願いは何であるのか 地球外知的生命探査少女の住む街 10
七姉妹高校の教室棟屋上は、生徒が立ち入ることを前提にいくらか整備された場所だった。背の高いフェンスが二重設置され自由に歩ける範囲は狭いが、小ぶりなベンチが設置され昼休みには自由に出入りできる。とはいえ山間部で春先はまだ冷えるためか、統と昴以外に人影はなかったが。
以前まで通っていた都会の高校では屋上など当然に立ち入り禁止であったために、統にとってみれば屋上への出入りはかなり新鮮なことだった。
おー、などと感嘆の声を上げたが、昴の方は当たり前だが驚くこともなくさっさとベンチに腰掛け弁当包みを開けている。風呂敷包みから明るいグリーンの樹脂製弁当箱が現れ、蓋が開かれる。中は色味も品数も綺麗に整った、平凡ではあるが大変によくできた「お弁当」だった。
「統は、パン? お弁当は?」
統の視線に気づいてか、昴もまた統に目をやり、訊く。
「うち、父親一人の家庭で。忙しいから作るなら自分で、なんだけど、めんどくさくって」
手に持った市販の総菜パンをひらひらさせて答える。と、ほんの少しだけ、昴の頬がきゅっと力を入れたように強張って見えた。
「偶然だね。うちもなんだ」
彼女は箸を取り出しながら、強張りをほぐすように軽く頬を擦った。
「うちも、父しかいなくて。これは、雲雀が作ってくれたの」
雲雀が、というところだけいくらか声に柔らかさを含ませて言う。
その言葉にいくらか思うところはあったものの、迂闊な尋ね方もできずに黙っていると、昴は「とりあえず、座って」と統を促した。昴の隣に少しスペースを開けて着座すると、彼女はいつもの唐突さで本題に入った。
「今度、野辺山せちの自宅にお邪魔することになったから」
淡々と宣言される。
「そっか、行ってらっしゃい」
「統も来るんだけど」
「なんで!?」
「昨日のアレ、統も見たでしょ」
疑問の叫びを無視して、昴は遠くの景色を目に映していた。町を囲む山々の緑が彼女の瞳のブラウンに重なる。
山の緑、その内部で昨日何があったか。昴の自然につられて山の方の見てしまい、統は怖気に小さく身を震わせた。グレイ型宇宙人にタコ型火星人。単語だけ見ればギャグでしかないが、実際に目にして、追いかけられてみれば滑稽さより悪夢感が勝つ。
「明らかに、現実にありえるはずのない出来事だった。でしょ?」
「そりゃあ、あれは、ね……」
同意を求められても、頷くしかない。
「急激に増えた『宇宙人』の目撃談。私たちが見たもの。それについでに言えばあの天文台に落っこちた何か。ここまでくると、もう、偶然や勘違いで済ますのは難しくなる。つまり、これが関わってる可能性が極めて高い」
と昴は箸を持っていないほうの手を胸の前に持っていき、そこに小さく輝くあの不可解な超次元格子を出現させた。
「プレアデスの鎖。この超常物体の欠片が誰かの願いに応じて、一連の異常を引き起こしている。で、ここからが大事なのだけれど。宇宙人の目撃談はあの天文台の付近の山で多く、実際私たちがあのヤバいのに遭遇したのも同じ地点だった。私の『鎖』によるサーチはあの時、山の斜面の上、天文台を指していた。そこには、あの子――野辺山せちがいた」
事実をそこまで次々と列挙して、一旦昴は言葉を切った。
相手の言葉が途切れ、静かな屋上で統は思考を巡らせる。『鎖』は人の強い願いを勝手に読み取り、叶えてしまう。叶えるために、現実を捻じ曲げ超常的怪異を引き起こす。
「野辺山せちが、願いの主?」
結びついた答えを声にする。
「可能性が高いのはね。勿論天文台の職員なんかも可能性はある。でも、これ」
昴が、出現させたままになっていた『鎖』に視線を落とした。統もつられて注視する。
鎖からはいつの間にか細い格子の束が光の筋となって、伸びていた。山でも見せられた、鎖によるサーチだった。光の筋は、今は統たちの足元を指しているようだった。
「学校を、指してる?」
であれば、ますます野辺山せちである可能性が高いということだろうか。
「とりあえず、探りを入れようと思って。土日のうちに連絡を入れてみた。話を聞きたいってね。幸い彼女は天文関連で有名らしいから――」
「ああ、それはこっちも聞いたよ、宮川に」
「そっか。とにかくそういうことだから、宇宙人がどうって話にも詳しいだろうってことで。そしたら色んな観測のデータもあるって話で、自宅に招かれることになって」
「ついこないだ知り合ったばかりなのに?」
「そこはほら、私、街の『御子様』だしね」
元々あちらは御子を知ってたし、それなりに信頼もあるってわけ、と昴はどこか疲れたように付け足した。
昴と手元の『鎖』から視線を外して、統は空を仰ぎ見た。グレーの曇り空を視界一杯に映して、考える。
超常現象を起こしている『鎖』を御子が制御するには、原因となっている願いの主と、願いの内容を特定しなければならない、と昴は言っていた。願いの主は今、ある程度絞られている。野辺山せちに。ならば――
「普通に、正面から訊けばいいんじゃないの? 何を願っているか、って」
探りを入れるも何もない。問いかけてみればいいのではないか。ところが、昴は首を横に振った。
