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渡り鳥のあなた  作者: 加永原
第1章
10/24

9

 そんなルシニアの心中などお構い無しに、彼らの行いは段々とエスカレートしていった。

 本来身分というものが人には付きまとう。だが、ここは学園という小さな箱庭。その中では身分というものは殆どないようなものと化し、彼らは学友という名のもとに一時の平等を味わう。

 故にルシニアが公爵令嬢であろうと、学徒である以上彼女がいかに高貴な血を持とうとも、悪女である以上あからさまな悪意に晒されたとて、教師からの介入などない。教師は学生らを率いることはありながらも、それは勉学に関してのみに限定される。

 生徒たちの学生生活のそれ以外の部分については、生徒会という学生の統括者たちがほとんどを担っていた。ファルゴやアグライア令嬢が生徒会に身を置いているため、ルシニアに断罪を求める声は収まるどころか増す一方だった。

 いかんせんファルゴがルシニアを目の敵にしているかのような言動をとるため、彼らは正義は我にありとばかりにルシニアを非難する。

 今もそうだった。


「あまりにも厚かましいのではないかしら」


 いつもの如く、ブラムバシアンからの解放後に教室へ戻ろうとしている中、数人の女生徒がルシニアを取り囲むように姿を現した。

 ルシニアに向けるのは軽蔑の眼差しで、彼女たちは開口一番、そう吐き捨てるように言い出した。

 そうよそうよと口々に言う彼女たちの顔に見覚えは無いのだから、きっと違うクラスに所属しているのだろう。顔を歪めてルシニアを罵り、こちらが返事をしないことに行儀悪くも舌打ちをする。

 周囲にいる人々もただならぬ雰囲気に足を止め、好き勝手に言い出す始末だ。もちろんここで教師の介入も、ましてや生徒会のお出ましというわけにもならず、ルシニアに向けられる視線が悪意に満ちていくのを肌で感じる。


「ふんっ、公爵令嬢だからとお高く止まっているのではなくて? 婚約破棄をされるような女のくせに」


 パンッと乾いた音が響いた。

 ルシニアを囲う一人が無反応さに我慢出来なくなり、彼女の頬を叩いたのだ。

 一瞬、高揚した歓声にも似た声が上がるも、ルシニアは口を閉ざしたまま緩慢な動きで彼女たちに目を向ける。怒りに眉を寄せた顔ぶれに、ルシニアはこれでもかという程の極上の笑みを向ける。

 びくりと大仰にも肩を跳ねる姿に、肝の小ささが窺える。

 けれどルシニアはそれでもなにも返さない。言葉なく微笑むだけのルシニアに、目の前の彼女たち以外からも野次の声が上がり始めた。


「血筋だけのくせに!」


「ユーリ様の足下にも及ばないというのに、とんだ恥知らずね」


「見てよ、あの顔。あんなに意地悪そうな顔ってあるかしら」


「ふしだらな女らしいし、俺が慰めてやるよ」


 ひそひそとしたものから、次第にわざとらしくも大きな声になるそれら。堰を切ったように溢れる声に耳障りとしか言いようがないと、ルシニアは微笑みに隠す。

 反応をしてもしなくても変わらない罵詈雑言は、ルシニアが最早家門内でも手に余る存在だと知れていることを示している。

 表向きにはルシニアは公爵家内では大事な娘としてされていた分、王家からの正式な婚約破棄の申し出を公爵家が大人しく従う姿勢を取ったのだから、ルシニアが見切りをつけられたと察するには十分だ。

 王家としては約束を違えたことを隠せるし、公爵家としてはこの破談をもとに王家に恨みを抱くことはないと、そう見せたいのだろう。その結果ルシニアが一人悪名を被ることになろうとも、両家門を天秤には乗せるには至らない。ルシニアとしても切り捨てられたことに、なんの感慨もないのだからお互いにとって賢明な判断だと言えよう。

 ルシニアは頬を撫でながら、伸ばした姿勢を変えることなくようやく口を開いた。


「わたくしが、なんと?」


 まぁだからといって、頭痛の種に遠慮もしないのがルシニアだ。

 冷りとする空気が廊下に流れるも、彼らは逆撫でされた感情のままに罵詈雑言を吐き散らす。

 低脳だの厚顔だのといったものや、淫猥な女などとも上げられる。本来ならばこのように仮にも公爵家の者に、あからさまな悪意をぶつけることは許されることではない。だが、学園という特殊な箱庭の中では、身分という箍は外されてしまうのだ。

 こんなにも騒ぎになっているというのに、未だに生徒会という歯止め役は現れることがない。学園は国という大きな箱庭管理の予行練習だと理解出来ているのかと、ルシニアは元婚約者に呆れてしまう。

