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渡り鳥のあなた  作者: 加永原
第1章
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 床に膝をついたままのタルデは、涙を拭いながら見上げてくるもので、ルシニアは溜息を一つ零した。


「魔力同調に長けた友人がいるのだけれど、わたくしの魔力と一度同調させて欲しいと言われたの」


 そう、ルシニアの頭を悩ませていたのは、ユーリツィアから告げられたものだった。

 魔力同調とは家族や恋人、自身の認めた相手のみにだけ許される行為だというのが一般的だ。というのも、魔力を同調させるというのは互いのすべてを曝け出すことに等しく、魔力を扱う人間にとっては裸を見せることと同義とされている。

 だからこそユーリツィアはその提案を渋っていたのだが、思い切って告げたのは今日のことであった。ルシニアもまたこの世界の常識として魔力同調についての知識はあったので、ユーリツィアの申し出には驚いた。

 魔力を調べるだけなのだから、ルシニアのすべてを知られるわけではない。“すべて”とは、こと魔法に関することのみなのだから、なにも躊躇いはないと理解していても、ルシニアは己の中にある少しの抵抗感に戸惑い、一度考えさせて欲しいと保留にしたのだった。

 ルシニアは未だ自身の中にあるその迷いを持て余し、気紛れにタルデとの会話で消化しようとしたのだが、思わぬ反応に若干の後悔を覚え始めていた。


「お嬢様、まさかそのご友人は男性ではありませんよね?」


 ルシニアの手を両手で痛いぐらいに握り、顔をぐっと近付けるタルデ。その気迫に思わずルシニアが目を見開けば、タルデはより一層眉間の皺を深めてどうなのかと問い質す。

 普通であれば仮にも主人に対して無礼だと咎めれば済むものだが、その責められているような口調にルシニアは正直に首を振る。


「アグライア伯爵令嬢よ、あなたも知っているでしょう?」


 ルシニアがそう返すと、ようやく安堵の息を漏らしたタルデは、しかし手を未だに離さない。かといってルシニアから離して欲しいとも言えないでいれば、彼女はその手をまた強く握った。


「女性であればなにも問題はありませんね。お嬢様のお口からご学友のお名前を伺える日が来るなんて、あとでルーナお嬢様にもお知らせしないといけませんね」


「あなた、いつもこの調子でお姉様に余計なことを言っているんじゃないでしょうね?」


 途端に上機嫌に綻ぶタルデとは反対に、ルシニアはじとりとした目を向ける。タルデは慌てて手を離し、恭しくも礼をして誤魔化した。

 侍女の知らなかった一面を見た思いに溜息を吐き、ルシニアは視線を逸らして俯きがちになる。軽口の応酬を経ても胸に澱のように溜まる不安は、過去に片足を取られる心地であり、今がどこにあるのかを忘れそうになる。

 ルシニアは、自分の足元が崩れないという、確信を持てないことがどうしようもなく怖いのだ。


「お嬢様、気が乗らないのであればお断りをすればよろしいかと」


 タルデはこれまでにない主人の憂い顔に、そう口にした。覗き込む侍女は平然と、逃げても良いと言っている。

 ルシニアは、そこでやっと何かが腑に落ちたように安堵の笑みを浮かべ、そうねとゆっくりと瞬きをする。胸に溜めておけばいつか穴が空くだろうそれは、言葉にしてしまえば溶けるのだから不思議だった。そして人から選択肢を得られることに、ルシニアは自嘲の笑みに変えてタルデに向き直る。


「悩みを打ち明けるというのは、こんなにも気が楽になることを思い出せたわ」


 ありがとう、と素直に言えば、タルデは大きく目を見開き、そしてうるうるとした目で何度も頷いた。

 そんななんでもないこと、なんでもない言葉にすら涙を滲ませる泣き虫には本当に困ったもので、ルシニアはそろそろ自室に戻ることを告げる。後片付けをタルデに任せ、新聞を片手に部屋をあとにする。

 元々この邸宅にはさほど人も多くないため、夜更けということも相まって、閑散とした屋敷内は酷く寒々しい。静まり返る廊下を通り、自室へと戻ればルシニアはベッドに腰掛け、新聞をもう一度広げる。

 ルシニアは眉を顰めながら、その一面を頭から読み直して苦虫を噛み潰したような表情へと徐々に変えていく。新聞から目を離し、閉じてから額に手を当てて思考の海に自身を投げ打った。

