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そんな変化をどう捉えるべきか悩むルシニアの目の前に、横からトレイが差し出された。そこには彩りと栄養バランス、両方を兼ね備えた食堂お抱えのシェフ自慢の料理が載っており、見上げたブラムバシアンが自身の分を置いて席に着いた。
「なにが良いか聞くのを失念していた。適当なものにしてしまったが、他のものが良かっただろうか?」
「構わないわ、なんでも。好みなどないのだし、満たされてしまえば同じだもの」
「そうか、俺と同じだ」
「ありがとう、ブラン」
ルシニアとブラムバシアン、2人が席に着けばユーリツィアとファルゴも食事を再開する。
長らくルシニアは、このような距離感で接する人間を作らなかった。およそ友人と呼ぶような間柄になる人間関係を構築することなど、以前なら有り得なかったのだ。
だからといって、今も許容しているわけではない。流れに身を任せるだけのルシニアにとって、これは偶然の産物に過ぎないのだ。そう言い聞かせることが増えれば増えるほど、ルシニアの足が重くなるような感じがしてならない。
簡単に手放せなくなるならば、きっとルシニアは彼らの名前すら呼べなくなる。いつか置いて行く彼らを、少しでも早く忘れるために。
「ルシニア様、お顔が優れないようですが、なにかお悩みがあるのでしょうか」
ルシニアは食事中に話すことは少ない。振られれば受け答えはするものの、そうでなければ黙々と食べることに集中する。
自身の思考に身を沈め、時間の流れから開放されるかのような心地に浸っていたところへ、不意にユーリツィアが顔を覗かせた。
こちらを心配そうに見詰める碧い瞳が丸く揺れており、ルシニアは微笑んで返そうとする。しかし、そこへ割り入るようにブラムバシアンが珍しくもユーリツィアに加勢をした。
「ルシニア、俺に言えないことならば彼女に言うと良い。同性にしか分かり合えない悩みもあると、師匠が言っていた」
「そうです! 私たち、女の子同士ですもの。殿方には言えないことならば、この私がお聞きいたしましょう!」
ふんすふんすと鼻を鳴らすユーリツィアと、うんうんと頷くブラムバシアン。競い合うくせにこういう時は気が合う2人に、やはりルシニアはなんでもないと返す。
そんなやり取りを傍から見ていたファルゴは、さして面白くもないとばかりにフォークで肉を刺す。
「大方試験に対しての焦燥だろうな。期末にはそなたの苦手とする魔法実技も含まれるのだから、乏しい魔力では満足な結果は得られないことが不安なのだろう?」
ファルゴのヒヤシンスの瞳がルシニアを静かに見ていた。
これまでの喧嘩腰な口調ではなく、事実を淡々と告げる彼の言葉は、確かにルシニアの心境を言い当てた。そのことに驚かなかったと言えば嘘になるが、素直に頷くことも出来ずに曖昧に微笑む。
ファルゴが気に食わないとばかりに視線を逸らし食事に戻っても、ユーリツィアが黙ってなどいなかった。
「ルシニア様、どうか私にルシニア様のお手伝いをさせてください!」
身を乗り出し、手を組んできらきらとした目でルシニアを見るユーリツィア。淑女然とした行動を心掛ける彼女は思ったより、感情によって時折子供じみた言動を取る。そこがきっとファルゴたち攻略対象にとってツボなのだろうと、ルシニアはその目を覗き返す。
ふっと浮かんだのは妖艶な笑みだった。
「自分の限界など、わたくしがいちばんよく理解しているのよ?」
魔力の量は生まれつき決まっている。そこへ後天的な変化が生まれるとしても、それはほんの爪先程度の差だ。
だからなにをどう頑張ろうと、ルシニアの魔力が見違えて増えることは無い。なけなしの魔力では大した魔法を操ることなど不可能で、伸び代はないのだと早々に諦めた。
ユーリツィアが項垂れるのを申し訳ないと思いつつも、ファルゴが睨みをきかせて来るものだから笑みを貼り付ける。
ルシニアはこの世界についての記憶を持っているだけで、何か特別な力が備わっているなんて、都合のいいことは起きなかった。ご都合主義が発揮されるのはヒロインや攻略対象のみだけであり、退場がゴールのルシニアにそんな慈悲などあるはずがない。
冷めた食事は特段美味しくも不味くもなく、腹を満たすだけの作業としては十分だ。
他生徒の声が折り重なる食堂で、ルシニアたちのテーブルは一瞬重苦しい雰囲気が漂う。ブラムバシアンの視線が刺さっても、ルシニアがそちらを向くことは無い。無理に足掻くなど、ルシニアは出来ないのだ。