「それはもう本当に、最後の手段になる。危険だから」
「危険って、なんで」
回りくどく時間をかけて、その間にこないだのような訳の分からない現象が起こる方が危険ではないか、とは思うのだが、昴は違うようだった。手元の鎖を消して、彼女は説明する。
「考えても見て。街の人は誰も『鎖』を知らない。これを見ることができるのはマスター権限を持つ御子だけだから。超常現象の原因もメカニズムも誰も知らない。ふわっとした民話や新興めいたものがあるだけ。普通に知られているのは御子がそれを解決しているらしいってことのみ。この前提が崩れたら、どうなると思う?」
皆が知ったならば。つまりプレアデスの鎖という超常物体が存在し、それが『人の願いを叶えるもの』だと知ったならば。
想像して、統はすぐにイメージが湧いた。昔、自らも色々な――実に多くの願いを持っていたことを思い出し、苦い顔になる。
「皆が、好き勝手に願い、『鎖』を利用したら、無茶苦茶なことになる、か」
「その通り。元々人は皆、色んな願いを抱えて生きている。けれどはっきりと言語化できるほど願いに自覚的ではないことも多いし、なにより強い願いは危険な願いでもある。悪用されたらどうなるか。死者を蘇らせ巨万の富を積み上げ永遠の若さを手に入れる……好き勝手にそういう願いを叶えられれば、世界はすぐに悲惨な混沌の中に落ちる」
「だから直接は願いを訊きたくない?」
「御子が何をもってどう超常現象を解消しているか知られる手掛かりを与えたくないの。『鎖』は強い願いを勝手に読み取り叶えるけれど、誰もそのことを知らないからこそ今までは何とかなってきた。魔法のような出来事を強く願い続けられる人はあまりいないしね。でも、願いがキーになっていると知られて、『叶うことを前提に』、強い願いを抱き続ける人が現れたなら、この七姉妹市に起こる超常的怪異の数や頻度や規模は、これまでの比じゃなくなる。だから、代々の御子は鎖のことをずっと隠してきた。鎖の存在を知ってるのは、私自身を除けば妹の雲雀と父さんくらいしかいない」
だからこそ、パラドキシカルなことになる。御子は街を守るため、超常現象を消す――『調伏』するために、なるべく早く願いの主と内容を知らねばならないが、願いを知ろうとしていることを悟られて『鎖』のシステムが知られてしまえば、まさにそのことで街は危険な超常現象に襲われることになる。
そこまで考えて、統はなるほどなと腑に落ちつつも、いや待てよと気が付く。
「それ、話していいの? 俺に」
駄目じゃない? 普通に。代々の御子の努力、台無しじゃん。疑問が統の顔に出る。
昴はそんな統を見て、ひどく複雑な顔をしてみせた。いつもの無表情を僅かに歪めただけだが、疲労と迷いと恐怖が現れつつも、同時に何かへの小さな期待と縋るような色を含んだ表情だと読み取ることができる。そんな顔だった。
「統は、見えたでしょう」
言われて、一瞬遅れて統は鎖のことだと気づいた。
「鎖は、私以外誰にも見えないはずのものなの。雲雀にも見えないし、私にその権限と鎖そのものを譲渡した後の先代――母さんだって、それまで見えてたのが見えなくなった」
ほかの誰にも見えない。先代の御子ですら、譲渡した後では見れないもの。
「なのに、統には見えた」
初めて出会ったあの時、それが見えていた。はっきりと。
「そんなものが、何で見えるんだ?」
眉を寄せて統は言ったが、昴は「知らない」とあっさり切り捨てた。
「色々考えたけど、なんで見えるのか分からない。統が何者なのかも。だからいっそ近くで見て観察したほうがいいって思った。雲雀に頼んでとりあえずの口止めはして、あとはどうするか悩んだけど、ちょうど今起きてる事件の調査に同行してもらうことにして」
「あ、じゃああの時写真撮ったのは」
「身元を確かめるため。本当に学生か、七姉妹校の生徒なのか。結局統の素性は統の言った通りだったし、びっくりするくらい何も知らない人間でもあったけど」
「手伝ってって誘ったのはそれでか。あれ、でもやっぱり、願いがキーになってるって話は言わないほうが良かったんじゃないの?」
「近くにいる以上誤魔化し続けるのは大変だろうし、統一人ならもしどこかの鎖の欠片と結びついて願いを叶えようとしても私ですぐどうにかできる可能性が高い。それに……もしかしたら、統は……」
そこまで言って急に、昴は言葉を詰まらせ、濁らせ、籠らせた。私が、とかぶつぶつと切れ切れに呟いた後で、
「とにかく、そういうことだから、一緒に来て。野辺山家にも。統が鎖を見ることのできる理由だって、こういう調査の中で分かるかもしれない」
と一息に言ってのけた。
強引な話だな、とは思いつつも、統は既にそれを無下には断れないと思いつつあった。あの宇宙人集団や、鎖という超常的なものに既に関わってしまっている。何も知らないことにしてさっさと逃げるというのも、気持ちが悪いし恐ろしくもある。
「分かったよ」
しぶしぶ了承して、統はずっと手に提げていたパンを開封した。香しいはずの総菜パンの匂いが、どこか白々しくあたりに漂った。