 治安維持の怠りは国の末端からゆっくりと、だが着実に心臓部を目指して蝕むものだ。小さな火種はやがて大きな火災を招き、気付いた頃には焼け野原で空を見上げる始末。

 こんなことでは先が思いやられるとルシニアが嘆息すれば、自分に溜息を吐かれたと勘違いした目の前の令嬢は顔を真っ赤にする。


「公爵家からも見放された女が、ブラムバシアン様を誑かしているなんて、恥を知りなさいよ!」


 どうやら彼女はブラムバシアンに懸想しているようで、ルシニアがブラムバシアンに気に掛けられていることが大層気に入らなかったらしい。ブラムバシアンはファルゴにも劣らない整った顔立ちなのだから、彼の瞳に捉えられれば心を奪われるのも理解出来る。

 しかし、ルシニアが甘んじて罵詈雑言を聞き流していたのはファルゴとの関係から発展したものだからだ。ブラムバシアンのことはルシニアとしても想定外としか言いようがなく、だからこそそこに因縁を付けられてもどうすることもできない。

 原作から乖離した状況のしわ寄せか、ルシニアに横暴に当たる人らをゆっくりとした視線で眺める。そこには感情はなく、無機質な瞳は彼らにはどのように映ったのか。

 

「――気は、お済みですか?」


 単調な声音だった。

 ルシニアにとってこのような暴力も謗りも、“この身”にとっての父親である公爵から幾度となく受けてきた。だからこそ取り乱すことはないし、耐え忍ぶ方法も知っていた。

 怯むことなく見据えるルシニアの瞳に、人々は我に返ったかのように静まり返る。ただ一言だった。その一言で彼らは一様に言葉を失い、そしてなにか恐ろしいものを見るかのような目でルシニアに釘付けとなっていた。

 ルシニアは首を傾げてもう一度問う。


「あら、聞こえていないのでしょうか。わたくしは、気は済んだのかと聞いているのだけれど」


 丁寧な口調とは反対に、有無を言わさぬ声音だ。

 ルシニアを取り囲む少女たちは皆ルシニアよりも家格の低い者たちで、本来の階級を思い出したのか、顔を真っ青にしていた。多少の言葉による応酬は見過ごされるが、手を出せば階級問わずに人として超えてはならないラインを行くことになる。

 震える手で口元を隠しながら、一歩下がった少女に、ルシニアは張られた頬の赤みを隠すことも無く距離を詰める。漏れ出るのは明らかに恐怖に彩られた小さな悲鳴で、これではどちらが虐めていたのか分からない。

 加害者が被害者に、被害者が加害者に成り代わる。これが補正力かと内心で舌を巻く。


「どうしてそんなに怯えているのでしょうか? ほら、先程まであんなにも声高らかにおっしゃっていましたでしょう? さぁ、あのように声を上げてわたくしにお聞かせください。気は済んだのかどうかを」


 ずいと、さらに顔を近付けて問いかける。

 涙を浮かべてうわ言のように謝罪を何度も繰り返す彼女は、最早会話が出来るとは思えない。それならばと周囲を見ても、誰もルシニアの問いかけには答えない。

 先程までの威勢など微塵も感じられないその姿は、処刑を待つ罪人の風貌だ。震える体は気の毒にすら見える。

 なんと不甲斐ないことかと思えば、途端に騒がしい足音が耳に入った。


「生徒会だ! そこを通せ!」


 ようやく到着したらしいその声は、人混みを掻き分けてその中心部にいるルシニアの前に姿を現した。

 先頭にファルゴ、横にはアグライア伯爵令嬢がおり、その後ろには他の攻略対象という名の生徒会面々が勢揃いしていた。こうして主要キャラが一同に介するところを何だかんだ初めて目にしたルシニアは、素直に目を丸くしてしまった。

 他の生徒とは一線を画する顔立ちの面々に、目の肥えたルシニアでさえも圧巻と思わせるのは流石は主要キャラといったところだ。

 侮蔑の色を隠すことなくこちらを睥睨する瞳に、ルシニアは微笑んでから淑女の礼でもって返す。


「麗しき生徒会の方々のご到着、心待ちにしておりました」


 ルシニアの完璧な礼に、ファルゴは白々しいと吐き捨てる。


「王太子の婚約者を廃された腹いせか?」


「なんのことでしょうか」


「他の生徒たちにまで横暴な振る舞いを行い、このように騒ぎまで起こすとはな。学園において本来の身分を笠に着ることは許されないと知ってのことか」


 ファルゴの背後にいた生徒会の面々は、ルシニアから女生徒たちを守るようにして前に歩み出てくる。涙を浮かべていた彼女たちは皆怯え切った顔をしており、保護されたと分かれば安堵にようやく震えが止まったのが見える。

