願いは何であるのか 地球外知的生命探査少女の住む街 8
疲労ともつれる足と大きな混乱や恐怖を抱えながらも明るさに向かって飛び込む行為には、一種恍惚とも言えそうな不可思議な感覚があった。スポーツマンの恍惚、ゴールテープを切る時の快感とはこういうものだろうかと酸欠で霧のかかった脳が適当な思い付きを想起させる。
「ぐえ」
という自分の声と、顔に何かが当たった衝撃で、統の想像は中断された。
意識が白く塗りつぶされ、次いで黒く暗転する。
いくらか、空白の時間が続いただろうか。
気が付けば、眼前に金網フェンスが見えていた。斜めに金属線がクロスしている、よく見るタイプの柵だ。どうやらそのフェンスに正面からぶつかってしまったらしかった。
隣を見ると、昴がへたり込んでいた。赤い髪がやや乱れて、胸元や背中に広がっていた。
「あの」
と、頭上から声がかかった。高く澄んではいるがどこか丸みのある滑らかな声だった。
「どうしたんですか、ていうか、大丈夫ですか?」
顔を上げると、フェンス越しの少し離れた位置に、一人の少女が立っていた。すぐ隣にいる昴と同じ格好、七姉妹高校の女子制服を着こんだ、小柄な少女だった。細いメタルフレームの眼鏡をかけて、髪は後ろで三つ編みにまとめている。
「ああ、大丈夫、いや大丈夫なのかな、大丈夫って何だろう」
混乱の名残が残る頭でなにやら怪しい受け答えをしつつ統は立ち上がった。無茶な運動をして、一度足を止めてしまえば、ずっしりとした疲労と肺や心臓のせわしない動きに襲われる。
息を整えながら改めて見てみると、そこは何かの施設の敷地のようだった。山の斜面が途切れ、広くフェンスで囲われた平面の土地が造成されている。芝とコンクリ舗装の先には、幾つか建物が見えた。特段変わったところのない建物だったが、一つだけ、屋上部分に半球状のドームのようなものを据え付けたような建物が目立っていた。
そしてそれよりなにより、三つ編み少女のすぐ傍にさらに目立つものがあった。ちょっとした小屋ほどの大きさもある、金属塊が転がっているのだ。折れひしゃげ、ところどころが黒く焦げたようになっている、鈍い銀色の塊。ひどく壊れてはいたが、元の形状が分かる程度には原形をとどめていた。中央部分が上下に盛り上がった、ちょっとした大型車ほどの大きさの、円盤のような何かだ。金属塊の周りは土が抉れて放射状にその飛沫が広がっていた。
(UFO?)
無意識的にそんな英字三文字が思い浮かぶ。
「統? 一体、どうなったの……?」
よろよろと、昴もまたゆっくりと立ち上がっていた。いくらか足がガクついてはいたが。
「あれ、そっちの方、御子さ――七沢、昴先輩ですか?」
声を上げた昴に気づき、三つ編み少女がフェンスに近づいた。
「知り合い?」
と視線で三つ編み少女を指しながら訊いてみるが、昴は首を横に振った。
「ああ、ごめんなさい、私の方が勝手に知ってるだけです」
パタパタを手を振って少女が否定する。
「七沢先輩、その、有名人なので」
言われて昴は、「ま、そうかもね」と疲労の吐息と共に誰ともなく呟いていた。
「ごめんなさい、一方的に。私は野辺山です。野辺山、せち。一年です」
と、名乗ってから統の方に視線を向けたので、流れで自己紹介を返す。
「二年の稲上統です……は、いいとして。ここは、一体?」
フェンスにぶつけた顔をさすりつつ言うと、三つ編み少女はちょっと困った顔になって、
「天文台ですよ。七姉妹天文台です」
「あ、そか、ちょうどここに出るんだ」
三つ編み少女の言葉を聞いて、昴が軽く目を見開いて、気づきを口にした。
「統は知らないか。割と最近できたとこだよ。確か最新式の光学望遠鏡がどうとかって」
「はい、その通りです。うちの親が色々関係してるんですよ実際に」
「へぇ……」
少しばかり感心したように昴が彼女の背後の、頂上がドーム状になった建物を見やる。
「その残骸――前衛芸術オブジェ? は?」
指さして訊くと、野辺山せちは「ああ、これですか」と振り返る。
「夜間、ここに落ちてきたそうです。出所も正体も分からなくて。一度警察をはじめとした方々にも来て調べていただいて、危険物ではないようなのですがそれ以上のことは何も分からないんです」
こつん、と軽く残骸を小突く。
「落ちてきたって。割ととんでもない話だな」
「ええ、そうなんですけど、芝が少し剥がれたくらいで被害は少ないですし、発見以後なにも起こっていないのでそんなに話題にならなかったですね。不気味ではあるんですけど。近く撤去されるそうなので、私は興味湧いてちょっと見に来まして。母が、冗談交じりにあれはUFOだとかアダムスキー型の円盤が落ちてきたんだ、とか言ってて」
やっぱりそういうものを連想するのか、と思っていると、野辺山せちは「それで、その」とちょっとばかり言いあぐねてから最初と同じ言葉を口にした。
「どうしたんですか、一体。ここ、敷地の裏側なんですけど、なんでこんなところに?」
言われて。
しばし考え、一度落ち着き、統は何となく昴の方を見た。昴もまた、統の方を向き、視線が交錯する。なんで私たち、こんなぜーはーやってんだっけ、と互いの顔を見て、自問しつつ他問する。
一瞬の空白の後、二人は同時に息を呑みつつ背後を振り返った。
(やばい、何を呑気にしゃべくりしてたんだよ――!)
と、再び火のついた恐怖心を胸に、たった今駆け抜けてきた斜面を見下ろす。
だが、
「いない……」
呆然と、昴が零す。じっと暗い下り坂の奥を広く見渡しながら。
グレイ型宇宙人も、タコ型火星人も、そこには存在していなかった。どころか、何かが草を掻き分け土を踏む音すら途絶えていた。初めから静かな森だけがあったかのように、さわさわと優しい葉擦れの音がたまに聞こえるくらいだった。
じぃっと、たっぷり数分は警戒しつつ下方を眺めまわした後、
「一体、何だったんだ?」
どちらともなく、二人は呟いていた。
背後ではフェンス越しに、野辺山せちが困惑顔をさらに困惑させていたが、それすら放置して、ただ茫然と。




