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プレアデスの鎖を重ねて  作者: 深津 弓春
 プロローグ どのようにして我々は出会ったのか
1/43

 どのようにして我々は出会ったのか 1


 早朝の空気を一息吸い込んでみると、知らない味と香りが喉の奥に広がる。


 空気が違うとか、そういうのってほんとにあるんだな、と心の中で一つ呟き、少年――稲上 統(いながみ はじめ)――は、辺りの景色に視線を向けた。どこか重々しくも豊かな緑をたたえた山々と、その際に広がる農地、一軒家の多い住宅の群れ、そしてほんの一、二キロ先に見える、歴史ある町並みを残した観光市街。

地方。あるいは、やや田舎。山中深くの寒村というわけでもないので、これでもARグラスなどを通して見てみれば商店の宣伝や観光案内や自治体のアシスタントAIの3Dモデルなど様々な情報表示でそれなりに賑わってはいるのだろう。だが今現在裸眼の統にはそれら拡張表示は存在しないも同じだった。ただ静かな景色があるのみである。


一通り眺めてふと足元に視線を落とすと、雨上がりの路面に薄く溜まった雨滴が彼自身の姿を映している。

 取り立ててどうということもない、中背の少年だった。目尻が柔らかなラインを描いているせいかやや双眸には優し気な印象があるが、若干痩せているために硬い印象もあり、相殺して平凡、といった顔貌が水面で揺らめいている。当然ながら統自身にとってはこれ以上なく見慣れた顔で、今はその見慣れた顔がどこか新鮮な色に覆われていた。


「まあ、そりゃそうか。新鮮そのものだし」


 誰にともなく、今度は声に出して呟く。

 新鮮さ、というのは、この場所の全てが、という意味だった。

 父の仕事の都合で高校二年に上がると同時に引っ越しと転校が決まり、まだ寒いうちから準備に移動にと大忙しで、それがようやく終わったのがつい先日のこと。『七姉妹市』などという変わった名前の、列島中央部付近の山間の街に辿り着いて、さて数日後には新しい高校に登校せねばというタイミングである。

 朝も早くからなんとなくまだ知らない街を見てみようと散歩に出たのだが、以前まで住んでいた都会との差に統は僅かな当惑と、幾らかの驚きと、小さな喜びと期待と――まあようするに新天地で人が抱く感情の最大公約数的なところを、彼は味わっていた。

 と、


「ぶぎぁ」


 豚とヤギをまぜこぜにしたらそんな声を出すのではないかというような、素っ頓狂な音が辺りに響いた。

 見ると、いつの間にやら統の足元にすらりとした体躯の黒猫が一匹、すり寄ってきていた。はっとするほどに顔も体も綺麗な、いわゆる美猫である。全身が艶やかな黒い毛に覆われていたが、尾の先と左前脚の毛だけが真っ白い。首には綺麗な樹脂製の首輪があった。


「ぶんぎゃ」


 その美しい猫が、またも奇妙なだみ声で一つ鳴いた。

 変わった柄だな、などと思いながら統が手を伸ばすと、猫はギリギリのところでさっと指先を逃れて、彼の前方にとてとてと歩み出た。


「ぎゃぶ」


 三度鳴いて、個性的な声の黒猫はさらに数歩前進してから統を振り返った。そしてまた一声、んぐるあ、と声を上げる。


「なんだこれ」


 思わず言うが、猫は勿論それに日本語で答えたりせずに、少し進んでは振り返るのを繰り返す。まるでついて来いと言わんばかりに。

 そういえば、野良猫が猫の集会みたいなのに人間を案内してくれたとか、そういう動画を見たことがあったっけか――考えて、統は少しばかり笑い、猫の後について歩きだす。


 黒猫は、住宅街の通りから横道に入り込み、すぐそばの山林へと向かっているようだった。農道のような細い道に出て、林の中を通ると、その向こうに小さく開けた場所があった。

 よく見ればそれは農地だった。土造りが終わる季節だからか、まだ水の張っていない田んぼである。四、五十メートル四方ほどの広さだろうか。山際の奥まった一角が、小さな田になっているらしかった。


「こんなとこに連れてきて、何が――」


 目の前の猫に尋ねようとして、統は口を開いたままでしばし固まってしまった。

 農地の中央付近、彼からそう離れていない場所に、目を惹くものが二つあった。

 一つは、白と赤のコントラストだ。薄暗い早朝でも目に映える、そこだけ景色を漂白したような白い上衣と、下半分に垂れ下がる赤さ――白衣と緋袴だった。


 なんとも唐突な、巫女装束。身に纏っているのは、細身の少女だった。手足も胴も華奢で、身長は百五十台半ばから百六十に届かない辺りか。顔は先の猫に負けず劣らず整った造作で、髪は長く、腰まで届きそうな横髪と後ろ髪、それに眉辺りまで伸ばした前髪はそれぞれ揃えて切られている。カットの形だけを見ればその髪型は纏った装束によくマッチしていたが、一方で色味の方は黒ではなく、派手な赤茶だった。陽に透かした透き通った紅茶のような、茶の混じった鮮やかな赤。あるいは赤みがかった琥珀色とでも表現できそうな髪が、冷たい夜の名残を含んだ朝の空気にささやかに揺れていた。


 そして、もう一つ。

 田と田の間のあぜ道に立った少女の目の前に、さらに異様なものが浮かんでいた。


 薄青く光り輝く、複雑な形状の、宝石で作った立体格子のような物体だった。光を放つ宝石状の結晶を、細いポール形状にして組み合わせた多面体を無数に組み合わせたような何かだ。だが、よく見ればそれだけではない、というか、それどころの物体ではなかった。

 多面体の一つ、立方体状になった物を見てみると、内部にさらに複雑な立方体格子を内包しているのが分かる。かと思えば、内部が外部に、外部が内部に、どちらにも見える。それどころか各部のポールは物理的・空間的にあり得ない形で接合していた。立方体だけでなく、光り輝くいくつもの細かな多面体がそうした無茶苦茶な構造をしており、さらに全てが一繋がりになっていた。有名な騙し絵を百万倍複雑にして、しかも騙しでなく実在させたような。


(頭が変になりそうだ)


 率直に、統はそう感じていた。三次元空間に描けるはずもない構造体。それがなぜか存在し、見えている。

 やがて、光を放つおかしな物体は、そろりと蠢き、まるで吸い寄せられるようにして目の前の少女に引き寄せられ、その胸の辺りに触れるとさっと消えていった。光も消える。

 無意識に止めてしまっていた息を、統は吐いた。その音に気付いてか、少女が振り返る。

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