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渡り鳥のあなた  作者: 加永原
第1章
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1

 顔ではなんともないと装いつつも、いや、傷心風を装っていたのだからなんともない風ではなかったが、それでも心の内では本当になんともないと思っていた。ルシニアにとって王太子との婚約は決められたルートを辿っていただけであり、婚約破棄をされることもまた同様だ。

 書類の上、両家間の契約の上ではまだ婚約者ではあるものの、彼に対する気持ちはこれっぽっちもない。あるのは他人や自身のこと同様、ただただどうでもいいという気持ちだけだ。

 だがそれでも、あんなにも好奇の目が集う場所に晒されれば疲労も覚えてしまうもので、馬車から降り立つと同時に溜息を吐かざるを得ない。

 自身の家に帰って来たというのに心が休まらないのは、ルシニアが他人に心を許していないからだ。手を差し伸べてくれる従者はもちろん、帰宅を笑顔で迎えてくれる侍女たちにもだ。

 表面上の笑顔をもってただいまと返し、迷うことなく自身の部屋へと向かう。少し休むと告げれば誰も部屋に入っては来ないのだ。

 もしも他者の目があればしないであろうことも、今は誰に咎められることもなく出来る。制服から室内ドレスに着替えることすら億劫で、そのままベッドの上へと身を投げる。

 完璧にベッドメイキングされていたシーツには皺がより、ぽすりとルシニアの頭を受け止める枕はふかふかだった。束の間の休息だが、やはり外出から帰ったそのままベッドに横になっているのは落ち着かず、起き上がると二人がけのソファに移動する。


「......眠い」


 はしたなくもソファに横になれば押し寄せるのは疲労からくる睡魔で、目を閉じて身を丸めてしまう。波間を漂う心地とともに微睡みに落ちていけば、あっという間に意識は過去へと攫われる。

 ルシニアは、メルカトラ公爵家の次女として生まれた。ルシニアには姉がおり、次こそは男児をと望まれていた上で生まれたのが、女であるルシニアであった。

 公爵家が落胆の色に包まれるよりも先に、母親が命を落としたことで悲嘆に染まる。

 出産は命懸けで行われるものであり、命を落とすこと自体はさほど珍しくはなかった。だが、ルシニアにとっての不幸はそこから始まっていた。

 最愛の妻を亡くした公爵は、ルシニアがその原因であるかのように思ってしまったのだろう。生まれたばかりの赤子は男児でもなければ、妻を殺した忌むべきものとして認識して排除しようとしたが、使用人たちが亡き公爵夫人の忘れ形見だと必死に止めたのだ。

 父親は使用人たちの決死の異議申し立てになんとか赤子殺しを踏み止まり、今後何かしらの用途があるだろうと矛を収めた。

 とはいえそれ以降、父はルシニアのことをいないものとして扱うようになり、ルシニアは親からの愛情を受けずに育った。幸い姉はそんなルシニアを不憫に思い、親から貰えない分の愛情を分けるかのようにルシニアを愛した。


『可愛いルシニア、可愛いわたくしの妹。お父様があなたを愛さなくても、わたくしはあなたのことを誰よりも愛しているわ』


 最低限衣食住は確保されているのだし、そこまで愛情を求めているわけではないルシニアにとって、煩わしいと言うにはあまりにも無垢な姉に、ただその愛を受け取るフリを続けた。

 ルシニアにはその愛を受け取る資格などないと、逸らしたくとも逸らせない目が焼かれてしまうのではないかと思うほどに姉は優しかった。

 姉は魔力こそ人より優れているが、体があまりにも弱過ぎた。領地から出ることもままならず、床に伏せることの方がずっと多い。だからこそルシニアは魔力こそ乏しいものの、姉の分まで見識を広めては伏せている姉に語るのだ。