 ファルゴたちは最初から見ていたわけでもなく、人づてに騒ぎを聞き付け先程到着したばかり。ルシニアが問い詰めるところを見ただけで、ルシニアが悪いのだと信じて疑わない。

 聴取もなにもなく、ルシニアが王太子に婚約破棄されたからその憂さ晴らしをしていると、そう言うファルゴに眉をしかめる。一体なにを言っているのか、ルシニアには本気で理解が出来ない。

 

「ファルゴ様、なにか事情があるのかもしれなのですから、そのように決めつけるのは」


「ユーリ、あの女を庇うのはよせ。怯えた彼女らが見えないか? 一目瞭然だろう。化けの皮が剥がれた姿がこうも醜いとはな」


 アグライア伯爵令嬢が決めつけるには早いと進言しても、ファルゴは聞く耳を持たない。それでも食い下がろうとするが、生徒会の役員が彼女を宥めてルシニアから遠ざける。

 まるで汚いものに触れさせないようとしているかのような振る舞いに、ルシニアの口角は上がる。


「わたくしはただ、お話を窺っていただけだと言うのに。随分な物言いをされるのですね」


「世迷言を。話を聞くだけでああも怯えることはないだろう」


「そのように、先入観だけで事を進める姿勢には呆れてしまいますわね」


 婚約破棄をされる前ならば、ルシニアがこうも大胆な発言をすることはなかっただろう。だが今となっては最早役目を終えたのだから、何かを気にすることなく口の滑りは良くなる一方なのが密かな悩みだ。

 ましてここ最近、ブラムバシアンと接する機会が多かったからか、婉曲な物言いよりもややストレートな物言いばかりが口に出る。

 貴族としてはしたないと思いつつも、それこそ今更だとルシニアは不遜な態度のまま腕を組む。

 

「そなたを廃したことを、改めて賢い選択だったと実感するな」


 ファルゴは眉間に皺を寄せたまま一歩前に出る。凄みを持ったそれに、他の生徒が一歩下がることで2人の舞台が出来上がる。

 さながら断罪シーンパート2とでも呼ぶべき光景に、ルシニアは焦ることもしない。


「ファルゴ殿下は、わたくしを選ばなかったとお思いでしょうが、この際はっきりと申し上げます」


 ぴくりとファルゴの眉が跳ねる。

 ルシニアの口元には優雅な笑みがたたえられており、頬に手を当てて首を傾げて見やる。


「わたくしが、あなたを選ばなかった。そういうことでもあるのですよ、殿下」


 ルシニアの言葉に、ファルゴの表情は心底不快だとばかりに歪む。


「そなたが選べるような立場でもあったかのような物言いだな」


「人は付き合う人間を選ぶものですよ。自分ばかりが選んでいるとお思いでしたら、傲慢としか言いようがありません。あなたから王太子という地位を取れば、一体なにが残ると言うのです?」


 ファルゴが奥歯を噛み締めるのが見て取れる。

 既に真実さえ見極められないのだから、この先本当に王としての資質を問われれば、綻びが生じてしまいそうなほど脆い。王太子として今は在るが、それがいつ覆るか分からないのもまた事実。

 故に学園で小さな国を取り仕切ることでその価値を示すのだが、ルシニアという芽がある以上ままならない思いをしているのだろう。

 とはいえ、ルシニアが好きで問題を起こしているわけではない。どちらかと言えばルシニアは巻き込まれる側なのだから、そこを履き違えられては黙っていられない。そうして反撃すればこちらのせいにされるのだから、いい加減客観的に物事を見る力をつけろと言っているのだ。

 ルシニアとファルゴはお互いに視線を外さないまま、けれどそこに甘いものなど一切ない。ルシニアは変わらず不遜な笑みを浮かべており、対してファルゴは気に食わないとばかり眉をしかめている。

 口を開けばお互いに嫌っているのは誰もが分かることで、長年婚約者として連れ添ったとは思えない関係の変化だった。それもそのはずで、ファルゴの言葉通りにルシニアは猫を被っていたのだから当然だ。

 従順な婚約者を演じてきたルシニアの、猫を外した状態の言動は彼らにとっては余程異質なものに映っているのだろう。婚約破棄された腹いせだとファルゴか言えば、そう見えなくもない自暴自棄にも似た態度。

 そんな中、間に割り込んできたのは金色の影だった。

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