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「言葉や態度を改めるのは一朝一夕には直らない問題だが、それでも気を付けよう。だから、あまり邪険にしないで貰えると助かる」
扉から一歩離れ、半分開けてからルシニアを見る。
ようやく話がついたと思うべきだが、気を付けるということはこれからも関係を持とうとするということ。こちらに後味の悪さばかりを残されては堪らない。
ルシニアはじとりとした目付きで腕を組む。公爵令嬢というよりも、悪役令嬢に相応しい態度でもってブラムバシアンに視線を向ける。
ルシニアの“中身”、元来の性格的にはこちらの方が素に近いところがある。ある意味取り繕うこともなくそういった態度を見せるのは、今世では彼が初めてであった。
婚約破棄をされた以上、ルシニアの目標は半分達成された。あとはルシニアの態度がどのようなものであれ、結果に違いは出ないのだ。
単に面倒だと思うことすら面倒になり、目の前の人物に対する己の基準が下がったが故だ。つまるところ、思考を放棄したに等しかった。
「殊勝な心掛けに感服いたします。あなたはとても、面倒な方なのですね」
「ここまで他者に興味を惹かれるのは初めてだが、お前が言うのならそうなんだろうな。気を付けることにしよう」
「いいえ、そこはまぁ、構いませんわ。個性を失くせなどとは言えませんから」
ルシニアが出て行かないことが分かったのか、ブラムバシアンは笑みを浮かべる。
他の女性が見れば息つくようなそれだが、ルシニアには効かない。微笑み程度で騙される時期はとうに終えているのだ。
「お前の隣にいっても良いか?」
「先ほどは許しなど、求めなかったではないですか」
それもそうだなと、嬉しそうにするのが不可解で、ルシニアは座る位置を少しズラした。だがブラムバシアンはその距離を詰めるように座り、結局先ほどまでと大して距離感は変わらない。
言いたいことはあるが、言ったところで彼には届かない。聞いていないわけではないが、それでも意味が無いだろうことは表情で察せられる。
ルシニアの横顔を見詰める目に、居心地の悪さを覚えるのが癪で、ルシニアはそちらを向いてやらない。子供じみているとは自覚があるが、それでもむず痒さに耐えられそうもなかった。
「お前の名を聞いても良いか?」
「もうご存知なのではないですか? 一応王太子の婚約者だったのですから、余程のことがない限り耳には入っていると思いますが」
「お前の口から聞きたい。俺も名乗ったのだから、礼儀正しいお前が名乗らないはずがないだろう」
ブラムバシアンの指先がルシニアの髪に触れた。
許可をした覚えはないし、そもそも普通異性の髪に触れるのは家族や恋人が行うものだ。
友人に対する距離感や節度を教えなければならないのか。そう考えるとあまりにも先行きが不安になり、かといってそれを指摘すればブラムバシアンは許可を求めるだろう。
それもまた面倒で、ルシニアは無視をすることにした。
「メルカトラ公爵家が次女、ルシニア・フォルト・シルヴァトス。気軽にメルカトラ公爵令嬢とお呼びください」
「ああ、気軽にルシニアと呼ばせて貰おう。お前も俺のことは気軽にブランと呼んでくれ」
笑顔に返される笑顔。
片や口元が引き攣り、片や満足気に目を細めているのだから、その笑顔の意味はまるで反対だ。
ルシニアは言外に親しくなる気はないと言ったつもりだが、そんな意図をまるっきり無視して返ってくるのは親しくなろうという直球。難しい会話よりも単純な会話の方が難解であるのだから、ルシニアの頭は既にブラムバシアンに対して理解不能という印を押しまくっている。
「エニウム様、わたくしたちはそのような仲ではないのですよ」
「ブランで良いと言っただろう。今は親しくなくとも、これから親しくなれば問題はない」
「問題の有無によって言っているのではありません」