 ルシニアの記憶は、この世界の記録を思い起こすものだ。この世界はある種創られた世界であり、そしてその主要人物と成り行きは把握していた。だが、ルシニアはその決められたシナリオ通りとはいかないよう行動していたのだから、そこにイレギュラーが訪れるのは必然だ。

 なにも今に始まったわけではないそれだが、ルシニアは焦燥感に駆られながら呟いた。


「......早過ぎる」


 これまで幾度となくイレギュラーを起こして来たものの、登場人物との関係性に限られて来た。だが、今起こっているのは物語自体の加速。もちろん、関係性を変えたことによる余波はこれまでもあったが、ここまで劇的な変化を迎えたことは初めてなのだ。

 これまでにない、ストーリー自体の変更が有り得るかもしれないという事実に、ルシニアはどう対処をすれば良いのか検討もつかない。ルシニアは一種の未来予知によって保ってきた平静が、この先も保ち続けることの自信を失いそうになる。

 下手に死ねないこの身をより一層恨めしく思いながら、ルシニアは無意識のうちに止めていた呼吸を思い出す。


「この変化が、“終わり”の兆しと捉えるのは、あまりにも楽観的よね......」


 手に力を込めればくしゃりと紙が乱れ、ルシニアはそれでもなおその手に力を込める。

 ビリッと、耐えかねた新聞の一部に亀裂が入り、避けたところでようやく力を抜いてやれば、最早読む気にもなれないくしゃくしゃの新聞紙が出来上がっていた。ルシニアはベッドから立ち上がると、窓際にあった花瓶に向かう。

 花を引き抜き、中にあった水を床に置いた新聞の上へと掛け、水の抜けた花瓶に花を戻しておく。いかにも落とした花瓶の後始末をしたように見せかけ、くたくたになった新聞を片付けると一息つく。

 八つ当たりをしたと思われれば、タルデや使用人たちがなにかあったのではないかと気を揉むだろう。それを避けるために稚拙な隠蔽をしたのだが、彼らはきっと騙されるということをルシニアは知っていた。

 一つ悩みが減れば、代わりのように新たな悩みが生まれるもの。ルシニアは半ば導かれるようにバルコニーに出ると、ふるりと身を震わせた。

 そして空を見上げていれば、ふつふつと怒りのように沸き起こっていた感情が徐々に冷めていく。死期が早まることに歓喜こそすれ、ここで悲嘆に暮れる必要はないのだと、自身を納得させる。

 見上げた空には星が煌めき、頬を撫でる風に記事の内容が脳内で再生される。

 そこには、東部で大規模な軍事演習を行う旨が書かれていた。

 東部はモンテスル辺境伯の治める地であり、隣国との間に位置した山脈伝いに異民族が攻め込んで来ることのある地だ。その地で軍事演習を行うということは基本的に異民族に怪しい動きがあったということであり、軍を招集して配置することで牽制の意味を込めていた。

 わざわざ自分たちを迎え撃つ用意の整ったところへ足を運ぶ愚か者などいないと思うが、ルシニアの知る未来には隣国が異民族と結託し、東部へと攻め入り戦争が始まるというものもある。

 しかし、それは最悪のルートを辿った末路にしかない。大抵は異民族と交渉が決裂した隣国で戦争が起こり、そこへ支援軍を派遣するだけに留まり、自国へ戦禍が広がることはない。

 ここ最近、ファルゴが忙しくしていた原因は恐らく、その異民族関連であることは新聞を目にしてから確信した。ブラムバシアンを伴うことが多かったのは彼が魔塔に属する者であり、助言者としてその知識を求めていたのであろう。

 ルシニアは二の腕をさすり、ほんの僅かに唇を震わせて吐息を漏らす。


「接点がないから情報が少ないけれど、ルートはもう定められているのだから、最悪の結果は免れるはずよね」


 最悪な結末をもたらすルートは、生徒会に属する別の攻略対象のバッドエンドだった。だが、ヒロインであるユーリツィアはファルゴを選んでおり、そのバッドエンドは回収されないはずだろうと、半ば祈るような気持ちで眉間に皺を寄せる。

 変調がどの程度作用するのか解らず、確信が持てないのは相変わらずだが、そう楽観視することで今は不安になるべきではないのだ。例えどのようなことになろうとも、死ねる可能性があるのならば、ルシニアはきっと喜べるはずである。

 ルシニアは踵を返して部屋に戻ると、自身の体が存外に冷え切っていたことに気付き、ベッドに潜る。震えるほどではないものの、自身の身を抱くようにして眠ったのは、不安を掻き消すためだった。

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