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渡り鳥のあなた  作者: 加永原
第1章
18/24

17

 魔法実技試験に向けての勉強会は、およそ順調とは言い難い進捗を見せていた。

 ユーリツィアとブラムバシアンを先生とし、ルシニアは乏しい魔力を毎日練り上げた。教えを乞うとは言うものの、基本的な魔法に関する理屈だけで言えばルシニアは完璧だ。ただ単に、それを形作るほどの魔力がないだけなのだから。

 ルシニアはブラムバシアンの用意したクリスタルから手を離すと、不甲斐なさに眉を寄せた。そして傍らにいるユーリツィアに向くと、力なく笑った。


「申し訳ないわ、いつまでもこんなことに付き合わせて」


 そう言うと彼女は否定し、ルシニアの手を取る。けれどやはり上達の兆しが見えないことに不安があるのはユーリツィアも同じで、彼女の表情は同様に曇っている。

 魔法実技試験は、特別なクリスタルを用いて測定される。クリスタルは入学前などの魔力測定に使用されるものとは異なり、実際に魔法を撃ち込まれることを前提に作られた、人工のクリスタルだ。俗称的には魔晶石とも呼ばれることがあるが、今手元にあるのはブラムバシアンが用意してくれた劣化版のようなものだ。

 だが、練習用としては十二分にその硬度を誇っており、ルシニアの乏しい魔力で編み上げた魔法程度で割れるものではない。

 試験では主に、操作能力と安定性、威力が審査項目として上げられる。

 魔力操作は魔法を編み上げるのには必須のもので、綻びがあっては満足のいく結果は得られない。ましてや誤れば暴走が起こることもあり、学園で基礎能力として養われるのは主にこの項目だ。

 次に安定性は、特に日常生活にも使用出来る魔法に求められる。安定性とはすなわち持続性であり、魔力供給が過不足なく行われている状態を指している。

 そして威力とは、魔法の効果に大して定められる。近年では魔法を扱う兵士――魔導士として実戦投入される機会が増えたことから、審査項目に挙げられることになった。俗に言う、攻撃魔法は特にこの項目を求められることが多い上に、効果は日常生活に使用する魔法にも求められるものだ。

 これまでのルシニアの成績は、魔力操作には長けているものの、やはりその魔力の少なさから他二つを満たせずにいる。教えてもらったからといって、一朝一夕に伸びるようなものでもない。まして、魔力量の変化は一生に爪先程度の変化がある程度だ。

 何をどうしたところでその事実は変わらず、かといって無為にしてしまう罪悪感がないほどルシニアとて薄情ではない。

 だからこそ、たまたまユーリツィアと2人になったからこそ、ルシニアはようやく口に出来た。いつもならブラムバシアンと、ユーリツィアの付き添いとしてファルゴがいるのだが、今は席を外していた。

 ファルゴはこのところ、王太子としての責務が忙しいらしく、学業を鑑みて減らしてはいるものの、どうしても空いた時間が少なくなりがちとなっている。そんなファルゴはユーリツィアのためを思い、ブラムバシアンをわざと連れ出しているだろうことはなんとなく予想がついていた。

 ユーリツィアがルシニアによく懐いているのは、ルシニア自身もよく知っている。というよりも、無垢な信頼を肌で感じていた。

 今日も、そうしてルシニアとユーリツィアは教室に居残り、2人で励んでいたところなのだが、あまり芳しいとは言えない有り様なのだ。

 ルシニアとしては別に魔法が上達しようがしまいが、“今世では”縁がなかったと既にどうでも良いとも思えている。ただ心残りになるのは、ユーリツィアらに徒労を強いてしまったという罪悪感だけなのだ。


「そんなこと、おっしゃらないでください。私が勢いだけでお願いをしてしまったから......」


 しゅんと縮こまる姿は妙に庇護欲が掻き立てられる顔をしており、場違いにもそのヒロイン力にはルシニアは流石だと思わざるを得ない。

 瞬く度に揺れる長い睫毛が、申し訳なさに滲む涙を受けて濡れる。伏せた瞳の色を覗き込みたくなる衝動を思い起こさせられ、気付けばルシニアは彼女の頬にその手を伸ばしていた。


「泣かないで、ユーリ。あなたが泣くなんて、そんな勿体ないことはしないで」


 可憐でたおやかな女性であることは知っていたが、ここまで泣き虫だとは思わなかったルシニアは、自身に仕える侍女を思い起こす。

 彼女もまた、泣き虫な性格ではなかった。最初の頃はルシニアに向ける眼差しがどこか嫉妬心に満ちていたようだし、反抗的な言葉はなかったにしろ、態度には滲み出ていた。

 気付けばルシニアの痛みを我がことのように泣くようになっており、少なからずの縁を感じ始めた時ルシニアは名前を呼ばなくなった。だが、彼女はそれでもルシニアについて王都まで来てくれたのだ。