「ルシニアと呼ぶことが、まさか罪にはならないだろう?」
人差し指の先でくるくると、ルシニアの髪を遊びながら、そう得意気に言うブラムバシアン。
疲れるのはルシニアだけで、ブラムバシアンはどこまでも楽しそうだ。
もしもここに第三者がいれば、2人の面持ちの違いに大いに戸惑ったはずだし、そんな都合のいい人物がいたらルシニアは彼の相手を押し付けていた。
押し付けたい相手がいないのが最大の不幸であり、ルシニアは結局のところブラムバシアンを対処しなければならない。
「......もうお好きにしてください」
溜息を吐かない変わりに、ルシニアの沈んだ声が絞り出た。
考えることはもうやめよう。自室ならもうベッドに潜って寝込んでいる。それくらいには疲れているし、父親の相手をするよりも変に気が磨り減った。
ルシニアの心境など彼には見えていないようで、あろうことか髪の毛を編み出したのだからなんと器用なことか。
驚くことすら億劫となっていたルシニアは編まれていく髪に視線を落としながら、ブラムバシアンに尋ねることにした。
「昨日の出会いが、あなたの仕組みということはありませんよね?」
「まさか。そこまでして俺は他者と関わりたいなどと思わないさ。俺は魔塔の者だからな。あれは本当に偶然だ。偶然だが、お前に怪我を負わせたことを踏まえると、素直に喜ぶことも難しいがな」
彼はルシニアに傷をつけたことを未だに気にしているらしい。ルシニアとしては既に治療を施してくれたのだから、あの時終わった話としか思っていない。
そこまで悔やまれるほどの怪我でもないというのに、随分と義理堅いことを言うものだと目を細める。
「安心しました。あなたの意図が読めない以上、あれまでも仕組まれていたものだとしたら、あなたにはこの先ずっと騙されることとなるでしょうから」
「大層な意図はないと言っただろう。俺に騙されるほど愚鈍ではないよ、お前は」
「あなた、本当にわたくしと昨日初めて会ったのですか?」
あぁ、とルシニアの髪を編み終えたブラムバシアンは顔を上げる。つられてルシニアも顔を上げれば、彼は結んでいないそこを持っているようにルシニアに渡す。
そしてブラムバシアンはルシニアに後ろを向くように言い、そうでなければ会話が途切れてしまう気がして大人しく従う。
「初めてだ。他者との関係性構築について学ぶために学園に入れられたが、俺にとっては研究対象にもならないものに割く時間は無駄だった。書類上、学園に所属していることになっているのだからここにいるものの、研究室から出ることは滅多にない。硝子を割ったことは多々あるが、初めて、偶然が必然であることを願ったよ」
反対の髪を編みながら、ブラムバシアンは朗々として語る。
本音であることが指先から伝わり、ルシニアは眉間に皺を寄せた。背を向けているから見えないのをいいことに、これでもかとばかりに皺を作るのだから、ルシニアはハッとして指で眉間を解す。
「必然であったならあなたの仕組んだことになりますから、願わないでください」
「いや、そういうことじゃないさ。それに必然と工作は厳密には違うだろう。ただ、これが運命であれば良かったという話だ」
その言葉にルシニアは肩が震える。
歯が浮くようなその言葉はあまりにもロマンチックであり、そして、あまりにも残酷な言葉だ。
ルシニアは声音が下がらないように意識しながら、引き攣る喉で言葉を紡ぐ。
「......ロマンチストなのですね」
「ロマンを語るよりも、魔法を探究していたはずだが、俺も俺のことが意外でならないよ」
ブラムバシアンがルシニアの変化に気付かなかったのは幸いだ。気付かれ、顔を見せろと言われていたらルシニアは隠せなかった。
取り繕えなかった顔は普段のルシニアとは程遠い。瞳から光を失い、いつもは微笑みを浮かべる口元も口角が下がっている。感情を失っている、そう表現する他ないというほどに、ルシニアには一切の感情も残っていなかった。