この顔ぶれで楽しい会話など期待していなかったものの、予想以上に沈んだ空気を切り裂くのは一言の小石のような呟きだった。
「......つくづく可愛げのない女だ」
ぴくりと、ルシニアの手が止まる。
顔を上げれば、果たしてファルゴがこちらを向いていることはなかった。だがその言葉は明らかにルシニアに向けられているもので、ユーリツィアが窘めようとするのをルシニアが制止する。
「構いませんわ。幼稚なお言葉を下賜していただけるなんて、身に余る光栄ですもの」
何か言いたげなブラムバシアンも視線で制しつつ、極力柔らかな声音で言い放つ。
幸いにも喧騒はルシニアたちが一触即発の雰囲気を醸していることに気付く様子はなく、食べ物の偉大さにルシニアは感謝した。
ファルゴは持っていたフォークを皿に置き、口元をナプキンで拭う。王宮で仕込まれたマナーは完璧なもので、顔立ちも相まって所作の美しさに見惚れるものもいるだろう。
だが、そんなファルゴは皮肉を込めるように口元を歪めると、ルシニアにヒヤシンスの瞳を向けた。
「幼稚なのはそなただろう? 他者の助力を拒むなど、そなたのプライドが許さない。そう素直に言えば良いものを、自分の限界などとよく言えたものだ。頭を下げることがそんなにも耐え難いか?」
わざと挑発するような、そんな言い方だった。
ファルゴはルシニアを怒らせ、感情を引き出そうとしている。そんな見え透いたやり口に、ルシニアは乗ってやることはない。
そう分かっていながらも、心の内を無遠慮に撫で付けられる思いにいささか不快さを滲ませる。表情が崩れ、笑みを貼り付けることすらままならない。普段ならば有り得ない、憤りを隠せず露わにしたのは、ルシニアにとって誤算だった。
だが、一度出してしまったものを取り繕うのはみっともない。ルシニアは一度大きく溜息を吐く。
「そうですわね......わたくしも、意地を張っていたようです」
ルシニアは持っていたフォークを置き、ナプキンで口を拭う。
ユーリツィアがおろおろとしているのを敢えて無視し、ファルゴににこりと笑んでみせる。びくりと大仰に肩を揺らし、ヒクヒクと口元が引き攣っている様が愉快でならない。
まるでハリネズミのような愛らしさに、ルシニアはこれまでにない屈辱を久々に味わっていた。だがそれを今度は臆面にも出さず、ただの怒りとして言葉を乗せる。
「ご慧眼痛み入りますわ、殿下」
すぅーっと、鋭い刃のように研ぎ澄まされた声。けれど顔は笑みを浮かべたままなのだから、ファルゴは背筋にたらりと冷や汗が垂れるのを感じる中、ごくりと生唾を呑み込んだ。
狐だと評したが、蛇のようでもあるルシニアに、改めて空恐ろしさを覚えた。
そして追い打ちをかけるように苦しめるのは、親友だと勝手に思っているブラムバシアンからの凍えるような視線だ。彼はなにを思ってかルシニアを溺愛しており、ファルゴがルシニアに食ってかかろうものなら射殺さんばかりの目が向けられるのだ。
早く目を覚まさせてやらねばという使命感が改めて大きくなる中、ルシニアはふっとファルゴから視線を外す。改めてユーリツィアに向けられた瞳は柔らかなもので、ファルゴに向けたものとは雲泥の差があった。
「ユーリツィア、あなたにご助力いただけるのでしたら、これ以上の喜びはないと存じます。どうかわたくしに、お力をお貸しいただけますか?」
ルシニアがそう少しかしこまって問いかければ、ユーリツィアは頼られたことに感極まったように涙ぐみながらこくこくと頷く。
そんな姿をファルゴは可愛らしいと思ってしまうのだが、向ける相手が自分ではなくルシニアだということが気に食わない。最近ルシニアに対しての好感度が上がり過ぎではないかと、ファルゴはユーリツィアに問いただしたくなる。
けれどファルゴは何も言わず、ユーリツィアの喜ぶ様を見ているだけに徹することにした。
「ルシニア、俺の方が魔法については詳しい。俺の方がお前を導くには適していると思うが?」
俺の方が、というのを強調して言いながら、尚且つ2回も言ってルシニアの顔を覗き込むブラムバシアン。そんなことを言われては、ユーリツィアは顔を赤らめて憤慨する。
「私が頼まれたのです! たとえエニウム様でもこの役目は譲れません!」
「だが俺の方が魔法の扱いは上だ。お前はファルゴだけを見ているがいい。俺はルシニアだけを見ている」
「ファルゴ様はエニウム様に見られたいとおっしゃっています!」
「ユーリ、わたしはそなたのいちばんではないのか!?」
