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「ユーリ、お願い出来るかしら」
寝付きの悪い夜を過ごした次の日の放課後、ルシニアはユーリツィアに魔力同調の申し出を受け入れた。未だに自身の手の内を見せるようなことに抵抗がないわけではないが、ルシニアのためを思うその健気さを受け入れられないほど狭量ではない。
ユーリツィアは一瞬驚いたように目を丸めると、すぐに破顔してルシニアの手を取る。
「もちろんです、ルシニア様!」
昨夜の寒さを思い出し、触れたユーリツィアの手の温かさに、ルシニアはふっと目元を和らげる。
そんな時、不意に背後から別の手がルシニアの手をユーリツィアから取り上げる。このようなことをするのはひとりしかおらず、ルシニアは溜息を吐き、ユーリツィアは途端に頬を膨らませる。
「ルシニアの手に触れる許可は得たのか?」
「私は同性ですから、許されるのですよ!」
ルシニアを挟んで睨み合う、ブラムバシアンとユーリツィア。混ぜるな危険、という言葉が脳内に浮かびはすれど、毎度となれば最早慣れてしまった。
今日は次の日が休日ということもあり、ベルナンとディエラは早々に家業のために帰宅した。他の人も既に帰ったあとであり、ファルゴはなにやら仕事があるらしく、他の攻略対象者はルシニアを嫌い、現れることはまずない。
よって室内に残るのは3人だけであり、不毛な言い争いをする2人をルシニアは制した。ユーリツィアのことなど気にも留めていないブラムバシアンと、不満気に口を尖らせるユーリツィアに苦笑すると、ルシニアは首を傾げた。
「わたくし、やり方がわからないのだけれど、ユーリにお任せして良いのかしら?」
「はい、お手をお借りしてもよろしいでしょうか」
ユーリツィアはぱっと顔を輝かせると、その手をルシニアへと伸ばした。そこへ手を重ねると、両手で包むように握られる。
今回はブラムバシアンが邪魔をすることもなく、じっとその様子を見ているだけだ。
始めます、とユーリツィアが言う。手に仄かな熱が流れ込み、ユーリツィアの魔力が流れ込んで来るのが解った。自身の魔力に沿うように、ユーリツィアの柔らかくも真っ直ぐに伸びる魔力が駆け巡る。
痛みも不快感もなく、心地良ささえ感じるようなその熱に、ルシニアはただそれを受け入れるだけだ。対してユーリツィアは目を瞑ったまま、次第にその眉間に皺を寄せる。
なにかあるのかと、そう問いかけようとするよりも先に、ユーリツィアが目を開き、碧い瞳に困惑を乗せてルシニアを仰ぎ見る。
「......えっと、なんと言えば良いのでしょうか」
戸惑いを隠せないまま、もう一度見せて欲しいと言うユーリツィアが再度手を握る。再び流れる熱を淡々と受け入れていれば、魔力同調の単純作業に呆気なさを感じてしまう。渋っていたのがどこか阿呆らしくも思え始めた頃、ユーリツィアの表情が曇った。
「ふふっ、あまりの乏しさに驚いたのかしら」
浮かない顔のユーリツィアに、和ませようとそう言えば、彼女はふるふると首を振る。
「いえ、そういうわけではないのです。......なんというか、その、魔力に違和感があると言うのでしょうか」
妙に歯切れの悪い言い方に、ルシニアは眉間に皺を寄せ、ブラムバシアンが隣で顎に手を当てる。
違和感、と繰り返せばユーリツィアは頷いた。
そして、ブラムバシアンに視線を向けると眉尻を下げる。
「私は齧った程度ですので、これを断定するような知識を持ち合わせていません。ですから、エニウム様にも一度見ていただけたら、なにか解るかもしれません」
依然として浮かない表情のユーリツィアに、ブラムバシアンは小さく頷く。
「俺も専門ではないから詳しいとは言い難いが、何かしら解るかもしれないな」
触れる許可を求めるブラムバシアンに手を差し出すと、恭しく撫でるようにその手を取る。ルシニアの手を見詰めるブラムバシアンの目が伏せられ、睫毛の長さに魅入っていると、ユーリツィアよりも熱いものが流れ込んで来るのが解った。
身体中を巡るブラムバシアンの魔力がルシニアの魔力を引き寄せ、食われるのではないかという錯覚を覚える。反射的に引こうとするルシニアの手を強く握り、マリーゴールドの瞳が諭すように細められる。