「とはいえ、俺たちが運命であることには違いない。一般的に知られている定義とは違うものだが、魔塔の定めるところの運命には当てはまる」
ルシニアは振り向いていた。
急に現実へと引き戻されたルシニアの表情は既に戻っており、唐突に動いたせいで髪が引っ張られて痛みが走る。
ブラムバシアンに急に動くなと苦言を呈され、返す言葉もなくまた前を向く。
「魔塔の定める運命とは、なんなのですか?」
ルシニアはこくりと息を飲み、ようやく声を出した。
編んでいた手が止まり、ルシニアの掴んでいたもう片方を渡すように言われる。背を向けたまま渡せば、まだ背後ではルシニアの髪をいじる気配が続いている。
だがそんなものより、早く答えを求めるように心臓が早鐘を打っていた。
「なんだ、お前は運命に興味があるのか?」
「......ええ、少しだけ」
「ルシニアがそう言うのなら話してやりたいが、それはまた機会があった時に話すとしよう」
「それは意地が悪いですよ!」
「ああこら動くな。また頭を痛めるぞ」
話がしたいと言っていたくせに、食いついた話題はお預けをするという、そんな話があってたまるか。
抗議しようとしたルシニアはまたも振り返ろうとしたが、ブラムバシアンの手が頭を掴んで振り向かせない。さらに子供に言い聞かせるように言われれば、無視することも出来ない。
なぜ落ち着きのない子供のように扱われなければならないのか。
やはりルシニアにとってブラムバシアンは不快感を覚えるような相手であり、ままならない状況に打つ手がない。
「話さないわけではないのだから、そう拗ねたりするな」
「怒りはあれど拗ねてはいませんよ。子供でもあるまいし」
「それならいいが、先程より声に恨めしさが滲んでるように感じられるのは気のせいか?」
「ええ、気のせいでしょう」
背後でする笑い声は聞こえないフリをしても、手から伝わる振動が鬱陶しい。
ルシニアはそれでも拗ねてなどいないとばかりに鼻を鳴らすが、ブラムバシアンにはどうにもルシニアが臍を曲げたようにしか見えない。
頬こそ膨らませてはいないが、その背中からは憤りが感じられる。それを宥めるように丁寧な手つきで、ルシニアの髪を纏め上げる。
「下ろしているのも可愛いが、このように遊びがあっても似合うな」
「手先が器用なのですね」
「単に覚えさせられただけだが、ルシニアに褒められるのであれば無駄ではなかったな」
手元に鏡がないので見えないが、後ろ髪を触れば何やら凄いことになっていた。
ハーフアップなのだが単純なものではなく、編み込みも加えたアレンジは器用と言うには相応しい。確認しなくとも大層な髪型になっていることは分かるのだが、手遊びにしていたにしては上等な出来栄えに、ルシニアは余計にブラムバシアンが分からなくなる。
「俺は研究に戻るから、それを見せびらかして来るといい。俺とルシニアの友好の証だ」
「見せびらかしはしませんが、崩すには惜しいのでこのままにしておきます」
急に連れて来たくせに、急に帰れと言う。
やっと解放されたかと思えば追い出されるかたちなのが不服だが、どちらにせよルシニアはようやくこの空間を去れるのだ。かたちにはこの際こだわる必要も無い。
存分に見せびらかしてくれて構わないと言うブラムバシアンを軽くあしらいつつ、扉に手をかけた。
「魔塔の定義する運命について、あとでお話を聞かせていただけますか?」
ルシニアはブラムバシアンのマリーゴールドの瞳を見詰めた。
それは一度考えるように揺れると、煌めきを内包したまま細められる。
「ああ、機会があれば」
その機会が果たして本当に訪れるのか。
半信半疑な目を向けるが、ブラムバシアンの瞳は確信があるかのように微笑むだけだった。
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