしている鎖の欠片の制御を上書きして停止させる」
街灯の下を歩きながら、宣言する。黄味がかった光の下、昴の赤茶の髪と白い肌が昼とは異なる幻想的な色味を醸し出していた。
「やっぱり、願いの主は野辺山さん?」
「鎖のサーチからして一番可能性が高いのは彼女。あとは、願いの内容だけど」
夜空をちらと見上げて昴は目を細めた。
「あれだけ入れ込んでるなら、やっぱりストレートに宇宙人に出会いたいってことかな。地球外知的生命体を探し出したい、って欲求とか?」
とてつもなく広い宇宙で、それは本来ひどく難しいのだと、野辺山せちが語っていたことを思い出す。このまま平均寿命くらいまで彼女が生きたとして、存命中にはっきりと見つかる可能性はどれくらいか。幼いころから「宇宙人」が気にかかって仕方なかったという彼女にとっての願いとは何か。
「あてずっぽうで何度もその、『調伏』を試すとかはできないのかな」
思いついて訊いてみる。しかし昴は軽く頭を振った。
「鎖を行使するのはひどく大変で、消耗するから。一日に何度もは無理。何週間もかけてやれば一応可能だけど、その間にも超常現象はどんどん起こってしまうだろうし」
「なるべく早く的中させないとならない、か……」
考えて、ふと統は小さく笑いを漏らした。御子に超常現象に調伏にと、ファンタジックな出来事を当たり前のことのように考えてる自分がおかしくなって。
そんな統を見て、昴は「あのさ」と唇を薄く小さく開いて声をかけてきた。
「ここまで強引に巻き込んで手伝わせておいて、今更なんだけど」
「なんだけど?」
「どうして、協力してくれてるのかなって」
「ほんとに今更だな」
今度は小さくではなく普通に笑ってしまう。
どう答えたものか、迷いながら歩く。街灯の明かりから明かりへ、夜闇と夜気の中を進んでいると、どこか知らない世界を彷徨っているような気分になってくる。だからだろうか、いつもなら人に話すはずもない、意識の底の疼きのようなものが震えて外に漏れ出してくる。
「……小っちゃい頃さ。小学校入ってすぐの頃かな。授業で将来の夢みたいなのを発表することがあって」
一体何の話だとばかりに、昴が目を丸くして統の顔を覗き込む。
「そこで俺、すんごい馬鹿なこと言ってさ。『戦争も貧しさも差別も温暖化も何もかもなくします』みたいなことを言ったんだよ。皆がゲーム作る人になりたいとかお菓子屋さんやりたいとかいう中で、世界のあらゆる深刻な問題を解決して世の中ハッピーにします、的なことをさ」
どう反応すればいいか判断に困っているのか、昴は見開いた目をさらに丸くしていた。
「元々凄く楽天的って言うか、希望的に世界を見ててさ。子供ながらに色んな問題が世の中にはあることを知って、でもどれも何とかなるだろうって思ったんだ。何とかなるし何とかしていけるだろうって。これだけ色んな価値に溢れた世界なんだから、色んな問題もきっとすぐになんとかできるんだろうって」
語っていながら、かつての幼い自分の思い違いに先とは別の種類の笑いがこみ上げる。
「昔から、何もかも、どうにかしたかったんだ。でも当たり前に、そんなことはできるわけなくて。バカで能天気だったからそのことにもしばらく気が付かずにいたんだけど、母さん――母親が事故で亡くなっちゃって、さすがに思い知った」
どうにかできることなんて、そうそうはない。多くの物事はどうにもできずにあって、一つ解決するだけでもひどく大変である。解決できない問題だらけで、そうした問題の中を、多くの価値を抱えつつも多くの問題に阻まれて人は生きている。人一人の命や健康すら容易にはどうにもできない。実際、どうにもできなかった。親の事故は、世間的には語るまでもない凡庸な事故で、大きな悲劇ですらない。ごく個人的な悲劇すら、どうにもならないのだ。
「それでもどうにかしたい、って気持ちだけは消えないままあって、できる限りで周りの人間を助けようとしたり、色々やってみて、でもやっぱ上手くいかなかった。で、そのうち、ちょっと敏感になったんだ」
「敏感? 何に?」
「人の……願いに」
どうにかしたいと思うこと。自分のその思いに目を向け続け、他人の同じ思いに目を向け続け、いつの間にか身についた癖のような何か。
「他人が、何をどれだけ願っているのか。気にしないようにしても、どこかで引っかかる。いちいち気にしても仕方ないし、どうにもできないことの方が多いのに、それでも……勝手に意識が察知してしまうことがある」
かつて抱いていた夢、願いの残滓が、勝手に探す。誰かの願いを、『どうにかしたい』という意識の存在を。どうにかできるしすべきだと、心の一部が勝手に手を伸ばそうとする。
「最初に――七沢さんが『手伝ってほしい』って言ってきた時、何かこう、引っ掛かった。無視できない切実さがあるような気がして。それでなんとなくここまでついてきたというか」
ぽつりぽつりとそこまで説明してみせて。
急に、正気に返る。さほどまだ親しくもない同級生の女子に、一体何を言っているのか。羞恥心が体の底から湧き上がってくる。
「ごめん、わけわかんないこと言って――」
「昴でいい」
慌てて口にしかけた誤魔化しの言葉を遮って、昴が一言告げた。
「呼び方。昴でいいよ。学校では妹もいて、苗字じゃ不便だから」
言われて、統は思わず隣の昴を見返した。息を吸い込もうとしつつ吐こうともしてしまい、小さくむせる。
「いや、でも」
「いい。私もなんとなく統って呼んでるし」
「なんとなくって」
「なんでか、それが自然な気がするから。不思議だけど。名前の方が語感がいいからかな」
適当なことを言う。というか、と統はなぜか焦りのようなものを覚えつつ考える。お互い名前で呼び合うというのは、それは、社会的に、どうなのだろう、と。
一方で、すばる、という響きは一度試しに舌の上で声に出さず呟いてみれば、驚くほどにしっくりくる感じがあった。なるほど、語感が良いのは大事だ。
「はじめ」
昴が呼ぶ。住宅街から抜けて大きめの通りに踏み出しながら、夜の七姉妹市のあちらこちらから響く虫や鳥の声を背景に、美しく、心にかかるもののある声で。三文字の名を、ひとつひとつの音を大切にするような声色で。
「ありがとう、手伝ってくれて」
するりと、心の外側を透過して染み入ってくるような何かを感じながら統が言葉を返せないでいると、交差点に差し掛かって昴は足を止めた。
「じゃあ、私あっちだから」
と統の自宅とは別方向を指す。
「あ、ああ、じゃあ。気を付けて」
「そっちも。慣れない町でしょ、まだ」
くるりと背を向けて、昴はまた歩き出す。
去り際、囁くようにして彼女は先ほど統が口にした言葉を声にした。
「何もかも、どうにかしたい、か」
独り言だろうその囁きを聞き取って、統はしばしその場で立ち止まったままでいた。