 ルシニアにとって姉でありながら、他人でしかない人。自我が芽生えた時からルシニアは、姉のことをそんなふうに思っていた。もしかしたら表情筋を上手く動かせない幼少期は、顔にまでそんな考えが出ていたかもしれない。

 自我の芽生えと同時に象られた器とそこへ納まる魂の違いに、ルシニアは幾度目かの落胆をした。自身の手へと向ければそこにあるのは小さく脆い幼子の手で、自身を抱える侍女の目は慈愛に満ちていたが受け入れ難かった。

 ルシニアは自我を覚えると同時に、魂に刻まれていた前世の記憶を呼び起こした。溢れ替える情報の羅列は頭痛を伴うが、発熱を抑えられたのは魔力がある世界に生まれたことが幸いした。


『――痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いっ!!』


 埋め尽くされるのは悲鳴であり怒号である。強烈な痛みとともに過ぎ去るこれまでの日々、そして予備知識として植え付けられるこれからの日々。

 痛みに悶絶しながらベッド上でのたうち回るルシニアを見ていた侍女の一人は、何事かと医者まで呼んだが原因など分かるはずもない。たとえ脳味噌を取り出してみたところで、そんなところに原因などあるはずもないのだから。

 医者が到着する頃には頭痛は治まっており、今までのルシニアから考えるとあまりにも落ち着いた、大人びた、達観した少女が出来上がっていた。受け答えも問題なく、先程までの苦しみようは嘘のようで、混乱する侍女を宥めながらついでとばかりに姉を診て欲しいと医者を案内する。

 そんな、子供らしさを失くしてしまったルシニアに、今度は魔法の扱いに長けた者が呼ばれるも、結局原因は分からずじまい。侍女から向けられた目は困惑と少しの恐怖。

 それでも時間が経てばそういうものだと受け入れられるもので、ルシニアは、ルシニア・フォルト・シルヴァトスとして順当に育った。

 相変わらず父はルシニアを一顧だにせず、姉もまた病弱なままにルシニアを愛した。そんな少し歪な家族関係を、どこか他人事のように肌に感じながら育つ。そしてある時、ルシニアには王太子との婚約が決められた。

 本来であれば姉がその地位に付くはずだった。家格はもちろん、ルシニアという身内の目から見ても容姿端麗で、頭脳も悪くない上に魔力も人より外れている。

 だがしかし、如何せん国母となるには体が弱過ぎる。

 そんな矢先に向けられたのがルシニアだ。スペアとして生かしておいた価値があったなと、ルシニア自身が思うほどに都合の良い存在だった。

 姉には劣るが容姿も特段悪いわけではないし、学力とて人並みにはあるはずだ。魔力は少し乏しいものの、王太子の魔力は潤沢なので、健康な母体さえあればそこまで問題ではなかろうと。

 謹んで受け入れれば早いうちからと、王太子妃教育を受けたり社交界にデビューしたりと、目まぐるしい日々の始まりだ。なんでもそつなくこなし、欲は出さないルシニアには国王夫妻は大いに喜んだが、かといって王太子であるファルゴとの仲はこれといって良いものとは言えなかった。

 お互いにかたちだけの関係であることを、口にはしないものの、そう思っていたのだから。

 魔力のある者は国が運営する学園にてその扱いを学ぶ。ルシニアにも乏しいながら魔力があったので当然のごとく学園に通うものの、婚約者であるファルゴが恋に落ちる瞬間を見た時は、さすがのルシニアも驚いたものだ。