ルシニアは唇を引き結び、その熱に耐えるべく目を閉じる。体内を巡る魔力の軌道さえ感じ、ルシニアが息を吐くと同時に荒々しかった流れが途端に穏やかになる。
瞼を押し上げれば、ブラムバシアンは手を握ったままに口を開く。
「すまない、少し強引過ぎたな」
謝罪とともに寄せられる眉に、ルシニアは微笑みで返す。長らく味わっていなかった、ある種の屈辱を感じていたのを悟られたくはなかったのだ。
どうなのかと、未だ不安に揺れるユーリツィアを一瞥したブラムバシアンは、頷いてからルシニアの手の甲を親指で撫でる。
「違和感と称すには、随分と肥大化しているな。――魔力を有する令嬢のこの有り様を、今まで見過ごされてきたというのか?」
ブラムバシアンの瞳に怒りが滲み、握った手が力む。ぐっと、押さえつけるようなその力に、眉を顰めながら名を呼べば、行き場のない怒りを堪えるように彼は息を吐く。
ブラムバシアンはユーリツィアの言う違和感の正体を得ることが出来たらしいが、ルシニアも何のことだと首を傾げる他ない。
そんなルシニアの様子にブラムバシアンは指を絡ませ、マリーゴールドの瞳の色を濃くさせた。
「魔力に対する検査は国が主体として行われる。ましてやお前は、仮にも王太子妃として在ったはずだ。そんなお前の検査を蔑ろにするわけがないが、恐らく意図的に看過されていたのだろうな」
「ブラン? あなた、なにを言っているの? 解るように言ってくれなきゃ、なにも解らないわ」
煮え滾る怒りがブラムバシアンの声音からも漏れ出ており、ユーリツィアが怯えるように口元を手で覆う。
理解の及ばない言葉を羅列するブラムバシアンに、ルシニアは戸惑いを隠せずにそう問えば、彼は刺すような威圧感を込めて口にする。
「お前は魔力が乏しいわけではないよ、ルシニア。ただ、封じられているだけなのだから」
ルシニアは、その言葉に思わず思考が停止した。
脳内では記録を引きずり出して参照するものの、そのような記述は一切見られない。元々ルシニアは魔力の乏しい者として設計されているのだから、そのような設定があるわけがない。
定められているはずの設定が、現在進行形として在る今の世界から乖離する瞬間は、あまりにも唐突に訪れる。その経験に慣れることなど到底不可能で、足場を少しずつ削られていく感覚には頭痛がするほどだ。
落ち着いて冷静になるべきだと、一度目を固く閉じると、ユーリツィアが慌ただしく席を立つ。
「そんなことって......!」
震えるユーリツィアは力なく再度席に着くと、俯いたままに何かを呟いている。しかし、口内に留めているその声を拾うことは不可能で、ましてやルシニア自身も未だに困惑していた。
魔力を有する者は例外なく国によって運営される機関が定期検査を行っており、魔力同調とは少し違うやり方ではあるものの、異常が見られた場合は何かしらの通知があるはずだ。
魔力保持者はこのように、学園という教育機関をも設けて育成される、いわば国の財産。
だからこそ、そこには正確性が求められるし、偽りを創り出すことは国に対する不信を植えかねない。国への不信とは、統治者への不信である。
ルシニアは、冷静になり切れない頭を何とか落ち着かせるべく、自嘲じみた笑みを浮かべる。
「――あの人ね」
ルシニアは直感的に誰がそのようなことを指示したのか、理解出来ていた。恐らく、ルシニアの父――メルカトラ公爵によるものであろう。
ルシニアが母を殺し生まれたことで、公爵はルシニアを忌むべき者として扱っている。そんな者に他者と同様の人生を歩ませたくはないという、並々ならぬ憎悪を感じて呆れてしまう。
ルシニアは不機嫌に口を引き結ぶブラムバシアンの手を撫で、次いでユーリツィアにも微笑んだ。
「そこまで悲観的になることもないでしょう? たとえ封じられていたとはいえ、大した問題が生じていたわけでもないのだし」
「問題なら大ありです! 不当な扱いによって、ルシニア様の正しい実力が発揮されていないではありませんか!」
勢い良く顔を上げたユーリツィアは今にも泣き出しそうで、頭を撫でてやりたくなるが今は手が塞がっている。