 あんなにも慕っていたルシニアの姉、ルーナを置いてでもルシニアに着いてきた。驚きと訝しむ目を隠せずにいたルシニアに、侍女――タルデは仕えることの許しを求めて来たことを昨日のように思い出す。

 ルシニアはユーリツィアから手を離すと、もう一度クリスタルに向き直る。

 血管のように張り巡らされる回路は魔力を身体中に循環させ、器から注ぎ込むようにして魔法の構築を始める。じんわりとした熱が指先からクリスタルへと流れ、内部に魔法を展開させる。

 弱々しい光を放つ球体に魔力を注ぎ込みながら、自身の内側にある器から生成される魔力は依然として乏しい。けれどその器を押し広げるようにイメージしながら、残りの魔力にぐっと力を入れて絞り出す。

 

「――っ!」


 途端にバチンッと弾けるような感覚とともに集中が途切れ、ルシニアは息を詰める。少ない魔力の消耗が激しいおかげで、脱力感に眉を歪めて肩が落ちる。

 ブラムバシアンの言う理屈の上では可能なはずの、拡張の練習はこうして今日も実を成さない。理屈と現実はいつだって思うように交わることはないのだと、ルシニアは手元を見る。

 クリスタル内の熱球体は色を失い、崩れ溶けて消える。

 隣でなにか役立ちそうなことはないかと、同様にクリスタルに触れているユーリツィアのものと比べると、あまりにも不完全な魔法は脆かった。


「完璧な魔力操作です、ルシニア様」


「魔力の乏しい者は、少ないそれを如何にやりくりするかが求められるものだから。それでも、あなたに褒められるというのはとても光栄なことね」


 賛辞を言うにしては暗い面持ちのユーリツィアの瞳が、なにかを考え込むようにして揺れる。続く言葉を探しているようだが、けれど見つけられずに彷徨う。

 下を向く目に縁取られた睫毛が震え、そして決心したようにルシニアの目を真っ直ぐに見詰めてくる。見詰めるというよりも、観察に似たその眼差しに、ルシニアは戸惑う。

 ユーリツィアはルシニアの両手を取り、ずいっと顔を近付ける。こんなにも積極的に距離を詰めるような子では無いはずなのに、ユーリツィアのお淑やかさが今は隠れて見えない。

 ルシニアの瞳に映るユーリツィアは、固い決意と一か八かの懇願が織り交ざっていた。


「もしよろしければ――」


 そう口を開いたユーリツィアの言葉を阻むように、2人だけだった教室の扉が唐突に開けられた。

 ユーリツィアがルシニアの手を取り、身を乗り出した状態で固まる。傍から見ればルシニアが迫られているような格好だが、驚きに体面を気にする余裕はなかった。

 しかし勢い良く開けられた扉に反し、闖入者はおずおずとした面持ちでこちらを覗いていた。その顔にはルシニアも見覚えがあり、確か同じクラスであった者だ。その後ろには知らない顔があり、同様に中の様子を窺っているのが見て取れる。

 ユーリツィアが我に返り慌ててルシニアの手を離し、扉に向かって声をかけようとする。だが、なんと聞くべきか戸惑い言葉が詰まる。というよりも、はしたなくも身を乗り出してルシニアに迫っているような姿を見られ、羞恥心に頭が回っていないだけなのだが、見兼ねたルシニアが微笑みとともに切り出した。


「なにかご用があっていらしたのでしょう?」


 ルシニアがそう問いかければ、来訪者は顔を赤く染めて言葉にならない音を出して妙に落ち着かない素振りを見せる。

 忘れ物でも取りに来たが、ルシニアたちが占領しているようなところへ入るのに気が引けているのだろう。そうルシニアは解釈して促すのだが、先頭に立つ男子生徒は一向に足を踏み出そうとしない。

 その後ろから彼の友人であろう男がなにかを囁くと、彼を押し退けてずいっと前に出て来た。


「いやぁ、お邪魔してしまい申し訳ありません。こちらでメルカトラ嬢がなにやら鍛錬に励んでいらっしゃると聞き及んだもので、ぜひご一緒させていただけないかと」


「おいっ! やめろ、やめてくれ! 本当に僕らは邪魔なんだから帰ろう。もう無理だ、僕は帰りたい!」


「なに言ってるんだ、開けたからには腹を据えろよ」


「僕はやめとこうって言ったのに開けたのは君じゃないか!」


「申し訳ありませんね、メルカトラ嬢、そしてアグライア嬢も。こいつがどうしてもご令嬢方とご一緒したいと言い出したのに、いざ来てみれば怖気付いたようでして。まったく情けないな」