 人が恋に落ちる瞬間は、何度見ても間抜けなものね、と。

 それからは自身はより影になることを徹底し、ファルゴとその恋人、アグライア伯爵令嬢の仲を引き裂こうなどとは微塵も思わなかった。

 予備知識として植え付けられた中では、自身はその仲を引き裂く悪女となっていたが、レール通りに進むとは限らないのが現実なのだ。

 ルシニアには意思があるのだ。意思があれば選択があり、その選択はルシニアに委ねられる。

 かくして悪役令嬢になるはずだったルシニアは、敢えて何もしないことを選んだ上、喜んで身を引いたことで、見事その役目を終えたのだ。

 邪魔者の消えた二人の仲はさらに燃え上がり、アグライア伯爵令嬢には今後は是非とも王太子妃として励んでもらいたいと、心の底から思っている。

 父には落胆されるだろうが、そもそもなんの感心も寄せていない人から受ける罵倒などルシニアには響かない。一つ懸念があるとすれば、姉が悲しむだろうことだけ。

 それもルシニアの心情を思っての涙を流すのだから、あまりにも居心地が悪い気分にさせられるに違いない。

 数十分の間うたた寝の中で揺蕩えば、長い睫毛を震わせて瞼を持ち上げる。ほんの少しだけ疲労感もとれ、眠い目を擦りながら身を起こす。

 着ていた制服に少し皺が出来てしまったが、翌日には侍女がアイロンがけを済ませているだろうことを思えば特段気になりもしない。申し訳なさがあったのは最初のうちで、その分少しだけ給料を上乗せすることで罪悪感を軽減させているのは内緒である。

 室内用ドレスに着替えると、自室の扉を開けるとすぐに侍女が飛んで来る。


「ランタンを持って来てくれるかしら」


 ルシニアの言葉に頷くと、すぐに持ってこられたのは蝋燭の灯ったランタンだ。ちろちろと揺れる灯火を見詰め、侍女に再度申し付ける。


「図書室に行くから、あとで紅茶を持って来てくれると助かるの」


「承知しました」


 そんな短いやり取りにルシニアはよろしくねと残し、図書室へと足を向ける。

 学園は王都にあるため、領地から通うとなると時間ばかりが食われてしまう。よって王都にあった邸宅に身を寄せているのだが、さすがは公爵家と言うべきだろうか。

 豪華でありながら下品にならず、大きな造りでありながらも細やかなところまで装飾が施されている、そんな邸宅だった。部屋数もルシニアだけが住むには多過ぎて、大半は使用されていないものの、それでも掃除は毎日使用人が欠かさずしているのだから実に勤勉だ。

 父である公爵も姉の病状悪化のため、自領に篭っているのだからルシニアが使うことを許されたわけなのだが、使用人たちも一緒になって来る必要性はあっただろうか。姉も心細いだろうから一緒に連れて行きなさいと言っていたし、使用人たちもルシニアに置いて行かれることを拒むのであれば断る必要性がない。

 逆にこちらの邸宅にいた使用人を自領に送るという、なんとも面倒なことをした上でルシニアは生活を送っているのだが、やはりそこまで考える必要のないことだと切り捨てた。

 図書室内には貴重な本がぎっしりと置かれており、日に焼けないようにと重厚なカーテンを日夜問わず下ろしている。暗い部屋の中にあるランプに順に火を灯していけば、火の滲む光が柔らかく部屋を灯すのだから気分が安らぐ。

 元々の蔵書量も多かったが、この中にはルシニアが集めた本も数多くある。自由に使っていいとされている金を本に注ぎ込み、ルシニアはあるものを探していた。

 それは答えでありながら、問題のようなもので、どれだけ探しても類似した事例さえも見当たらないのだから途方に暮れる。

 手に取ったのは神話に関する本で、部屋の中にある小さな文机に座ると静かにページを捲る。ぺらりぺらりと紙の擦れる音だけが部屋に響き、世界から切り離された空間にいるかのような錯覚に陥る。

 そこにはやはり求めるものは記述されておらず、読み終えたルシニアに侍女が紅茶を丁度持って来たところだった。

 侍女は紅茶を淹れながら、自身の仕える主の顔色を窺っているようで、微笑みながら紅茶を受け取った。


「徒労の方が堪えるものね」


 温かい紅茶は冷えた指先を温めるのには十分だった。

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