ルシニアは、2人から伝わるルシニアを想う気持ちが擽ったいと目を細めた。
「大仰な力があるわけでもないし、そこまで憤慨するようなことではないわよ。わたくしの怒りはわたくしだけのものだもの。けれど、あなたたちのわたくしを慮る気持ちには感謝をするわ」
沈んだ空気を変えるべく、そう言外になんてことはないと含ませる。実際のところ、ルシニア自身これまでなにか大きな弊害があったわけではないのだ。
学生として学園に通い、試験を受けることさえなければどうにかしようとすら思わなかっただろう。魔力の有無に雲泥の差があれど、魔力量によっての差異は日常生活に支障をきたすものでは無い。
ルシニアは手を握ったままのブラムバシアンに目を向け、力を抜いて欲しいとばかりに甲をなぞった。
「その封じられている状態というのは、あなたの力で消すことは出来るの?」
「構造自体は概ね理解出来たから、可能かを問うのであれば、可能だと断言出来る。だが、長い年月を経て作られたものであるから、多少強引なやり方にならざるを得ない。お前の身体に相当な負荷が掛かるだろう」
ご都合主義なのね、と口にしそうになったが、なんとかそれを喉の奥に押し込める。
ブラムバシアンが次期魔塔主として優秀なことは把握しているが、魔力同調をしただけですべてを理解してしまうことに、素直に驚きを隠せない。ユーリツィアも同様に目を丸くしたあと、何故か負けませんと呟きながらブラムバシアンを睨んでいた。
ルシニアは口角を上げると、ブラムバシアンから手を離させる。そうしてその頬を横に引っ張り、彼はぱちくりと目を瞬かせた。
「そんなに優秀なら、なぜあの時気付かなかったのかしらね?」
あの時とは、ルシニアの魔力を吸い上げた時だ。魔力同調のようにはいかないものの、異変に気付けていたかもしれないだろうにと、にこやかに責めてみる。
とはいえ、もちろん本当に責めるような気持ちは一切ないのだから、ほんの冗談に過ぎない。
ただ、ブラムバシアンが柄にもなくあからさまな落ち込み方をするもので、ルシニアは堪え切れずに笑い出す。戯れに過ぎないと気付いても、ブラムバシアンは負い目を感じるのか、眉を力なく下げているのを指先でつつく。
「冗談に落ち込まれても困るわ」
「気付けなかったのは事実だろう」
「あの時ってなんですか! ルシニア様との秘密なんてずるいです!」
ブラムバシアンを宥めれば、今度はユーリツィアが抗議の声を上げ出した。頬を膨らませる彼女を窘め、ルシニアは話を戻すようにひとつ咳払いをした。
「ブラン、わたくしの魔力を正常なものにしてくれるかしら?」
ルシニアがそう問えば、ブラムバシアンは眉を顰めて目を逸らす。
魔力の流れを阻害するものが、既に長い時を経て癒着しているのだ。それを消すとなれば肉体には激痛が、精神は汚染される可能性も有り得る。
そう思えばブラムバシアンはルシニアの頼みと言えど、素直に頷くことが出来ない。ルシニアを傷付けることで負う痛みは、彼女の首筋からその血と魔力を吸い上げた時に嫌という程に味わったというのに、また同じ喪失感を得ることを許容出来ないのだ。
渋るブラムバシアンに、ルシニアはその手を伸ばして頬に触れる。細い指先がブラムバシアンの頬を柔く撫ぜ、顎を伝って離れていく。
「少し早過ぎるけれど、借りを返して貰うことにするわ。あなたの誠意を、わたくしに見せてちょうだい」
妖艶に笑むルシニアに、ブラムバシアンは観念したように肩を落とした。
離れて落ちる手を掴むブラムバシアンは、その甲に口付ける。マリーゴールドの瞳がルシニアを捉えたかと思えば、勢い良く伸びてきた別の手が2人を引き剥がす。
話から除け者にされていたユーリツィアが、顔を真っ赤にして睨んでおり、その様子にブラムバシアンは辟易の溜息を零した。
「......俺からルシニアを奪おうなんて、少しばかり頭が足りないんじゃないか?」
「婚約者でもないあなたが、淑女であるルシニア様に恋人のように触れるなんて、常識を弁えてから文句を仰ってください!」
ブラムバシアンとユーリツィアが睨み合い、今度はルシニアが溜息を吐く番だった。