 人懐っこい笑顔でそう告げる男は、やれやれとばかりに肩を竦める。そんな彼の胸倉を掴んで揺らす眼鏡の男は、同じクラスでありながら今まで交流のなかった者だ。

 焦げ茶の髪にさらに暗い色の瞳は黒にも見える。さらに眼鏡をかけた姿は一言で言えば地味な容姿をしている彼は、クラス内でも静かに過ごしていた。

 当然ルシニアの最近の様子も知っているはずであり、そんな彼がルシニアと一緒に練習をしたいと言うのだから驚きもしよう。真っ赤になりながら友人を責め立てる彼はこちらの視線に気が付くと、顔を青くしてはくはくと口を開いては閉じてを繰り返す。

 

「エープル様と、えっと......」


 突然目の前で繰り広げられた応酬に、呆気に取られていたユーリツィアが戸惑いを滲ませながら見知らぬ顔に目を向ける。

 

「ディエラと申します。お見知り置きを、ご令嬢方」


 そう言ってディエラと名乗る男は気障ったらしくもウインクとともに礼をする。模倣しただけなのか、彼の礼はとても社交界では通用しないものだ。だというのに、憎く思えない愛嬌がそれをカバーして悪印象を与えないのだから大したものだろう。

 しかし、そんな中浮かない顔をしていたエープルが、不意に顔を上げたかと思うと口を開いた。

 

「申し訳ございません。お二方のお邪魔をしたかったわけではございませんので、僕たちはやはり失礼させていただきます」


 ディエラの肩を引っ張り、眉を寄せるエープル。

 

「いえ、邪魔だなんてそんなことありませんよ。ここは皆の教室なのですから、一緒に励んでくださる方が多ければ多いほど有意義な時間が過ごせると思います」


 ユーリツィアが慌ててそう言えば、同調するディエラ。だが、エープルは逡巡するように視線を落とし、ルシニアを伺うようにちらりとこちらを見やる。

 確かにユーリツィアだけならば、ここまで萎縮するようなことにはならなかっただろう。家門の格があるとはいえ、ユーリツィアの和やかな態度に臆するような人はいない。

 だが、ルシニアという悪女がいることで話は変わる。彼の中でルシニアがどれほどの威圧感を持っているのかは知らないが、ルシニアとしては別にどちらだって良い。

 彼がここでともに自習をするというのなら勝手にすれば良いし、やはり帰るというのならばそれもまた好きにすれば良い。自身の行動なのだから、人に委ねるような真似はしないで欲しいものだと、至極面倒に思いつつも微笑んだ。


「ユーリの言う通りですよ。ここは誰かの占有するような場所では無いのですから、あなたが邪魔になることはありません。むしろわたくしの方がお邪魔でしょうから、帰らせていただきますわ」


 ユーリツィアだけなら安心だろうと、席を立とうとするルシニア。


「違うんだ!!」


 途端に大きな声で制されると、ルシニアとユーリツィアは目を丸くしてエープルを見る。

 うっ、と自身の大声に驚いたのはエープルも同様で、みるみるうちにその顔が真っ赤に染まっていく。そうして何もその先を言えずにいるエープルを、ケラケラと笑い出すディエラ。

 取り残されるルシニアとユーリツィアに向き直るディエラは、目尻に涙をたたえてまでいた。


「重ねがさね申し訳ない。こいつはルシニア嬢とお近付きになりたくて来たのです。どうか誤解しないでください」


「ちがっ――いや、違くはないが! だけどそんな言い方は誤解を招くだろう!」


「事実だろう。まったくお前は毎度毎度意気地無しなのだから世話が焼ける。てか揺するな、色々とまずいものが出るぞ」


 またもガクガクと胸倉を掴まれては揺すられるディエラに、エープルは真っ赤な顔でどもりながら文句を言う。

 その光景は親しい友人というよりも、家族のような近さがある。ユーリツィアは2人を見詰めながら、いつかルシニアとももっと親しくなればこのように、軽い応酬が出来るようになるかなどと考えていた。

 それを察知してか、なにやら薄ら寒いものを感じ取ったルシニアは、ふるりと震えそうになるのを堪えて口を開いた。


「エープル様は、とても可愛らしいお人なのですね」


 ルシニアがそう言って綻ぶように笑むと、彼は顔から火が出そうなほどに真っ赤な顔で停止する。

 このように、純粋で露骨な好意には久方ぶりに触れたからか、ルシニアは微笑ましさに胸が温かくなる心地を覚える。拙くも淡い恋心が丸見えで、つついてみたくなるような衝動にさえ駆られる。

 えっと、その、とまごつくエープルに、ユーリツィアが近寄ると、ぐっと拳を握る。


「おふたりも一緒に試験に向けて頑張りましょう! そしてエープル様! 私、あなたを応援しています!」


「そう言っていただけて光栄です。ほら、ベルナンもいつまでも固まってねぇで、シャキッとしろよ」


「うっ、ぼ、僕は別にそんなつもりは......お二方とご一緒出来るのは大変光栄ではありますが......」


 そうして落ち着かない様子で何度も眼鏡を上げ直すベルナンの背を、ディエラが思い切り叩けばようやく彼も腹を決めたように肩を竦めた。

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