「こればかりは私はルシニア様がいちばん大事なのです!」
胸を張ってそう答えるユーリツィアに、ファルゴがあからさまに凹んだのを見て、ブラムバシアンが鼻で笑う。
目の前で繰り広げられているのは確かにルシニアが絡む小さな言い争いだ。だが、どうにも自分だけがどこか遠いところから見ているような気がしてならなかった。
言葉を挟む気など起こりようがなく、劇を見るように静かにその様子を眺めていた。
ルシニアは過去にもあったような、そんな出来事を懐かしむことすら出来ない。褪せたそれらがどんなに眩しかったのか、目を向けることが怖いからだ。
そんな折にふと、ルシニアはファルゴと視線が合い、毒もなく素直に微笑んだ。これにはファルゴも目を見開いており、その顔はあまりにも間抜けに見えた。端正な顔立ちだというのに、ルシニアにとっては未だあどけない幼子のまま。
ルシニアはおもむろに席を立つと、身構えるファルゴの前に立つ。
合わせて静かになったユーリツィアとブラムバシアンは、示し合わせるかのようにじっとその様子を見守ることにした。
ルシニアは片足を下げると非の打ち所のない、完璧な淑女の礼を取った。
「――ファルゴ殿下、わたくしのような不甲斐なき者へもお気遣いいただき、心より感謝いたします」
ルシニアの思いを汲んだのか、ファルゴは一度居心地悪そうに眉を寄せると、咳払いをしてから次いで手を上げた。
「良い、構わん。そなたの努力はわたしも知るところだ」
両者の声音はこれまでの互いを牽制し合うものから一変し、凪いだ湖のごとく穏やかなものだった。
まるで元婚約者とは思えぬほど、主君と臣下のような2人の姿には、ユーリツィアが言葉を失った。ファルゴはルシニアを恐れてぞんざいな扱いをしてはいるが、それとは別に信頼をしているのだと気付かされた。
その光景がユーリツィアにとってはあまりにも遠く、目指すだけでは足りないのだと思い知らされる。
思えば最初からファルゴは、ルシニアの胸中を言い当てているような節があった。憂い顔の正体は試験に対するものであると、そう言ったのはファルゴだ。
ルシニアはその言葉を肯定も否定もしなかったが、続く言葉はそれを裏付けるものだった。いても立ってもいられずに助力を願い出れば、彼女はどうしようもないことだと告げるのだから、ユーリツィアは無力さに打ちひしがれるしかない。
だがそれでも、ルシニアが助力を求める性格でないことを把握しているからか、そうせざるを得ないように仕向けたのもファルゴだった。ルシニアのためというよりも、ルシニアの力になりたいと言うユーリツィアのためであろうが、それでもやはり2人が共にした時間の重みを垣間見るには十分なやり取りだ。
ちらりとブラムバシアンを盗み見れば、どこか不機嫌そうに見えるのだから胸を撫で下ろす。この小さな嫉妬が自身だけではないのだという安堵を、ユーリツィアは決して口には出来そうもなかった。
儀礼的な感謝を述べたルシニアは、振り返るとトレイを持ち上げる。済んだ食事を片付け、早々にこの喧しいところから退散したかったので、一足先に下がらせて貰うことに決めた。
それに、とルシニアからトレイを取り上げたブラムバシアンを見上げると、下から弾んだ声が上がった。
「ルシニア様、さっそく今日の放課後からと思うのですが、お時間はございますか?」
「ええ、もちろん。あなたの力を借りられることに、改めて感謝をするわ」
ユーリツィアが満開の笑顔になるのを見詰めるファルゴにも会釈をし、席を離れるとブラムバシアンが片付け終えて戻って来る。また抱きかかえるようなことがあれば止めたが、さすがにそんなことにはならずにホッとする。
どこか疲れたような面持ちのブラムバシアンを見上げ、ルシニアはいつか犬を飼っていたことを思い出す。
「ブラン、あなたも先生になってくれるのかしら?」
食堂を出ると幾分かマシな顔色になるブラムバシアンは数度瞬いたかと思えば、やんわりと目を細めた。
「ルシニアがそう望むなら」
「じゃあユーリと2人きりで頑張ることになるわね」
「お前が望まずとも、俺はお前の力になるつもりだ」
慌てて言い直す従順な犬のようなその眼差しが、ルシニアにとって痛みをもたらすことを彼が知ることはない。
くすくすと少女らしい笑いを零しながら、ルシニアは彼が隣にいることを、今日ばかりは許可してやろうと、そう考えた。
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