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葛藤(sideカイン)

やっちまった。最悪だ。


俺は足早にお嬢の部屋から立ち去ると、そのまま家令の元へ行き何かやることはないかと尋ねた。

「では……銀食器類の手入れを頼めますか?」と言うのに了承し、俺はそのままキッチンへと向かう。いつも通りピシッと執事服を着て、銀髪を後ろに撫でつけた彼が困惑した顔で、言外にお嬢様のそばにいなくてもいいのか?聞いていたが無視した。今は無理だ。


スプーンにフォーク、ナイフ、来客用も含んでいるので大量だ。磨き切るのは手間だろう。でも今はそんな作業が俺にはありがたい。


やわらかい布巾で鈍色になっているシルバーを磨いていく。無心になりたいのに、頭の中はお嬢でいっぱいだ。


この2か月、ディアナがこのまま目覚めないのではないかとずっと不安だった。心配だった。平和な日常なのに、ずっと心が綱渡り状態で、頭がおかしくなりそうだった。だから、やっと意識が戻ったお嬢に安堵したのは確かだ。ただその後に湧き出てきたのは正体のわからない怒りだった。


ワイバーンなんて敵うわけがないのに、それでもディアナは残って単身戦いに挑んだ。自分以外の人間を逃がす時間稼ぎをするために。俺にとってはお嬢が一番で、お嬢以外の人間がどうなろうとかまわない。他のガキどもなんて放り出して逃げてしまえば良かったのだ。あんな伝説上の生き物と戦うなんて、騎士団や官憲の魔対の上位層だって躊躇するだろう。


なのにお嬢はいつだってそう、自分一人で何とかしようとするし、自分を犠牲にすることを厭わない。


俺に対しても、禁術を使わせないために自分の命まで危険にさらしておいて、目覚めたと思ったら「迷惑かけてごめん。」だもんな。


ディアナは、彼女が死んだら悲しむ人間がどれだけいるのか、自分という存在がどれだけ大切に思われているのかわかっていない。


お嬢はきっと、これからもトラブルがあったとしたら、周りを守るために同じことをするだろう。その時こそ、本当に死んでしまうかもしれない。


そんなこと耐えられるわけがない。


お嬢には黙っていたが、婚約破棄後に住む予定だった屋敷にはすでに手を入れて、住めるように手配している。今は協力者を住まわせて日々のケアに当らせているが、お嬢が回復したら学園も貴族社会も振り切ってあそこに閉じ込めてしまおう。俺一人でも、また暗殺業を始めればお嬢にふさわしい生活を送れるようにはできる。ま、もう外には出さないが。


「まーた思考がおかしな方向に行っていますね。」


いつの間にか忍び寄っていた 上司(ケイト)が耳元で囁き、俺の頭をげんこつで殴った。この前とは違う、それなりに痛い拳だ。


頭をおさえて振り向くと、腕を組みいつもの鉄壁面をした彼女が「さっきの態度はなんですか。お嬢様、悲しんでらっしゃいましたよ。」と言う。

「何でもねえよ。」

「あなたのことですから、お嬢様が目覚められて緊張の糸が切れて、何か良からぬ感情に囚われているのでしょう?」


図星だ。


「てめーはどうなんだよ?」

「私ですか……正直言って彼女が目覚めるまで怖かったですね。お嬢様の魂は本来のお嬢様のものではない。目覚めた時また違う誰かが入れ替わってお嬢様になっていたら……という不安はありました。」外側だけ一緒でも、意味がない。私が仕えたいと思ったのはあのディアナ様なのですからとヤツは言う。



「そもそもあんたがあそこまで鍛えなければ、お嬢も無茶しなかったんじゃないか?」八つ当たりだとわかっていても、俺はこれを言わずにいられない。

「あなたが好きになったお嬢様は、同じ学園の生徒を見捨てるような方ですか?」

「……」

「私たちがトレーニングをしなかったとして、他の学生のように弱くても、あの方はやはり同じことをしたと思いますよ。」あの方はそういう方です、と彼女は確信があるように言う。

「それに、血だらけのあなたを拾った時も、私はさっさと放り出す気でしたがあんなに甲斐甲斐しく面倒をみて。捕まる危険があったのにもかかわらず、ウィリアム様を救出したこともありますよね。とても真っすぐで優しい。それがディアナ様なのですよ。」自己犠牲のきらいがありすぎますけどね。と付け加えながら、ケイトは俺をじっと見た後、額を指で弾いて続ける。

「そんなお嬢様をどこぞの風光明媚な湖北地方の洒落たお屋敷に閉じ込めたとして、それはお嬢様の望むことでしょうか?」

「それは……」クソっ、こいつあの屋敷のことを知っていたのか。

「お嬢様を失いたくないあなたの気持ちもよくわかります。ですが、あの活発なお嬢様が閉じ込められて抜け殻のようになってしまったら、それはあの眠ったままのお嬢様と一緒ですよ。」

俺の額をまた弾きながらケイトが「しっかりしなさい。あなたが本当に望んでいることは?」と聞く。


俺の望み……。


「……お嬢とずっと一緒にいて、お嬢を幸せにしたい。」

「だったら今の極端な考えは忘れなさい。」

「……わかったよ。」俺はシルバー磨きを再開しながら言った。

「先ほどの態度は謝るべきです。ただ……あなたが怒っている理由を言ってみても良いのでは?」あなたは要するに、お嬢様が心配で、お嬢様を失いたくなくて、もっと自分自身を大事にしてほしくて、腹が立っているでしょう?お嬢様の性格は変えられなくても、あなたの気持ちを伝えることはできるはずですよ。もしかしたらもう少し慎重になってくれるかもしれませんし、と同じくスプーンを磨きながら上司が言う。


自分の気持ち、か。

どう言えば良いのか。これまで自分の意志や気持ちを示すなんてこと無く、ただただ人を殺してきた。お嬢と出会って人生は一変したが、それでも……どう口にすれば良いのかわからない。俺はとんだ欠陥品だ。



少したって、あらかたの銀食器を鏡のようにピカピカに磨き上げたころ。

「それはそれとして。嫉妬はみっともないですよ?」

「はあ゛!?」

「シャルル殿下からのお花に喜んでいるディアナ様を見て、やきもちを焼いていたでしょう?」花の世話はやっていましたが、なんだか怨念がこもった手つきでしたよと少し表情を崩しながら上司が言った。

「そ、そんなことねえよ!」

「はいはい。シャルル殿下も攻勢をかけてきてますから、うかうかもしていられません。早く、お嬢様と話をすることですね。」では私はお嬢様とウィリアム様のディナーの準備がありますのでと言い残して、ヤツは来た時と同じようにスッと消えていった。



結局、悩みに悩んだ俺がお嬢にちゃんと話をできたのは、お嬢が学園に戻ってからだった。


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