彼の事情(sideカイン)2
それからというもの、俺はどんどん回復していった。毎日朝と夜、ディアナは規則正しくやってきては俺の世話をし、話をしていく。「あなたはどこの出身?」「……生まれ故郷はわからないが、育ったのはオーレリア公国だ。」「東隣の国ね!じゃあ好物は何?」「なんでも食うよ……甘ければうれしいが。」「今日学校で侯爵令息が子爵家の子をいじめていたから、風魔法で吹っ飛ばしてやったわ!」「とんだおてんばだな。」
俺のことを聞きたがり、そして彼女の日常について話す。どうってことない内容だが、そんな時間が心地良い。テネブラエでは眠る時以外は常に仕事をやらされていたし、組織を出てからも、ずっと孤独に生きてきた。俺は、生まれて初めて安らぎを知った。だがこれも長くは続かない。ディアナの弾む声、あたたかな手、くるくると変わる表情が失われるのが、日がたつごとに惜しくなっていく。
何がそんなに忙しいのか、たまに話をしているうちに俺のベッドに寄りかかって、ディアナが眠ってしまうこともあった。
すーすーと寝息をたてる彼女の首に、そっと手をかけてみる。俺が少し力を入れれば彼女は死ぬ。今まで俺がやってきたことだ。だけど、俺はそれをできない、したくないと思った。「殺したくない」なんて明確に思ったのは彼女が初めてだった。
そんなとき、彼女がメイドに、俺が治ったときにわたす逃亡資金がたまったと、喜びながら話しているのが聞こえてしまった。
離したくない離したくない離したくない離したくない離れたくない離れたくない離れたくない離れたくない。これまで感じたことのない焦燥感と怒りが、心に広がっていく。あのままあそこで死んでいれば、こんな渇きは感じずにすんだのに。もう俺は彼女を知ってしまった。彼女のいない今後の人生を考えられない。
俺の傷が治りきった頃。俺は1つの結論に達した。彼女を攫ってしまおう。大陸の向こうでもどこでもいい、連れて行って俺だけのものにしてしまえばいいんだ。元々彼女はこの家を出るつもりだと話していたのだから、問題はないはず。
そうと決まれば、彼女をもらう上で、一番の障壁になるであろうヤツに話すことにした。
「なあ、あんたディアナの護衛なんだろ?俺は随分と治ったし、そろそろこことオサラバしようかと思うんだが、あの子を連れて行こうかなと思うんだ。」と俺は暗いブルネットのメイドに言った。こいつはすました顔をしてディアナに仕えているが間違いない、俺と似た立場の人間だ。それも相当できるタイプだろう。
「私が護衛とわかって口に出すなんて、マヌケですね。」とこともなげに答える女。ムカつくが、見ている限りディアナはコイツを随分と慕っているようだった。
「いや、俺ってば結構強いからさ、あんたら皆殺しにしてディアナだけ連れていくなんざ朝飯前なわけよ。でもそうすると彼女は悲しむだろ?だからおとなしく、あの子だけちょーだい。」と俺はふざけるように言った。治りたてで大立ち回りは避けたい。ただこの女は向かって右の腕の動きがほんの少し悪い。そこを狙えば、勝てるだろうと思っていたんだが。
「私は自分の命をかけて、それを阻止するだけです。第一線は引いた身ですが、そう易々とやられませんよ。それにケガをして、ディアナ様を連れていけるとでも?彼女もそれなりに身を守るすべを知っていますよ。」とメイドが言う。
今のディアナはおとなしく俺についてきてくれるだろうか。抵抗されるかもしれない。
「そっかーーー。残念だなー。」と俺は気を抜いたようにゴロンと寝転んだ。仕方がない。こいつと相打ちになったら、その場でディアナも殺そう。一緒にいられないのは嫌だし、俺が死んだあと、彼女が誰かと寄り添って生きていくなど虫唾が走る。
そんな俺のほの暗い思いを知ってか知らずか、「あなたも最近、国内の情勢がきな臭いのは知っているでしょう。何かあったときにはディアナ様をお守りすると約束してくれるのであれば、これから1ヶ月であなたに使用人としての立ち居振る舞いを教え込みますから、ディアナ様付きの従者になりなさい。」とメイドが言った。
この女に何かを教わるのは癪だが、ディアナに仕えられるのは魅力的だ。彼女がここを去るときに俺もついて行こう。それまでに俺から離れないよう、必ず彼女の心を手に入れる。
「ずっとそばにいられるのなら、いいよ。」と俺は機嫌よく答えた。
ディアナ、俺は君の全てを奪うから、待っててね。